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April 13, 2009


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きみとぼくと設計。 〜最終回「仲間との開発」〜

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「『きみとぼくと立体。』の設計」、ついに最終回です。

もう、四回目となりました。


今回は、「仲間との開発」について書きたいと思います。


「仲間」というのは、一緒に開発をしてくれた「仲間」のことです。


この作品は、任天堂さんを含め、一緒にもの作りをしてくださった
メンバーに非常に恵まれていたと、いまも感じています。


「良い開発チームとはどういうものか?」というのは
人によって、定義が違うでしょうけれど
僕にとっては、少なくとも、開発が終わった結果、楽しかった思い出が残って
なにより、自分で「良い」と思えるゲームができたことが
良い開発チームだったのではないかと思います。


開発のスタイルは、人それぞれだと思います。

僕の場合、企画をやって後は監修、という形ではなく
開発のディレクションも、アートディレクションも行うため
「たまに出来たら見せて〜」という感じではなく
かなり頻繁にディレクションをする必要がありました。

ディレクションというのは、全体をまとめながら、個々に「指示」をすることです。

「ここはもっとこうしよう」とかいう、漠然としたものから
「あと0.5秒くらい早くして」とか細かいことまで、状況状況で指示をしていくのが仕事です。

出来上がったものを見て指示を出すこともあれば
「ここは、どうしたら......?」という相談や質問、疑問に対して応えていく。

そういった、ディレクションの仕事、というものを
どうすれば効率がよくなるか、ではなく、どうすれば結果良いものができるか?
というふうに、僕は捉えています。

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このゲームの場合、開発テーマが「ユニークでシンプルで奥深いもの」
と決まっていましたので、「それを実現するには、どうすればよいか?」を考えました。

考えた、といっても、結果、いつもの僕のスタイルでもあるのですが
「みんなで一緒に多くの時間を共有する」ということにしました。


全体ミーティングを、週に1〜2回持って、そこには全員参加することにしました。


そこには、部長とか、年配者とか、アシスタントなど、そういうものは存在しません。

もっといってみれば、自分の所属するパートのチェックの時間、を除けば
デザイナーだろうが、プログラマーだろうが、役職は関係なく
なんでも口に出して、なんでも考える、というふうにしたかったのです。


そうすることによって、まずは、僕の真意が、しっかり伝わります。
伝言ゲームでもなく、仕様書でもなく。

例えば、なにか議題となる題材があったとして、それを誰かが投げる。

すると、僕が「うーん」と考える。場合によっては誰かに訊いたりする。
訊かなくても意見が出たりして、それに対して、僕が応えたりする。
最終的に、「こうしよう」というのを、僕が決める。

たったこれだけのことでも、どういうプロセスを踏んで
どう僕が迷って、悩んで、それを、どういうふうに伝えて、そして
その背景にはどういう理由があって、など全部伝わる。

というのと、結果の仕様だけ伝わる
というのでは、僕は、ぜんぜん開発の最終形が変わると思います。


効率ではなく、結果を求めて、そのような形で進めたほうが
最終的には、実は効率がよくなる、のです。


ただ、このようなスタイルには、慣れない人も、嫌だという人も、当然います。

自分の仕事だけやっていればいいや、という人もいます。

或いは、基本的には、そのスタイルには賛成していても
開発が終了に近づいて、時間がなくなっていくと
「こんなミーティングに参加するより、自分の仕事がしたい」と
みんなが思い出します。


僕はそれを当然のことだと思っています。

ワールドカップの決勝に行けるかどうかという試合の前の日に
フリーキックやシュート練習がしたい選手に対して
チーム全員のミーティングに参加してくれ、というようなものですから。


実際の話、このゲームの開発でも、最後のほうで、そのような意見が出ました。

「回数を減らそう」とか「半分の時間が過ぎたら必要ないメンバーは開発に戻ろう」とか。

僕はこう言いました。

「これ、みんなで作ってるんだよ!」


いま思い出すと、なかなか恥ずかしい感じですが
そのようなやりとりがあって、それでも意思は曲げなかったおかげもあって
そして、なにより、最終的には、みんなが納得して、ついてきてくれたおかげで
面白い、ユニークなゲームができたと思っています。

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思い出話をもう1つ。

僕は、全員参加のミーティングが、少しでも楽しくなればと
いつもいつも「お菓子」を用意することにしました。全員ぶん。

どら焼きだったり、ブランマンジェだったり、オペラだったり、饅頭だったり。


週に1〜2回ですから、ぜんぶで100回以上......もっとかな?
あったと思うのですが、僕は、毎回毎回、「異なるお菓子」を用意しました。

なるべく、違うお店で買って。もちろん、美味しいお店で買って。


たぶん、3〜4回は、忘れててダブったこともあると思いますが
いつもいつも、テーブルの上には、いつもと違うお菓子が、人数ぶん置かれていました。

どんなに忙しいときも買いにいきました。
お店を選んで、どのお菓子が良いかを考えて、季節なんかも気にしたりして。

そんなことが、「面白いものを作ろう」「ちょっとでも楽しくしよう」という
ゲーム開発にとって、ものすごく大事な「考え」というものに入れ替わって
みんなに伝わっていったと、僕は思っています。


最後になりますが、開発のメンバーのみんなに、感謝をしたいと思います。


僕は、このゲームを作っている間、世界中で
どれだけのゲームが開発されていたかわかりませんが
世界で一番、クリエイティブで、楽しく、そしてみんなが成長した開発だったと
心から思っています。みんなも、そう感じてくれていると思います。

そんなことは、滅多にない、有り難い、とてもステキなことです。
重ねまして、ありがとう。


そして、僕と、最も多くの時間を共有してくれた
最大の仲間である、山田秀人に、改めて、感謝をしたいと思います。
彼がいなかったら、このゲームはできませんでした。ありがとう。
少なくとも、もっとつまらないものになっていた。ほんとにありがとう。


最後に、任天堂のみなさんに対しては、この出会いも含め
こんな素晴らしい機会を作ってくださって、感謝致します。
困ったとき、いろいろなヒントを与えてくださいました。
困ったとき、一緒に悩んでくださいました。


僕は、このゲーム、『きみとぼくと立体。』を作っているとき
1つ、大きな不安がありました。

1つ、ずっと大きな不安を抱えていました。
最後まで、誰にも言わなかったことなのですが。

それは、せっかく家庭用のゲーム作りに戻ってきたのに
最後、「もう作りたくない」と思ってしまったら、どうしよう、ということでした。

それがどうなるか、最後に、僕はどう思うのか
まったく、どう感じるか、わからなかったので、ずっと不安でした。

僕は、強い人間なので、苦しいことなんて、乗り越えられる自信があります。
辛いことなんて、すぐにポジティブに変えてしまいます。

だけど、「最後、どう感じるか?」なんて
そればかりは、わからなかったので、ずっと不安でした。

もちろん、できれば、何本か、せっかく戻ってきたなら作りたかったからです。


ほんとの最後になりましたが、一緒に開発してくれた仲間に改めて感謝します。


「また、もう1本、作りたいな」と、いま、心から思っているからです。


ありがとう。

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Posted by eno at April 13, 2009 09:03 AM


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