息子の手。
赤ちゃんの手。
赤ちゃんの手は無限の可能性を持っている。
そこが好きだ。
この手が世界を変えるかもしれない。
この手が世界を破滅させるかもしれない。
あり得ないかもしれないが
赤ちゃんの場合、その可能性がちゃんと存在する。
もちろん、そこまでではなくても。
これから、どんなふうに成長するのか、まるでわからない。
まるでわからない、というのは、あらゆる可能性を持っているということだ。
そんなことを思ったら、こっちを向いて笑った。
ん?
しかし
どうして
自分には、その可能性がない、と思ってしまうのだろう。
これからの人生によっては
自分が世界を変える可能性はない?
これからの人生によっては
自分が世界を破滅させる可能性はない?
どうして、自分で自分の可能性を制限しているのだろう。
先日、日本テレビの土屋さんにお会いした。
「ロシナンテは、いまどうしてるんですか?」とか
先方にはなんの特もない質問を多くさせていただいた。
その後、岡本太郎さんの話しになる。
やがて、大阪万博の「太陽の塔」の話題になると
土屋さんはおっしゃった。
「大阪万博の太陽の塔のとき、岡本太郎さんは58歳なんですよ。
すごいなあというのと、それを知って、自分も
まだまだだかあ、と思えるんです」
すごいなあ、岡本太郎さんと、そう感じられる土屋さん。
しかし、太陽の塔、どう見ても使徒。