朝、品川を離れ、しばらくした後、新幹線がホームに着く。
最近は週に2往復しているから
月に16回以上、新幹線に乗っていることになる。
のぞみポイントサービスがあったら
ミッフィーのお皿セットくらいは入手できただろう。
エスカレーター下り。
改札に向かおうとすると
人にガンガンぶつかりながら
エスカレーターを下りていく人がいる。
なんだろうなあ?
と思う。
人生をかけたような重要な仕事に
ギリギリ間に合わないかもしれないとか
その人のお嫁さんが産気づいてしまったとか
そういうのなら、まだいいんだけど、そうでもないだろう。
そんな人が何人も何人もいるとは思えない。
あの10秒くらいの差が、そんなに大切なのか?
そういうことが積み重なっていったとして
人生において、もしくは、今日1日において
その数十秒とか、数分が、そんなに重要なのだろうか?
「時間は大切だ」
という意味を、間違って覚えてはいないだろうか。
小さい頃、人の目も気にせず
閉まりかけた電車のドアに入っていくおっさんとか
非常識な場所に自転車を止めるおばさんとか
「そういう人間だけにはならないぞ」と思ったこと
その大事な感覚を、もう忘れてしまったのか?
エスカレーターに関しては、思うことがあるので、また、それは今度。
だけど、みんな、どうしちゃったんだろう?
エスカレーターの駆け下りもそうだし
メールしながら人混みのなかを歩いてみたり
先日は、エレベーターの中でDSやっている人がいて
「せめて、いまはええやろ!」と悲しくなった。
その姿は、魅力的か?
優しいか?
カッコいいか?
尊敬する人は、そんなことしてるだろうか?
美しいかい?
「行動」が大切になっていくと思っている。
佇まいというか、日頃の態度といいますか。
ルックスや、メールの文章などでは
その人の個性は、だんだん見えなくなっていく。
いくらでも真似ができる。いくらでも嘘がつける。
人を見るとき、その人の
ちょっとした目の配り方や、ちょっとした動きを見ている。
そこに「その人」が、よくでている。
いずれにせよ、たった数十秒。
「自分を見失わないための、テストの時間」と捉えてはどうだろう。
子どもの頃、「ダメおやじ」というマンガを読んだ。
うろ覚えなんだけど、その中で、踏み切りのシーンがある。
降りかけた遮断機を、くぐって、慌てて向こう側へ行く人に対して
「そんなちょっとの時間、どうでもいいじゃないか」みたいなことを
言うセリフがあった。僕は、今日まで、思い切り同意している。