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January 18, 2008


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クラシックの「ライブ」というドラマ

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昨晩、東京を離れた、打ち合わせの帰り
仕事先の方と、クラシックの話になった。

僕が「ライブはいいですよー」と。
その場の雰囲気や、オーケストラやソリストのキャラクター
そして、なにより、指揮者のまとめかた、持っていきかたで
演奏が変わっていく楽しみを説明した。

それが(それだけじゃないけど)
クラシックという、同じ曲を、なんども、なんども
違う指揮者+異なるオーケストラ+そのとき・その場所で
楽しむ醍醐味ですよ、と説明した。

うまく説明ができているか、届いているか、不安に思う。


そして、「カラヤンとキーシンが演奏した、ライブがあるんですよ……」
と、「良い例」を思いついた。思い出した。

それが、カラヤン指揮+キーシン(ピアノ)+ベルリンフィルによる
「ニューイヤー・イブ・コンサート1988」である。
そのDVDを貸して、見て頂こうと提案した。


クラシックは、レコードやCDではなく
DVDという映像で見る・聞く価値がここまであるのかと
僕が心から感じた作品、「ニューイヤー・イブ・コンサート1988」。

このとき、指揮のカラヤン80歳。
ピアノのキーシンは、神童17歳。
その差は、なんと63歳!


ご存じ、ザルツブルグ生まれのカラヤンは、偉大なる指揮者。
4歳でピアノを始め、8歳で音楽院に入り指揮を学ぶ。
60年代〜70年代に最盛期を迎え、帝王を呼ばれるようになり
その後も数々の名演を残し、伝説を残し、あらゆる賞賛を受けて
このとき……しつこいようだが、もう80歳。

対する、モスクワ生まれのキーシンは、2歳でピアノを始め
10歳でデビュー、11歳で初リサイタルという天才少年。
12歳でショパンのピアノ協奏曲を発売。まさに神童。
そして、15歳、ベルリン芸術週間でヨーロッパにセンセーションを起こす。
その神童が、カラヤンに招かれ、ベルリンフィンと演奏。
このとき……しつこいようだが、まだ17歳。

「親子」どころではない、「おじいちゃんと孫」だ。


観客の大きな拍手の中、後に歴史となる、ライブが幕を開ける。

まず、現れるのは、アフロヘアの、キーシン。
緊張のあまり、ステージに向かってロボット歩き。
手を振らない、膝を曲げない。というか、振れない、曲げられない。
客席に向かって礼、オーケストラに向かって礼。
もじゃもじゃ頭で、ぎこちなくお辞儀する男の子を、世界最高のオーケストラが見つめる。
するとキーシンは、突然ステージ横へ。
ステージに上がろうとする、高齢のカラヤンに手を差し出し、招き入れた。

キーシンが、カラヤンに振れた瞬間から、伝説が始まる。


演奏するのは、チャイコフスキーのピアノ協奏曲、第1番。

ピアノ協奏曲の代表とも言える、この曲。
過去に、あらゆるピアニストが弾いて、弾いて、弾き重ねてきた曲である。
1世紀もの間。
名演と呼ばれる演奏が、いくつも、いくつもあるこの曲を
メジャーデビューとも言える舞台で、演奏するのは、リスキーと言える。


このときの、この2人の、それぞれの状態、気持ち、心を想像してほしい。

何度も書くが、カラヤンは80歳。
巨匠と呼ばれ、帝王と呼ばれ、あらゆる賞賛と名声を、手にして円熟。
そんな彼が、ニューイヤー・イブ・コンサートという大舞台に招き
白羽の矢を立てたピアニストが、まだ音楽学校にも入学していない
17歳のキーシンである。

カラヤンは若い音楽家との交流も有名だが
実際にベルリンフィルのような舞台で、17歳という若いソリストと
共演するなんてことは、あまりにも、まれなこと。

しかし、どんな理由であれ、背景であれ、招かれたキーシンにとっては
ベルリンフィルとのニューイヤー・イブ・コンサートが、挑戦の大舞台となる。
この舞台で、成功して賞賛を浴びるか、失敗して罵声を浴びるか
未来が大きく分岐している、分かれ道の、その最初のところに立っている。

白羽の矢が立った、17歳の男の運命。
白羽の矢の語源のように、神への生け贄となってしまうか、否か。


カラヤンという、偉大な指揮者の前で
ベルリンフィンという、世界一のオーケストラの前で
ニューイヤー・イブ・コンサートという、大きな舞台で
自分は、どうパフォーマンスをするべきか。

無難に「上手い」演奏なんて、誰の記憶にも留まらない。
上手いのが当たり前の舞台なのだから。
上手いピアニストなど、いくらでもいるし、カラヤンがわざわざ
若いキーシンを招いた、その理由は「上手い」などというところにはない。
キーシンは、この舞台で、「キーシンの演奏」というもの
「キーシンの音」というものを聞かせなければいけない。


カラヤンが指揮棒を振り、有名なホルンのフレーズが鳴り響く。
そして、オーケストラ全体が厚く美しく重なる。
キーシンのピアノが始まる。

キーシンが、どう演奏するか
カラヤンが、それをどうまとめ、どう指揮するか
それに対し、キーシンがどう反応していくか
これは、ぜひ、DVDの映像を見て、音を聴いてほしい。

上の説明のような、「その後ろにあるもの」、「人間の気持ち・心」
というものにフォーカスしながら、見て聴くことで
単なる楽曲ではない、クラシックのライブ、という楽しみが掴めるはずである。


ちょっとだけ言うが、まるでロックミュージシャンのように身体を動かしながら
口をパクパクさせてピアノを弾く(しかもアフロヘアー)
キーシンの若い演奏は、ほんとうに素晴らしい。
あまりにも、いきがよく、元気で、軽やかだ。

第一楽章の途中、乗ってきたキーシンが、若く強いピアノを奏でるシーンがある。

オーケストラとの演奏が流れる中、カラヤンは指揮棒を止め
キーシンのほうを向いて、胸に両手を合わせるジェスチャーをする。
言葉は発していないが、「もっと優しく」とカラヤンは伝えようとする。
円熟の帝王が、若きピアニストに、「気持ち」を伝える。
すると、その気持ちに即座にキーシンは反応し、音色が突然、優しく変化する。
すると、カラヤンは、「そうだ」と言わんばかりに大きく頷き
また、オーケストラのほうを向いて、指揮棒を降り始める。
そのときのカラヤン、うっすらとだが微笑んでいる。

もう、僕にとっては、名場面である。


この素晴らしいセッションを、2人の心を感じながら、ぜひ見て、聴いてほしい。


「のだめカンタービレ」で、クラシックのリスナーが増えたという。
それは、とてもよいことだと思う。(僕も漫画は読んでる。大好き!)
しかし、この2人のライブ、ベルリンフィルとの演奏は、リアルだ。
リアルだから感じられる、リアルだから感動できるものがある。


このライブが終わった後
カラヤンは、キーシンと、キーシンの母親に向かって、こういったそうだ。
「天才だ」と。

その言葉を、母親の横で聞いた、キーシンは、どんな気持ちだったのだろう。
どれだけ、自分のいままでの時間、存在、これからの未来が輝いたのだろう。

カラヤンに対して、どんな感情を抱いたのだろう。


しかし……、この僅か半年後に、カラヤンはこの世を去ってしまう。

そう、これはカラヤンの、最後の映像作品でもあるのだ。

あまりにも、ドラマティックではないか。

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Posted by eno at January 18, 2008 01:46 AM


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