enoblogbanner2011.png
kenjienotwitter.png


December 21, 2008


linepen.jpg
『OutRun』を思い出す。思う。

outrun.jpg

思い切り古い話で申しわけないが
突然、『OutRun』というゲームのことを思い出した。
きっかけは、年明けちょいに出る予定の
『newtonica2 Resort』の曲で波の音を使ったことから。

単なる「波の音」という、繋がりだけなのだが。

音というのは面白いもので、突然、古い記憶が蘇る。
人によるのかもしれないけれど。


『OutRun』について、いろいろ思い出した。
当時も、いろいろ思ったのだけど。
いろいろ思ったおかげで、いろいろ考えてしまった。

もちろん、既に高く評価されているゲームではあるが
いまになって、このくらいの距離が出来て、思うことは
このゲーム、僕にとって、かなり大きな分岐点となったのでは、ということ。
或いは、ゲームというものにとって、大きな分岐点となったのでは、ということ。


過去になんども、好きなゲームとか、影響を与えたゲームとかいう
質問を受けたとき、『OutRun』を挙げたことはなかったと思うが
実は、偉大なゲームだったのではないか、と、いま思う。
いや、当時から偉大だったんだけど、なんというか、よくわかった。


『OutRun』というゲームは……と、本来なら
ゲームの内容とか、当時の背景を説明してから、いろいろ書くべきなのでしょうが
面倒くさいからやめます、申しわけない。

『OutRun』というゲームを知っている人に向けて書きます。すいません。

どうしても、という場合は、Wikipediaで、でもなんでも調べていただければ。

いちおう、映像も付けておきます。が、インタラクティブなんでね。

『OutRun』が、自分にとって、不思議な位置にあるのは
まず、その登場したタイミングが、1986年ということ。
僕が、ゲーム業界に入る、2年前なんです。

それ以前に、子どもの頃からいろんなゲームに衝撃を受けて、ハマっていたが
ちょうどこの頃に、ここまで衝撃を受けて、ハマったゲームはなくて
また、その後、ゲーム業界に入って、「作り手側」になってからは
ゲームというものを見る目も当然のように、変わってしまっているのと
なんといえばよいのか、例えていうなら、ものすごく深い恋愛をしたんだけど
翌年、ロンドンに引っ越すことになって、それから人生バタバタで
その恋愛のことを、もちろん覚えてはいるんだけど
客観的に考える時間を失ってしまった、というか、そんなような感覚。


本題。
細かいことを書き始めると、ずっと終わらなくなるので
あまりにもざっくり言いますが、「ある気持ちよさ」というものを
そして、その、新しい感覚と価値を、「ゲーム」にもたらした作品であったように思う。

もちろん、当時から「気持ちいい」と思っていた。
が、その「気持ちいい」のレベルというか、やっていることの、過去のゲームとの差
そして、自分にきっと与えた影響の強さというのが、ものすごいということを
いま改めて思う。思った。

もしかしたら、「SEGA」というブランドは、僕にとっては
このゲームで大きく形作られたのではないだろうか、とまで思ってしまった。


『OutRun』というゲームは、あらゆる面で、ものすごく気持ちいい。

新しい気持ちよさ。

ある世代にとっては、それが『Wipeout』ではないだろうか、と思う。
そういう新しさ。僕にとってはずいぶん異なる経験だけれど。
そのクリエイティブと功績も含め、「その前」と「その後」では、ゲームというものが
なにかしら変化したとも考えられる、気持ちよさの表現。


ハンドル回して気持ちいい、筐体まで動いて気持ちいい、道路が上下にうねって気持ちいい。
ほかの車のガクっとした動きも、それを抜く感覚も、ブレーキの音まで気持ちいい。
なにより、曲が気持ちよくて、その曲が選べるというのが気持ちいい。
車線が多くて道路が広くて、常に一方通行の、「抜く」だけのゲーム。
広がる青い空が気持ちよく、乗っているのはフェラーリだし、横には女の子も乗っている。


いや、そんな1コ1コ、1つ1つのことではないのだ。

道路脇に建っているショップの色から、椰子の木と青空のコントラストから
シートに座った感覚から、ナナオのモニターの発色の良さから
もう全部が気持ちよくて、というか、全部が気持ちいい、を目的に作られている。

それが凄いなと、純粋に思うのだ、いま。


持っている「気持ちよさ」というものの質が異なっていた。
幅が広く、楽しくて、ウキウキして、それが受けたくて、何度もプレイした。

ちょっと乱暴に書けば、自分にとっては
それまでの友達と違って、1つ学年が上の友達ができたような。
そんな感覚があった、当時。

当時、ちゃんとした目で見れば、相当ぶっとんでたんだろうなあ、と思う。

凄いところが、表面的なことだけではなくて
また、こちらに、それをちゃんと理解する能力が、当時はなくて
というか、純粋に面白くて、気持ちよくて、何度もプレイしただけだったから
あまり、そういうふうには、考えなかった。


あれから、いくつものドライビングゲームが登場し
僕はかなり好きなジャンルで、最近出たのでは『BURNOUT Paradise』が面白かった。
もちろん、ほかにもいっぱいある。

だけど、『OutRun』が与えてくれるもの、表現していた気持ちよさは
ほかにないのではないだろうか、と思う。
これは、古い、新しいに関係ない話で。
可動筐体とか、そういうものを抜きにしても。

古いゲームは面白い、という話をしているのではない。
『OutRun』は、気持ちいい、という話だ。


最後に。
なにが凄いって、『OutRun』の開発者である、鈴木裕が、SEGAに入社したのが
1983年で、このゲームのリリースが1986年ということ。

その前年に、『ハングオン』、『スペースハリアー』、そしてこの『OutRun』と
もう、「ちょっと何言ってるかわかんない」と、サンドウィッチマンの台詞を思い出すくらい
ものすごい流れである。

さらに翌年は『アフターバーナー』だから、鈴木裕というか、AM2研というか
SEGAという会社は、ほんと、考えられないくらいのヒット連発だったわけだ。
ヒットしたというだけじゃなくて、それらが残したものが、なにより凄いんだけど。


裕ちゃん……と呼んでいたのが、急に申しわけなく思えてきたが
裕ちゃんは、仲良くなった頃、『バーチャファイター』の人だったので
いま思うと、『OutRun』の話を、もっとすれば、聞けばよかったなあ。
ま、いまからでも遅くないんだけど。


裕ちゃんと、初めてしっかり会ったとき、『バーチャファイター2』で対戦してもらって
僕がそこまで上手いと思っていなかっただろうから、なんだけど
いきなり僕が勝ってしまって……、そのときの顔を今でも忘れられない。

ものすごい強い眼光の笑顔で、「ちと、もう1回」と、再戦を申し込まれた。
横から見たあの笑顔。「殺してやるぞ」みたいなあの笑顔。
それで、僕は彼のことが、好きになった。仲良くなった。

ちなみに、再戦は負けた。


『OutRun』というのは、ゲームでこんなことも伝えることができるんだよ、と
僕に、教えてくれた作品のように、いまやっと思う。

鈴木裕、そして、AM2研、SEGAは、どうして、あんなものが作れたんだろう。

どうして、あんなに、高く青い空を眺められたのだろう。

そのくらい異質だ、当時。

いまやっと思う。

この曲が、思い出したきっかけのエンディング曲。波の音が入っている。
メロディじゃない動きがすごくいい。


Posted by eno at December 21, 2008 02:03 AM


そのほかのブログ記事(最新30)