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June 22, 2010


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Twitter社訪問と3つのキーワード。

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サンフランシスコと、ニューヨークへ行った。

ニューヨークのほうは、このblogの2つ前に書いた。

といっても、ニューヨークのお話というよりも
「坂本龍一さん宅で、坂本龍一さんと一緒に、ワールドカップを見た」
というお話なのだが、興味ある人は、ぜひ読んでいただきたい。


さて、今回はサンフランシスコである。

Twitter(ツイッター)社に行ってきたのである。

Twitter社訪問記といいながら、Twitterに滞在して僕が感じた
「90年代」、「サンフランシスコ」、「マーケット・インとプロダクト・アウト」
という、3つのキーワードについて話してみたい。


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(ロビーには、Twitter社が今日に至るまでの1歩、1歩が飾られている。
 ロビーのソファに置いてある手作りクッションが、とてもかわいい)


「アップル社が、新しいデバイスを発表する場所」であることが多い
「モスコーンセンター」という場所をご存じだろうか。
日本で例えるなら、幕張メッセ、みたいな場所である。かなり大きな会場。

僕が行った日も、ちょうど、WWDCというイベントが開催されており
「新しいiPhone発表!」の熱がまだ残っていた。

その、モスコーンセンターの近くに、Twitter社はある。


モスコーンセンターは、僕とサンフランシスコの「出会いの場所」でもあるのだ。

まだ、時代は90年代前半。
僕の人生の、大きなターニングポイントだった。

あの日、僕が、サンフランシスコにいなかったら
僕が、WARPという会社を設立することは、まずなかったし
『Dの食卓』などの作品もすべて生まれなかっただろう。

......という、そのストーリーは、もうちょっと後でお話することにしよう。


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(これは、Twitter社内にある冷蔵庫の上の部分。絵がとてもかわいい)


Twitterの社内は、写真を見てわかるように、とても元気でクリエイティブだ。

「ゆるいかわいらしさ」と「整理された感じ」という
まさに、Twitterの機能やインターフェイスを、そのまま
オフィスというカタチにしました、といったデザインで統一されている。

どこもかしこも「Twitterらしい」のだ。

ブランドというか、アイデンティティがしっかりしている。
このあたりが、「ああサンフランシスコの会社だなあ」と感じるのだ。


いまはどうか、あまり詳しくないが、サンフランシスコの会社、というのは
大きくても小さくても、ちゃんと自分の主義主張を持っている。

「自分が自分である意義」というのがなければ
そんなものは会社ではないですよ、というような雰囲気を感じるのだ。


「マーケット・イン」と「プロダクト・アウト」という言葉はご存じだろうか。

前者は「マーケット=市場」に合わせた、商売のやりかた。
マーケット分析をして「消費者のニーズ」に合わせたもの作りをする、ということだ。

後者は「プロダクト=商品」を市場に問う、商売のやりかた。
独自の企画や技術などを、マーケットに対して「どうだ!」と勝負する、ということだ。


時代によって、どっちがよいとか、どっちが悪いとか、よく言われるが
90年代というのは、「プロダクト・アウトはよろしくない」という時代だった。
作り手の「ひとりよがり」では、ビジネスにならない、ということだ。

90年代は、「マーケット・イン」が中心の考え方だった。
「売れるものが、良いものだろ?」という考え方である。
もちろん、間違った考えではないが、「良いものは売れる」なんていう考えは
どこか、倉庫の奥に片づけられていた時代だった。


そんな中でも、サンフランシスコの会社は、プロダクト・アウトだったように思う。

その精神が、僕にとっての、サンフランシスコの会社の精神であり
その精神が、僕の人生を変えて、僕の人生を救った。


そう、それが、90年代前半の話。
ある日、サンフランシスコでの、僕の人生を変えた出来事。

......と、おっと、その話は、まだ、ちょっと先に、置いておこう。


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(Twitter社の会議室。これまた、かわいらしさと整理が共存している)


「プロダクト・アウト」と「マーケット・イン」。

Twitter社というのは、このバランスが、非常に巧みな会社だと思っている。
「思想のプロダクト・アウトを、マーケットと一緒に行っている」のだ。


Twitter社は、非常に「オープン」な会社だ。

Twitterと同じ、或いはそれ以上の機能を持った
クライアントソフトを、あちこちの会社が作っているのだから。

Twitter社というのは、この点において、新しいスタイルの会社だと思う。
そして、それが、Twitter社の現在を作っている。

「みんなでTwitterを創り上げていこうよ!」という姿勢。
それは、会社に限らず、参加しているユーザーすべてに対してである。

いま存在する、Twitterの機能も
Twitter社内ではない、外部の人たちが「これは便利」「これは面白い」と
勝手に創り上げたものを、Twitterで公式に採用したものが多い。


Twitterのコアとなっている「思想」。
オープンな考え方であったり、人間の力を大切に捉えることであったり。

それ自体は、非常に揺るぎないものを持っている。
彼らは、絶対にそこは曲げない。

しかし、ほかのことに関しては、市場のみんなで判断してよ、ということである。
みんなが良い、欲しい、というもの、或いは、評価を得たものであれば
それを取り入れていくのが、Twitterのスタイルである。

しかし、「思想に反しないものであれば」である。


Twitterという会社は、「思想」という「コア」をプロダクト・アウトしている。

そして、その上での機能に関しては、マーケットの声を聞いている。
しかし、それは、単なるマーケット・インではない。
マーケットまでも、「Twitterの仲間、協力者」として捉えているのが
Twitterのすごいところだ。

「思想のプロダクト・アウトと、機能のマーケット・イン」というものが
Twitterのユニークなところであり、強みなのだ。


「プロダクト・アウトなのか、マーケット・インなのか?」という

多くの企業、経営者、クリエイターが、ずっと悩んできたことの答えを
さらっと出して、実行してしまったところに、Twitter社の成功があると僕は思っている。


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(左はTwitter社の壁。Twitterのブランドキャラクターである鳥が羽ばたいている。
 僕には、それが、彼らの思想の1つである(と思っている)、人間の1人1人が
 Twitterというパワーによって、自由に羽ばたくことを描いているように見える)


「90年代」、「サンフランシスコ」、「マーケット・インとプロダクト・アウト」
というのが、この話の大きなテーマであるが、その3つを結びつける話をしたい。


アップルという会社についてだ。

(正確には、アップル社は、サンフランシスコではないのだが
 カリフォルニア、ということで理解いただきたい。
 そして後で話すが、僕にとっては、サンフランシスコなのだ)


アップル社。
スティーブ・ジョブズという、偉大で強烈な経営者による会社。

1976年に設立された、コンピューター、......いや、情報家電メーカーだ。
いまでは、iPod、iPhone、iPadによって、誰でも知っている会社となった。

ちなみに、設立時、スティーブ・ジョブズは愛車のフォルクスワーゲンを売って
資金にしたほど、超小さな、スモールスタートの会社であったことを
一応、お伝えしておく。それがいまや、世界有数の企業となったわけだ。


しかし、90年代は、アップルという会社にとって大変な時代だった。

まず、90年代が始まったとき、スティーブ・ジョブズは、会社にいないのである。
いないどころか、会社を追放されてしまったのだ。

ジョブズは、1985年に会社を追放されたが、その舞台は取締役会だった。

「『2人の男』の、どちらかを選べ」という結果、ジョブズは会社を追放された。


その相手の男が、ジョン・スカリーであり
その、スカリーというのは、経営に苦しんだジョブズが、自ら
「マーケティング」に優秀な人間ということで、ヘッドハントしてきた人間だったのだ。

アップルという会社は、「プロダクト・アウト」か、「マーケット・イン」かを判断して
「マーケット・イン」の男、ジョン・スカリーを選んだ。
「プロダクト・アウト」の男、スティーブ・ジョブズは、会社を去った。


スティーブ・ジョブズというのは、完全な「プロダクト・アウト」の人間だ。
市場に合わせようなんて気はほとんどない。
「自分たちが市場を作っていくのだ」という精神である。

その結果、80年代に、マッキントッシュという素晴らしいパソコンを世に出したが
売り上げの不振で苦しみ、会社は、いまにも崩れそうに大きく揺れ動き
それをなんとかしようと、連れてきたマーケット・インの男に、会社を追放された。


そして、ジョブズ抜きで始まった90年代は
アップル社にとって、売却の話ばかりの時代だった。

スティーブ・ジョブズを追い出した、ジョン・スカリーも
結局は、経営の悪化によって、会社を去ることになるが
後任の、スピンドラーの仕事は「アップル社を高く売ること」だったと言われている。

しかし、何度となく、あちこちの会社と売却の話が進むが、すべてうまくいかなかった。


そんな中、マッキントッシュは強い個性はそのままに
少しずつ、市場に合わせて売り上げを伸ばそうとするのだが
「それには新しいOSが必要である」ということになり
その新しいOSの候補となる、基礎技術を持っていた
NeXTという会社を、アップル社は、400億円で買収することとなる。

そのNeXTという会社の代表が、なんと、スティーブ・ジョブズであり
それによって、スティーブ・ジョブズは、アップル社に復帰することになったのだから
まるで、映画みたいな、ドラマみたいな話である。

そんなことが、アップルという会社の90年代の出来事だ。


その後、ジョブズ=アップル社は、以前に増して強烈な
「プロダクト・アウト」の、サービスや製品を生み出した。

1998年には、デザイン溢れる衝撃のパソコン「iMac」をデビューさせて大ヒット。

そして、2001年には、iPod、そして、iPhone、iPadと......ご存じの通りである。


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(写真は、僕がサンフランシスコに行ったときのモスコーンセンター。
 Twitter社への道中。ちょうどWWDCというイベントが行われていた)


おっと、ついうっかり、アップル社の話が長くなった。

いやいや、それでよいのだけれど、僕が言いたいのは
「マーケット・イン」と「プロダクト・アウト」の話なのである。


90年代は、「マーケット・イン」の時代だった。

そして、その次の10年は、アップル社による、「プロダクト・アウト」の時代。

そして、現在は、Twitter社による
「思想のプロダクト・アウトと、機能のマーケット・イン」という
新しい時代になったのではないか、と、僕は思うのである。


......えーと、僕の話はどこにいった。。。

と思ったら、Twitter社の壁に、大きなネオンサインが出ていた。

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「TELL YOUR STORIES HERE」とある。

よし。

ここから、僕の
「90年代」、「サンフランシスコ」、「マーケット・インとプロダクト・アウト」
という、3つのキーワードを繋ぐ、ストーリーを話そう。

もう、ずいぶん長くなったから、短めに。


僕が、初めてサンフランシスコに行ったのは、90年代前半のことである。
「Mac World」という、読んで字のごとく、アップル社のイベントを見にいった。

その経緯を話すとかなり長くなるので、省略するが
ちょうどその頃は、僕が、人生で最も悩んでいた時期であった。

あっさり言ってしまうが、精神病みたいなものにかかってしまい
自分はなにをしたらよいんだか、ものすごく悩んでいた時期だった。


その頃、僕は、すでに会社の代表であり
家庭用ゲームなどの、ゲームの開発を行っていた。

といっても、作っているものは、キャラクターゲームばかり。
自分が好きな作品なんて、作れることは、めったになかった。

僕は、こんなことをやっていてよいのだろうか?
いや、よいんじゃないか? いや、よくないんじゃないか?
なんて、心の底で、ぐらぐらしているうちに、精神がやられてしまった。


僕にとって、ソフトウェアの開発というのは、下請けの仕事であり
そして、それは、キャラクターゲームの開発だった。

そんな中、たまたま、とある会社のコンサルティングの仕事をしていて
その仕事の1つで、サンフランシスコで行われる
アップル社による、「Mac World」へ行くことになった。


そこで、まず、僕は、アップルという会社の持つ、強烈な個性にやられた。

アップルという会社と、それを取り巻く、多くの企業による
アップルのカルチャーにやられた、というほうが正しいかもしれない。


そして、その夜。

これが、僕の人生のターニング・ポイントになるのだが
「Be-In」というイベントが、裏Mac World的に開かれており
そこで出展していた、様々なソフト会社との出会いが、僕を変えた。

小さな、それこそ数名の会社が、数多く出展していたのだが
まず、どいつも、こいつも、カッコいいのである。

誰に話しを聞いても、みんな「自分」というのを持っていた。
自分、というのは、そのクリエイターであり、その会社の個性だ。


誰も、「マーケット・イン」なんて考えていなかった。
誰もが、強烈に「プロダクト・アウト」していた。

自分の企画が、発明が、技術が
世の中を変える、世の中のシーンを創り上げると、信じていた。


僕は、もう、頭を、思い切り殴られたような衝撃を受けた。


なにを僕は、悩んでいたのだろう、と思った。

こうすればいいじゃないか、と考えた。


自分が「これ!」という、ゲームを作って
それをマーケットに投げてみればいいじゃないか。

それで、だめだったら、諦めればいいじゃないか。


なんで、いままで作りたくもないゲームを作って、悩んでいたのだろう。

ただ、自信がなかっただけじゃないか。
ただ、度胸がなかっただけじゃないか。
ただ、なにもやっていないだけじゃないか。


僕は、いままでの自分の生き方を振り返って反省し
帰国後、WARPという会社を立ち上げた。

「プロダクト・アウト」する会社だ。


下請けではなく、自らパブリッシャーとなった。

市場を見るのではなく、自分が信じるものを作ることにした。


あのサンフランシスコの日が、僕を変えた。
そして、WARPという会社とともに、僕の90年代の後半が過ぎていった。


そんなことを、サンフランシスコの滞在で、久しぶりに思い出した。


これは、なにかを意味するのかなあ。

意味しないのかなあ。


......なんてことを考えながら、あっと言う間の1日の滞在で
僕は、サンフランシスコを去って、ニューヨークに向かった。


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サンフランシスコは、いつもいろいろと考えさせてくれる街だ。ありがたい。

また来るね。


Posted by eno at June 22, 2010 11:12 PM


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