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April 03, 2009


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きみとぼくと設計。 〜第一回「感覚」〜

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『きみとぼくと立体。』、評判はよいようで、ほっ。

ぜひ、WIIウェアでダウンロードして遊んでください。


さて。

この作品は、あまり内容を語りすぎてしまいますと
プレイしてもらったときの印象に、よくも悪くも影響してしまう作品ですので
あまりゲーム内容は語らないように考えています。

とはいえ、あまり語らないと、本気モードで作った作品じゃないと
思われてもよろしくないですので、ここから四回に渡って
この作品ならではの、「設計」について語りたいと思います。


買ってプレイしていただいた方には、より「なるほど」と思える内容ですので
後で買ってプレイしていただいたときは、また読んでいただければ、楽しめると思います。


まず、第一回。

このゲームで表現したかった「感覚」について。


語れば長いのですが、その「感覚」設計のうち、1つを。


プレイしていただいた方は、お気づきかもしれませんが
このゲームの変わっているところは、スクリーン(TV)の中を触れないところです。
(そこの角度に気付いた方は、そうとうな目をお持ちかと思いますが)


通常のゲームというものは、例えばキャラクターだったり
或いは、その舞台だったり、或いは、どんなものでも
スクリーンの中のものを動かします。
言い換えれば、プレイヤーがスクリーンの中の「なにか」になるのです。

もちろん、そういうゲームばかりではございませんが
大半のゲームが、そう企画されています。

主人公のキャラクターを操作したり、車や戦闘機を操作したり。
或いは、世界を操作してみたり。
僕の過去のゲームも、ぜんぶ、そのうちのどれか、です。


しかし、『きみとぼくと立体。』では
プレイヤーは、キャラクターである「ニンゲ」をリモコンに生んで(画面外の動作)
場所を決めて、それを投げ込む(まだ画面外)、というだけがプレイヤーの操作です。

リモコンというコントローラーのおかげもあって
プレイヤーは外側でプレイしている感覚になります。
ワイヤレスで動作を感知するリモコンでなければ、成り立たない感覚だと思います。

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ニンゲというキャラクターは、スクリーンの中に投げ込まれてからは
プレイヤーはもう動かすことはできず、勝手に動きまわります。

舞台となるキューブが傾いて、慌てたり、倒れたり。
倒れたり、落ちそうになっている仲間を助けたり。
助けに行くことで、さらに傾いてしまったり。。。アホ可愛いわけですが。

とにかく、「ニンゲを投げ込んだら終わり」、なのです。
舞台であるキューブも、動かすことはできません。


だけど、プレイヤーは、キューブの状態、傾きのバランスを取るため
新たにニンゲを投げ入れます。投げ入れ続けます。
或いは、困っているニンゲを助けようと、ニンゲを投げ入れます。


投げているのは、プレイヤーですから
なんといいますか、ただ投げただけ、とはいえ、独特の責任感が生まれます。

映像や、スクリーンセーバーのように、キューブの上で困っているニンゲたちを
ただ見るだけ、というものと違って、インタラクティブなゲームですし
投げ込んだのは自分ですから、微妙な愛着が生まれます。責任感も生まれます。

ですから、自分が投げ込んだ場所やタイミングが悪かったり
或いは、なにも悪くないにしても、ニンゲをなんとかしようと思います。

なんとかするのが、ゲームの目的=クリア条件でもあるわけですが
「クリアしなければならないので、なんとかする」、ではなくて
独特の感情を持って、「なんとかしたい」と思っていただけるように設計しています。

ですので、投げたキャラクターが、倒れたり滑ったり
キューブから落ちたりすると、「ありゃりゃー」という気持ちが生まれます。
クリア時にバランスを崩していて、キューブが回転するタイミングで
落ちてしまうキャラクターにまで、「申しわけない」という気持ちが芽生えます。


余談ですが、キャラクターをもっと可愛いものにすれば
それだけで、なんとかしてあげなきゃ、と思ったりもできるのですが
そうしてしまうと、そちらが強くなりすぎてしまうため
あのような、ワリとクールで無表情なキャラクターにしました。
(それでも、最初に作っていたキャラクターからずいぶん表現豊かになりました)


話が少しずれましたが
そんな設計もあって、スクリーンの中に触れない、というゲームが成り立っています。


おかげで、いままでにプレイしたことのない新しい感覚が生まれました。


そして、その新しい感覚が、前面に出ないように、全体を企画、設計してあります。
そうしてしまうと、そこばかりが「ウリ」になってしまいますので。
(それがウリとなるようなものでもありませんし)

ほんと、たったちょっとの「見せ方」の違い、だけなんですけれど。

ちょっと後ろに引っ込めました。少し大人になったんですかね。
このへん、「なるほど」と理解していただけると、ハッピーなのですが。

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「スクリーンの中は触れない」、という企画設計の上
ニンゲというキャラクターたちを、AIで自由に状況判断させて動かしたことによって
カチっとし過ぎない、「活きた」ゲームとなりました。
なるべく、単なるパズルゲームにはしたくなかったのです。
新しい感覚、を生み出したかった。


投げるのをニンゲという生物ではなく、ピタっと止まって動かない
コマのようにしてしまえば、完全に、「どこにどう投げる?」というパズルゲームになります。

或いは、投げた後も、全員に指示を出したり、誰かが集合をかけたりすれば
(実は当初はそういう企画もありました)
もうちょっと「やってる感」が、高いゲームになったかもしれません。
が、しかし、それによって、表現したかった「新しい感覚」は崩れてしまいます。


このゲームは、その「プレイヤーは画面の状況を判断して、キャラクターを投げ入れるだけ」
という企画設計が、プレイ後の好みの評価に大きく左右する作品だと思います。

そこが、好きになってくれる人は、ゲーム自体を気に入ってくれるでしょうし
言い換えれば、そういった新しい感覚も、ゲームの1つの価値、であると感じてくれる人は
面白いなあと楽しんでくれるでしょうし
残念ながら、その感覚が好みでないという人もいると思います。


ぜひ、そんな新しい感覚を、という方はプレイしていただきたい。

興味を持っていただけたら、ぜひ味わってみてください。

ま、楽しんでいただければ、そんなことどうでもよいとも言えるわけですが。(-:


任天堂さんのホームページで、『きみとぼくと立体。』の
紹介映像が2本、公開されましたので、下にリンクを貼っておきます。

未見の方は、ぜひ、チェックしてください。


<<『きみとぼくと立体。』紹介映像その1 「『きみとぼくと立体。』とは?」>>


<<『きみとぼくと立体。』紹介映像その2 「『きみとぼくと立体。』の世界」>>


次回は、第二回、「サウンド」について、書きたいと思います。


Posted by eno at April 03, 2009 06:45 AM


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