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November 28, 2007


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どっちか、じゃなくて、どっちも。

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若干、上から目線で申し訳ないが
ミーティングなどをしているとき
この数年、何度も思うことがある。

それは

「『どっちか』じゃなくて、『どっちも』だろう」

ということである。


どういうことかと言うと
真面目な題材じゃなくても
くだらない話題でもいいんだけど……。

例えば、『A』という出来事や現象について、その理由を考えていたとする。

「あのパン屋は、なんで流行ってるのかなあ?」ということでも
「女性専用車両ができても、痴漢の発生数が減らないのはなぜだろう?」でも
「あの部長は、なんでこの案件に前向きになってくれないんだろう?」でも
なんでもいいんだけど。

そんな話題があったとして……。

誰かが、「それは、『B』じゃないかなあ」と回答する。
すると、別の人間が「いやいや、『C』でしょう」と、すぐに返す。

そんなことが多い。

へたすると、「いや『B』だよ」、「いえ『C』でしょ」と続く。


「いやいや、それ、『どっちも』、だろう」と、心で思う。


「『どっちか』思考」をする人が、とても多い。

厳密に言うと
「『どっちか』思考」ではなく
「『こっちだ』思考」とか、「『これでしょ』思考」なのかもしれない。


いずれにせよ、原因を「1つ」と考えてしまいがちなのだ。


これは、判断や認識をしていく上で
かなり、よろしくないことだと思う。

もちろん、理由がシンプル、というケースもあるし
例えば、「犯人は誰だ?」みたいなケースだと
「どっちか」とか、「こっちだ」でもよいのかもしれないが
それにしたって、「複数犯」という場合もあったりするわけだ。


原因とか、理由というのは、「1つ」であることは少ない。

「お金がないから、やめました」とか
「単に『面白い』と思ったからです」とか
「赤と青を間違えてました」とか
そういう、原因とか理由がシンプルなこともあるが
普通は、いろんなことが絡み合ったり、積み重なったりしている。


誰かが部活を辞める理由だって
ある曲が大ヒットした理由だって
夫婦が離婚をしてしまう理由だって
「これ!」という、1つの理由しか存在しないことは少ないし
もっといえば、1つの理由が、大半を占める、ということも少ないだろう。

自分で振り返れば、そうだなあ、と思うはずだ。


単純なことだけど
まず、「理由はいろいろ」と思うべきだ。

なにかの理由とか原因を考えるとき
「1つだけ」を思い浮かべない。「1つだけ」考えて終わらない。

そして、自分以外の人間が別の意見を持っていたならば
「それもそうかもなあ」と考える。少なくとも検討する。

そんなことが、とても大事なことじゃないかなあと思う。

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Posted by eno at November 28, 2007 04:09 PM


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