SONYの最初の大成功というのは「ウォークマン」だろう。
1970年代の終わりに登場し、1980年代の人々の生活のシーンを変えた。
それまでは、音楽というのは「どこか」で聴くものだった。
基本的には、家で聴くものだった。
それが、ウォークマンの登場によって、音楽を外に持ち出すことが可能になる。
電車に乗って、外の景色を眺める。
そこに音楽が加わると、街の風景が変わって見えた。
いつもの知った景色が、映画のシーンのように変わった。
ウォークマンは世界中の人々のライフスタイルに影響を与え
SONYは「世界のSONY」となった。
次の大成功は「コンパクトディスク(CD)」だ。
フィリップスと開発した、光のコンパクトな円盤。
それまでの、「レコード」という、黒いビニールの大きな円盤を
最初はゆっくりと、そして一気に吹き飛ばした。
この成功は、ウォークマンとは異なる成功だった。
CDのプレイヤーが売れれば、儲かる。
そして、CDを生産しても、儲かる。
フォーマットを発明し、それが世界中に広がることで
ハードウェアだけでは成立しないような
巨額の利益が、SONYに舞い込んでくる仕組みを作った。
そして、プレイステーションだ。
ゲーム業界という、まったく異なる戦場へ飛び出し
驚くほどの大成功を収めた。
しかし、最初から単独で戦場に赴いたのではない。
当初は、王者、任天堂との同盟軍であった。
しかし、開戦の直前に、任天堂というパートナーから捨てられ
「振り上げたこの拳はどうすればいいんだ」状態となって
しかしそれが、ものすごいパワーに変わって
あっという間にゲーム業界の勢力図を塗り替えた。
結婚式の直前にパートナーに捨てられる。
「お前、必要ないや。やっぱオレ、ひとりで生きていくわ」と
婚約発表をしようかという、そのタイミングで、まさかの別れの宣告。
プライドをずたずたにされた花嫁は復讐に燃えた。
両手に日本刀を抱え、めちゃくちゃに振り回して大暴れ。
一息ついたころには、周囲に死体の山が積み上がった。
それが、SONYという人格の成り立ちだ。
まるで、アナキンがダースベイダーになるまでの物語である。
「SONYは傲慢だ」という言葉をよく聞く。
「SONYはオープンに戦略を変えよ」という言葉もよく聞く。
僕もそう思う。
しかし、それは無理だ。
SONYという人格の成り立ちから言えば、それは無理だ。
それは相応しくない。そうはいかない。
SONYは、世界のSONYなのだ。
SONYは、復讐の花嫁なのだ。
SONYは、アナキン・スカイウォーカーなのだ。
アナキン・スカイウォーカーが突然
ダースベイダーとなってしまった自分のキャラクターを活かして
中目黒に「ベイダーカフェ」みたいなものをオープンさせて
「地域のみなさんに愛されるカフェを目指してます(はぁと)」
みたいなの、そんなの絶対に無理だ。
いまや音楽を聴くのは、iPodとなってしまった。
しかも、CDを買うのではなく、ネットからダウンロードする時代。
アップルという、コンピューターメーカーに
あっという間に、音楽というホームタウンを奪われてしまった。
そして、ボロボロにしたつもりの元カレ、任天堂。
DSやWiiという、新しいゲームの体験提案は
新しいゲームのユーザー、新しいマーケットを開拓した。
復活どころか、大躍進。
さらには、かつて自分がやったことのように
よその業界からマイクロソフトという巨人が乱入してきて
戦場は再び、混戦に陥った。
いま、SONYは、大爆発のタイミングではないだろうか。
怒れSONY。
燃えよSONY。
僕には、炎の中で、銀色に輝いて揺れるSONYのロゴが見える。