たまたま久しぶりに、川本真琴を見た。
聞いた。再燃した。
3年前に同じようなエントリーを書いているが
そんなこと、まったく気にせず、書いてみようと思う。
いいじゃないか、週末だし。
ちょっと付き合っていただきたい。
きっと長くなるけれど。
川本真琴は、作曲家でもあるし、自分で歌ってもいるわけだが
最も才能を感じる......、というか、天才としか思えない
「作詞家」という部分にフォーカスして書きたいと思う。
「彼女」の表現が最も出ているのは、その「詩」なわけだし。
先に言っておくが、すべての歌詞をここに載せるわけにはいかないので
検索エンジンなどを使って、彼女の歌詞を眺めるなり
YouTubeで歌を聴いて歌詞を知るなりしながら、読んでいただきたい。
川本真琴は、ずっと「あたし(自分)」と「あなた(異性の相手)」
そして、その「境界」を描いてきた。歌ってきた。
ファーストシングルは、ちょっと横に置いておこう。
(プロデュースされたデビュー曲であるだけ、と考えて)
常に、彼女の根底に流れるのは、「同一化願望」である。
ここがなによりユニークであり
彼女の詩世界の全てを、常に、彩り、輝かせている。
2曲目のシングル、『DNA』という曲の歌詞から
「身体なら1ッコでいいのに」と、わかりやすく、それは現れている。
この曲は、「あなた」と「あたし」、という2つの存在
本来なら「1つの存在でないか」と、信じたい、彼女の歌だ。
「身体が1ッコになれたらいいのに」ではなく
「身体なら1ッコでいいのに」と歌っている。
「身体なら1ッコでいいのに」と、自分の内面から湧き出てしまう
コントロールできない感情、思い、動物的な気持ち、を
そして、「1ッコでいい」と願いつつも、相手と、自分という存在が
「抱き合ったらこんがらがっちゃうよね」と、絡み合う二重のヒモを
『DNA』とまとめて表現しているところが、素晴らしい。
3曲目のシングル、『1/2』もまた、「同一化願望」を歌っている。
もはや、タイトルの『1/2』から、それは現れているんだけど。
「境界線みたいな身体がじゃまだね」という歌詞は
『DNA』の「身体なら1ッコでいいのに」と同義である。
彼女は、常に、願望として、「1つであること」を求めている。
だけどしかし、「1つ」ではなく「あなた」と「あたし」という
2つの存在であるからこそ、「同一化」という
願望、欲望も生まれてくるのだ、ということも知っていて
その行ったり来たりの道程を、苦悩と希望で、表現している。
それは「若さ」の表現である。
そして、次のシングル曲が、『桜』である。
「同一化願望」という、常に流れる気持ちは、そのままに
前の2曲とは、まったく異なるアプローチでそれを描く。
天才が、しっかりと天才を表現して伝えることができた曲である。
この曲では、「同一化願望」という、「身体」的なことは未来に置いている。
学校という空間、そして時間のおかげで、「あたし」と「あなた」は
なんども「一緒に」いることができた。
しかし、卒業が訪れる。
「卒業」というシーン、仕方なしに訪れてしまう「その時」を舞台に
「ずっと一緒だった」、できれば「1つになりたい」と思っていた
その相手と離ればなれになり、「1/2」になってしまう
その「瞬間」を描いている。
歌の前半では、「あたし」と「あなた」が
そこにいた「証拠」を、それがそこに「絶対にあった」ということを
振り返って「確認」している気持ちを描いている。
「かたっぽの靴がコツンてぶつかった」思い出。
「あたし」と「あなた」の「窓際ならんだ席」。
「絶交だって彫った横に今度こそ絶交だって彫った誰も気付かない机」。
しかし、「卒業」という、そのときは訪れる。
そのときが、訪れてしまった。
まだ、心も身体も「1つに」なれていないくらいの、状態であるから
「卒業」というタイミングによって、離ればなれになってしまう2人。
彼女は歌う。
「桜になりたい いっぱい 風の中で いっぱい
ひとりぼっちになる 練習してるの
深呼吸の途中...... できない できない できない」
そのときが来て、桜が散る中
「ひとりぼっち」になってしまう、明日を、想像してみる。
「ひとりぼっち」になった「あたし」を、考えてみる。
わかったのは、「無理、無理、絶対無理っ!」ということ。
「できない、できない、できない!」
「できない、できない、できない!」と明るく歌う
明るく歌えることができるのは、学生であるという
希望に満ちた、これからの未来が長く存在する、若い「いま」である。
だから、明るい。
だから、爽やかである。
だから、その悲しさが、独特の色を持って表現される。
散りゆく、桜の中
散りゆく桜と同化して、ひとりぼっちになる自分を考えてみたところで
それは「できない」、できるわけがない、という
あっちでも、こっちでもなく
ただ流れる時に身を任せながら、その不安さえも
深刻に考えることすらできないどころか
それをどこか楽しむことすらできる、明るい未来に開かれた
卒業というその時。
天才すぎる。
こんなに見事に、若く、揺れながらも流れる
その時間を、描いた作品があるだろうか。
例え、文学であっても、そんなものは、ほかに存在するのだろうか。
そして、歌の最後。
「『あたし』と 『あたしの手』が 『あなた』に ふれた時
できない できない できない」
誰か、ノーベル文学賞、与えてくれ。