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June 18, 2010


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NYと坂本さんとW杯。

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サンフランシスコと、ニューヨークへ行った。


旅行のスケジュールからいけば
サンフランシスコ=Twitter社訪問、が先なのだが
あまり気にせず、ニューヨークから書こうと思う。
ニューヨークというより、坂本さんとのことなのだけれど。


ニューヨークの日程が、ちょうどワールドカップの
日本初戦と重なっていたので、現地のテレビで見られるのか?
場合によっては、パブみたいなところで見ればいいか
なんて思ったままニューヨークへ行ったのだが
お誘いをいただいて、坂本龍一さんのお宅で観戦することになった。

もともと、ランチかディナーでも、と約束をいただいていたのが
じゃ、ワールドカップとランチでも、ということになった。

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(この写真はホテル近くのBryant Park。光がステキ)


NYの坂本さんの家で、2人でワールドカップを観戦してるって
よく考えれば、よくわからない状況なのだが
そういえば......、と、いろいろと思い出した。

ニューヨークと坂本さんの話。


ニューヨークという街は、僕は、90年代の中盤によく行った。
僕のゲームの海外の契約先が、ニューヨークの会社だったからだ。

坂本さんと初めてお会いしたのもその頃だった。


坂本さんと初めてお会いしたのは、雑誌の対談だった。
初めて見た印象は、いまでもよく覚えていて
「姿勢が美しく、顔が綺麗な人だなあ」、だった。失礼。。


テーブルを挟んでの、対談の途中
僕がいろいろと話しをしていると
坂本さんは、突然、鞄からテレビの台本を取り出して
その裏にメモのようなものを書き始めた。

僕の話は、メモをしていただくような話でもなかったので
「どうしたんだろ?」と思いながらも、話を続けると
坂本さんは、メモを書いた台本を
突然、ビリビリぃと破いて、さっ、と僕の目の前に出して

「ニューヨーク来たら、遊びに来なよ」

と、僕に渡した。


そこには、ニューヨークの住所と電話番号が書いてあった。

カッコえぇなあ、と痺れた。


いまでもたまに思い出すことなのだが
例えば、僕は、こんなことができるだろうか。
初めて会う相手に、僕は、こんなことができるだろうか。


その数ヶ月後、そのニューヨークの会社に行く用事ができた。

坂本さんのメモ、のことはもちろん覚えていたが
なんとなく、なんというか、「わざわざ申しわけないなあ」なんて思いで
連絡せずに、そのままニューヨークに行った。

しかし、ニューヨークに着くと、連絡してみようかななんて思って
ホテルから電話を差し上げて、留守電に「来ました」と入れると
しばらく経ってから、お電話をいただいた。


いま気付いたが、その頃はまだ、海外でメールを受信、なんて
そういう感じの、時代でもなかったんだなあと思う。
ホテルから電話→留守電→コールバック、っていうのがいいなあ。


そのときも、午前中にお会いして、一緒に昼食をいただいて
いろいろとお話をさせていただいた。
対談では、やはり「対談」的なお話だったので。。

お話をさせていただくと、思いがけぬ偶然の一致があったり
共通の知人がいたりして、「えぇえー!」なんていうこともあって
来日するときも、お会いさせていただくようになった。


というのが、もう10数年前。

......そんなことを思い出した。


僕にとっては、この10数年に始まったわけではなく
子どもの頃に、僕の人生を変えていただいた存在なわけで
まさか、TONG POO作った人と、30年経って
一緒にワールドカップを観ることになるとは思わなかった。
ま、子どもの頃に、そんなこと、思うわけないんだけど。


2010年のワールドカップは、面白い開幕となった。

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NYの空。ものすごく不思議で美しかった。


Posted by eno at June 18, 2010 06:07 AM


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