朝、リビングのソファに座って
YMOのTechnodon Liveを見る。
家では、あまり個人的趣味なものは見ないんだけど
今朝は、なんだか見たくなった。
カミさんと息子は
ピンクのチューリップが咲くテーブルに座って
オーブンで焼いた、朝食のピザトーストを食べている。
1993年の再生ライブ。
ウイリアム・バロウズの声がドームに響いてライブは始まる。
我が家のリビングにも響いている。
この曲のLFOでシンクする白玉は影響されたなあ。
この曲の細野さんのベースラインは影響されたなあ。
などと思っていると
カミさんが、ピザトーストを食べながら訊いてくる。
「このライブも観に行ったん?」
このライブ「も」ではなく
YMOのライブに行ったのは、この再生の時しかない。
現役時代は小学生だった。行ったことがない。
残念ながら、散会時のチケットは当たらなかった。
ぼんやりとゆっくりと記憶が戻ってくる。
「行ったよ。
朝から東京ドームに行ったんだ……」
「なんで?」
再生のライブは、両日とも行ったのだが
その初日は、あまりにも感慨深いものだった。
僕はYMOで育ったようなものだ。
ビートルズでも育ったし、パソコンでも育ったし
映画でも、ビデオゲームでも育ったけれど
YMOの影響が最も大きい。
再生がどうではなく、ライブがどうでもなく
楽曲がどうでもなく、その日が来るのはあまりにも大きかった。
どうしていいかわからず
YMOの全部のCDとディスクマンを持って
開場時間のずっと前から東京ドームに行って
最初のアルバムからずっと聴いていた。
聴きながら、自分の成長の、その時々の
いろんなことを思い出して、開演を待った。
テレビの向こうでは3人が、演奏を続けている。
リビングのこちら側では、いまや家族もいて、僕らも3人だ。
あの頃、僕は1人だったのかもしれない。
テーブルの上を見ると
ピンクのチューリップが3本、優しく咲いていた。
ピザトーストを食べ終わったカミさんが
「スゥパァマァン、スゥパァマァン」と口真似をしていた。