enoblogbanner2011.png
kenjienotwitter.png


August 30, 2007


linepen.jpg
島ライフ

oniwa070830.jpg

完全に、連日の仕事詰め疲れからくる逃避だけど
こんなとき、いつも「島」のことを、ぼーっと考える。

「島」に憧れる。
もう15年くらい憧れているから、かなり本気だ。
「憧れ」という対象は、そこに近づいたり、自分のものにすると
飽きたり、魅力を失ってしまうものが多いけど
島の場合は、そこからが面白いから、それもないだろうと思う。

そう、島で暮らすこと。
島ライフだ。


別荘的に、島「も」所有して、とかではなく、人生を完全に島へ。
ずーっと島で暮らしたら、どんなんだろうなあと思う。

人生を振り返ったとき、ずーっと東京などで暮らした人生と
どこかで、島ライフに切り替えた人生では
どう考えても、後者のほうが満足度高いように思える。


ずーっと島で暮らす、というのは、半分、世捨てみたいなものだ。
島でもできる仕事をして……というわけではなく、もう仕事もしない。
ここでいう仕事というのは、一般市場というか、主世界というか
メジャー社会と関わる仕事、という意味で。
だから、「仕事はもういいや」と思える状態でなければならない。
お金の問題だけではなく、気持ちの問題のこと。

創作とか、頭や身体を使うという意味では
島の暮らしをより良くしたり、より楽しくしたりなど
島ライフ向上のための活動で、充分に満たされると思う。

問題となるのは、社会との接点だ。
世捨て人になるのだから、社会になにかを問いたいとか
社会に対してなにかを試してみたいとか、そういう欲に対して
「もういいや」と、完全に割り切れていれる状態でなければよろしくない。
社会との接点を持ちたくなってしまうからね。


「島だけ」で暮らしができるようにするには
自給自足で生きていける環境を作る必要があるけど
基本的に、電気と水道とだけなんとかすればよいでしょ。
緊急時のこと考えて、インターネットは必要か。
いや、そういう接点すら捨てるか。

食べるものは、野菜や果物と魚介類。
いざとなったら、VEGANになってもいいし。
野菜や果物、魚介類が豊かに捕れる島を選ぶ必要があるね。


さて、問題はなんだろう。
お金のことは、つまらないので、置いておく。

問題は、家族を持っている、ということだよなあ。
自分1人の人生じゃないもんなあ。
あたりまえだけど。
長男が小学校3年生、加えて、生まれたばかりの子もいる。
成人まで待つよなあ、ふつう。
それに加えて、カミさんの同意が必要。
1人じゃ寂しいもんね。
もちろん、複数家族でという選択もある。

あとは、責任感とか、国に対する恩などかしら。
この世界をもっと良くしようと思わないのか、とか。
自分が生まれ育った国に対してなど。
これは、そのときになってみなければ、わからないや。


という、孤立の島ライフ。

これって、「ひきこもり」なわけだけど。
こういうスタイルの、ひきこもりってのはどうでしょ。

社会の中で閉じこもるのではなく。
社会からエイッと飛び出してしまう。
自分のスペースから出ない、というのは一緒だね。

いま居る社会よりも、島ライフのほうが
「良い」から、そっちを選択するわけではなくて
限りある人生、そっちを選択したほうが面白いんじゃないかという考え。

旅行先で6日間、時間があるとき
最後の1日や2日くらい、なにもないかもしれないけど
隣町にでもいってみようか、みたいな、そんな感じ。


いろんな条件や問題があって、いまはできないわけだけど
実際に、条件揃って、問題クリアしたら、どうなんだろう。
完全に「捨て」と、判断できるのだろうか。
それとも、社会に未練が出てくるのかなあ。

そんなことも含めて、島ライフ。
そっちいってみたいなあ。

そのくらいして、はじめて
「自分はなにがしたいんだ?」というのがわかる気がする。


Posted by eno at August 30, 2007 05:08 PM


そのほかのブログ記事(最新30)