意外と(失礼)面白かった、映画『デスノート』前編。
むっちゃ忙しい中、無理して見に行ってよかった。
既に観た周囲の反応が悪かったので、期待せずに
「ちょっとでも得るものあったらいいなあ」くらいで
観たのがよかったのかもしれないけれど、楽しめた。
ただの「原作そのまま映画化」、だけど「違いがいっぱいでガッカリ」映画
かと思っていたら、そうじゃなかった。それなりに面白かった。
まだ前編だから「それなりに」以上の評価にはならない。
期待しすぎずに観に行けば、それなりに楽しめる作品だ。
前編だけで「うわー、めっちゃ面白!」という映画ではない。
原作がすでに存在し、それを既に読んでいるからだ。
設定だけ活かして、全然違う物語にすれば、そうできるかもしれないが
そうでなければ、そういう映画にはならないだろう。
だから、後編は期待できる。
後編は、ある程度自由に展開できるはずだからだ。
そして、そのために前編はあったのだと信じたい。
ただ、気になるところはいっぱいあった。
いつもは「エンタメだから細かいとこ抜きでオッケー!」
っていうほうなんだけど、やっぱし気になっちゃったなあ。
『DEATH NOTE』ファンとして
めずらしく、中身にちょっとだけ触れたblogを書こうと思っているので
観る予定がある方は、ここから先は読まないほうがいいかと思います。
==少しネタバレしております==
まず、主人公、月の「冷静な天才少年」が描けていない。
最初のバスケのシーンは、運動能力じゃなく「天才さ」を演出する
別のシーンに変えたほうが良かったんじゃないかなあ。
腐った世の中を味わうために行く、ヘンテコな飲み屋だかクラブも
その演出、できたと思うんだけどなあ。
ていうか、あのシーンの時間、月の「完璧」「天才」「冷静」の
どれかに使えたと思うなあ。
そんな理由もあって、映画の月は
「恐ろしいほどに完璧なのかも!」な感じがなく、危うさを感じちゃう。
リュークと喋っていて、ドブに落ちちゃいそうな月だった。
Lも、思いつき推理みたいに感じてしまうところが多い。
だから、「月対L」が、弱いんだよねえ。
ま、月とLの、読み合い、せめぎ合いの緊張感はきっと後編ですな。そう信じよう。
あと、月の「詩織ならわかってくれるさ(たしか)」という台詞はいらなかった。
リュークの「詩織にお前がキラだとわかったらどうなる?」という問いに対する台詞。
それだと、DEATH NOTEを使っているうちに、心変わりした月になってしまう。
月は最初から「目的のためなら…」というキャラじゃないのかしら。
で、最もどうかと思うのが…。
ネタバレと書いても、観ていないのに読んでいる方もいらっしゃると思うので
ボカして書きますが、最後のほうの、オリジナルな物語のシーン。
月がペンを出しかけますが、そりゃずるいでしょう。
ずるいというのは、観客に対して。
ま、それで、ひっかけようというのはわかるんですが、そりゃずるい。
月がそうする理由ないもの、どこにも。
だって、自分で仕組んだ「予定」なんだから。
「誰か」に見せている、というのも、怪しまれる意味ないし。
ずるいとかずるくないとか、そういうミステリマニアみたいな視点を外しても
その行動あり得ないから、ちょっとあかんですわ。
と…、批評っぽくなっちゃったけど、僕は好感持てました。
後半が思い切り楽しみです。
その「自由度」にもよりますが、傑作ができる可能性、あります。
最後のポテチ、「わかってんですよ」てことでしょう。
後編に期待!
それにしても、ガラガラ。21時からの回だったからかなー?
21時からは1200円なので、お得でした。