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November 26, 2008


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YMOから30年。

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昨日で、YMOのファーストアルバム発売から30年経った。

といっても、僕が買ったのは少し後のこと。
最初に買ったのは、ファーストアルバムだったんだけど
そのときがいつかは、はっきり覚えていない。

半年後か、1年後か。


きっかけは、テレビゲームだった。

スペースインベーダーの音が好きで好きでたまらなかった。
ブロック崩しとか、シーソーゲームの音なども好きだった。


ピコピコ! ピキューン!


あの電子音がたまらなかった。
もちろん、テレビゲームというものも、初めての出会いだったので
ものすごく刺激的だった。めちゃくちゃハマった。
そして、ゲームだけではなく、その音にもやられた。
なにか、すごいものに出会った、という感じがした。

しかし、ゲームの電子音が好きになっても、手に入れようがない。
アーケードのゲーム機が、家にあるわけでもないし
まだ、当時は、家庭用ゲーム機というのがない時代である。


という中、レコード屋で、YMOのアルバムを見つける。
レコードの帯に、「コンピューターゲーム”サーカスのテーマ”」と書いてあった。

「これで、あの音が手に入る!」

……と興奮したのが、YMOとの出会いである。


そう思うと、すごく偶然というか、ギリギリな出会いである。
偶然と、衝撃と、勘違いが、重なって出会った。
もうちょっとで、出会わなかったところだ。

出会わなかったら、電子音ではなく、電子「音楽」にハマらなかっただろうし
いま、ここにいないだろうと思う。


YMOは、その後、Rydeenでブームになる。
Rydeenが入っているセカンドアルバムがバカ売れ。
覚えているのは、友達の家に、そのアルバムを聞きに行ったこと。
だから、セカンドも、すぐは買ってない、ということか。
次の「増殖」はすぐ買ったし、「BGM」は予約したのを覚えている。


セカンドアルバムは、ずいぶん衝撃的だった。
だんだん、自分でも、シーケンスの速いフレーズをどうしても演奏したくなった。

いまだったら、PCのフリーウェアでも簡単にできるわけだし
ケータイの着メロを自分で作ることでも解決できるんだけど
当時は、まったく方法がなかった。
シンセサイザーはどれも高価で、高価すぎて諦めていた。
だって、50万とか100万とかだもん。
それに加えてシーケンサー。……無理。


その思いがずっとあって、家にあるオルガンで練習した。
16分音符の速いシーケンスを、手で弾いた。
おかげで、ピアノ教室に通っているクラスの女の子よりも
速いフレーズを弾くことができた。

だけど、それにも限界があったのと、オルガンの音は、オルガンの音だった。
別に速いフレーズにハマったわけじゃなくて、僕は、電子音にハマったのだ。
家にあるYAMAHAのオルガンの音は、電子音とはまったく違う
暖かくて、柔らかい音色しか出なかった。
でも、ほかに方法がなかったから、ずっと弾いてた。

それから、暫くして、NECからPC-6001という
三重和音が可能なPSGを積んだパソコンが登場した。
これでほんとにYMOができる、と興奮して、親父に頼んで買ってもらった。
親父もパソコンに興味があったらしく、すぐに購入した。
オルガンの上にパソコンを置いて、一緒に演奏した。
生まれて初めての自動音楽だった。

何度か書いていると思うが、ちなみに
そのおかげで、プログラムを覚えるようになり
さらにそのおかげで、自分でゲームを作るようにもなり
さらにそのおかでげ、プログラムコンテストに応募し、受賞し
そこから6年くらい経って、そのおかげで、ゲームの仕事を始めることができた。


そんなわけで、僕にとって、YMOは
単に好きな音楽とか、好きなバンド、というだけではない存在である。


僕以外にも、似たような思いを持っている人がいっぱいいて
せっかくだから、30周年を祝おうよ! ということになって
明後日の夜、イベントをやることになった。


YMOを祝いたい。

YMOを一緒に祝ってくれる人は、ぜひ来てほしい。

YMOバカだらけ、というのは、ずいぶんピースフルである。


21時スタートです。

みんなで、一緒に祝って、乾杯しましょう。

金曜の夜ですし。みなさん、いらしてください。


Posted by eno at November 26, 2008 06:52 PM


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