飛行機で、東京に朝、戻る。
羽田に7時台なんて、久しぶりのことだ。
離陸から着陸まで、ずっと窓から外を見ていた。
雨の中を飛び立って、雨の滑走路に滑り降りた。
離陸。
さっきまでいた飛行場は、あっという間に小さくなり
低い雲の層に入っていくと、機体がガタガタと揺れる。
雲は幾つかの層にわかれており
何度か視界が灰色になりながら、やがて雲の上に出た。
ここはもう、雨が降っていない。
雨だ、晴れだ、曇りだというのは
目下に見える厚い雲の下の世界のことだ。
ほとんどなにもない、雲の上の空間は別の世界のようだ。
なんといっても、雲の上は静かだ。
そして、下の世界は賑やかそうだ。
僅か、半世紀ほど前だったら見ることが難しい景色を
僕は見ている。見ることができる。
同じように、僅か、半世紀ほど過ぎれば
また違った景色を見ることができるだろう。
朝の羽田空港は、とても賑やかで忙しそうだった。
ちょっと前までいた、あの静かな世界を思い出すと
心の中が、スッと静かになった。
先週末のパーティは、大勢の人に来ていただいた。
160〜170名くらいということ。
ありがたい。
とても賑やかで楽しい夜になった。
大勢の人と会話し、大勢の人と笑った。
TOBYちゃんもEBZちゃんも楽しそうにしていた。
今度はいつになるかわからないけど
皆様、また、ぜひいらしてくださいませ。
来ていただいた方、ほんとうにありがとう。
新幹線で東京に戻ってきた。
N700系は快適だ。
びゅんびゅん急いで戻ってきた。
これから準備して、ライブへ突撃。
忙しくも楽しい今日という日。
まだ、間に合いますので、みなさん、是非!
今夜、23時からです。
盛り上がりましょう!
早いもので、もう明日になります
Departure Loungeでのイベント。
23時からのEBZとのユニットEBZENOは
当初は予定になく、ふと思って「やろう!」ということになったんだけど
打ち合わせ&練習ナシの、どうなるかわからない、というスタイルが
予想外にめちゃくちゃ楽しみになっている。
出演者本人が楽しみにしていてもしょうがないけど
こういうモチベーションは、大事なことだなあと思った。
DJ……というか、僕の場合は、ターンテーブルやCDJを
回すわけではないので、ラップトップのライブDJなわけですが
それに対して、EBZENOがあるおかげで、自分の中で区分けができる。
どうなるか本人もわからないくらいのカオスな
ワールド設計のワク自体も、そのとき動いてしまうようなもの。
そちらの、オーガニックな方面は、EBZENO。
ライブDJのほうは、逆で、僕なりに思うテクノ。
それはDJミックスだったり、選ぶ楽曲だったり
来ている人の顔を見ながら、展開していくわけだけど
なんというか、自分の世界があるわけで、それが伝わればと思う。
このblogを見ていてくれて
実際に足を運んでくれる方が、どれくらいいるかわからないけど
来ていただける人は、そういう風に見ていただけると
よりマニアックに楽しめると思います。
EBZENOは、頭の23時からプレイして
僕のライブDJのほうは、もっと深い時間からやります。
僕の出演以外にも、大好きなEBZさんのプレイも楽しみだし
TOBYちゃんは、明るく楽しく、盛り上げてくれるでしょう。
この3人が、同じパーティでプレイをするというのは
99年の『D2 PARTY』以来なんですよね。
仲良し3人組なわけだけど
僕の中には、そんな思いもあって、明日を迎えます。
木曜日の夜なんで、難しいなァと思う人も多いと思いますが
ぜひ、来ていただければ、嬉しいなあ。
来たら、声、かけてくださいね。
詳細は、ちょっと前のエントリーにありますので省きますが
麻布十番のDeparture Loungeで、23時からとなります。
ハコも良いハコですので、お1人でも大勢でもぜひ。
直接来ていただければOKです。
たまたま連発しておりますが
4月12日にロフトプラスワンで行われる、ヨシナガさんとのトークライブ。
こちらの、『飯野賢治とヨシナガの気になること。』のほうは
チケットが売り切れてしまうと、入場ができなくなってしまいますので
遊びに行こうと思っているかたは、早めにチケットをよろしくお願いします。
もともと席数もそんなに多くありませんので。
もう残り1/4くらいじゃないですかね。
お早めに!
それでは、明日、会えたら!
タクシーに乗ったら
狭い道で対向車がやってきた。
運転手は怒っている。
どっちもどっちなんだから、怒ることないのになあと思う。
どちらかが下がれば早いと思うが
互いに譲らず、ギリギリのところで、ゆっくりゆっくりとすれ違う。
すれ違い終え、進むと
「下がりゃいいんだよ、まったく!」みたいなことを言って
また、怒っていた。
客商売なのになあと思う。
僕が怒るならまだしも。
穏やかにいこうよ、と思う。
それはそれとして、どうして
車に乗ると、急に荒っぽくなる人がいるのだろうか。
たまに。
普段は、そんな感じでもないのに
一緒に車に乗ることになって、こちらが助手席にいると
「オイォィ! あぶねーなー!」とか
「んだよゥ! 信号変わっちったよ!」とか
突然、性格が変わる人がいる。
ちょっと引く。
なんだろう。
車によって、自分の身体が拡張したみたいな感じになって
強くなったような気になるのだろうか。
パワードスーツを着たみたいに。
車を運転、車に触れていることで
デカく強くなったような、そんな感覚だろうか。
そう思えば、インターネットという
それこそ身体拡張ツールを使っていると
オンラインでは、普段より、荒っぽく強気になる人がいることも頷ける。
そう思えば、ウチのカミさんも
台所で食事を作っているとき、荒っぽい気がしてきた。
そんなことないか。
気付けば、オフィスの庭の桜が咲いていた。
それだけのことなんだけど
「春が来たなあ」という気持ちになった。
やはり、わかりやすい合図は必要なようだ。
仕事が一段落して、次に進む。
昨晩、さて進みましょう、ということになった。
正直、ひといき、という気持ちだったが、その余裕はない。
任務完了、即、次の指令が待っているスパイのようだ。
ラブ仕事。
ストレスはない。ありがたい。
ときどき、客観的になる。
スイッチを押したように、仕事の頭から離れ、俯瞰視点になる。
パッと電気がついたように、自分の置かれている状況が見えて
ありがたいなあという気持ちになる。
とてもいい状態なのかもしれないなあ、いま。
週末、家族で、「海の見える駅」に行った。
といっても、品川から僅か30分。
「海芝浦」という名前の駅だ。
ホームから海が見える。
というか、ホームの横はすぐ海だ。
駅名にも「海」という文字が入っている。
ちょっと前に、この駅の存在を知って
行ってみたいなあと思っていた。
というのも、この駅、海が見えるというだけではなく
「降りることのできない」駅なのだ。
駅というのは、電車が止まるために存在する。
なぜ、電車が止まるかというと、乗ったり降りたりする人がいるからだ。
しかし、この駅は、降りることができない。
というのも、この駅のすぐ側に、東芝京浜事業所があって
東芝の社員(と関係者)以外は、降りることができないのだ。
改札の変わりに、社員証みたいなものを見せる場所があって
それを見せないと、降りることができない。
そんな縛りと、海が見える、ということで
まぁなんてステキなんでしょう、と、わくわくして行ってみた。
いちばん上の写真がそうだが
電車がホームに止まっていて、その横が海、というのは
それだけで、遠くに旅に出た、という気分になる。
ビジュアルが脳に与える影響というのは大きいものだ。
品川から京浜東北線に乗って鶴見駅まで。
そこから鶴見線に乗って、終点が、この「海芝浦」駅。
この駅は、鶴見線の終着駅であるわけだし
降りられない駅なわけで、乗ってきた電車が折り返すのを
ホームでずっと待つだけのように思えるが
ホームの横に公園と呼ぶには足りないものが多すぎる
ちょっとしたスペースがあって、そこにも行ける。
行ったからといって、なにもないんだけど。
たしか、東芝が、ご厚意で作ってくれたとか読んだけど
失礼ながら、なんとなく、それがなかったらよかったのになあと思った。
ホームから出られない、というほうが、価値があるなあ。
勝手な意見だけど。
上は電車の中から見た風景。
横にはホームがあって、向こうには海が見える。
この雰囲気がたまらない。
くどいようだが、こういったビジュアルだけで
「うーん、旅に出たなあ」、という感覚になる。
品川から30分なので、浅草とかに行くのとあまり変わらない。
それくらいの時間で、この「どこかへ来た」感が
得られるというのは大きい。
海が見たいなら、それこそ横浜にでも行ったほうがいいと思うが
「終着駅」、「降りられない」、「ホームから海」。
そして、「ほとんど誰もいない」、という感じは、独特だ。
まさに、「誰もいない海(というかホーム)」だった。
ホームの近くにあった看板。
かわいい。
カエルのマークに矢印、というのは、なにか
アドベンチャーゲームでも始まったのような唐突さ。
この下でカエルが冬眠しています、という意味だと思うが
「だから、どうした?」と思う。
踏まないで、ということなのだろうか。
というか、なぜここに、ここだけに
冬眠していると言い切れるのか、いまだにちょっとわからない。
ネットで調べればよいのかもしれないけれど、楽しいから調べない。
日曜の夜は、STOP ROKKASHOのイベントに出演して、阿佐ヶ谷のロフトへ。
出演者自ら、いろいろと考えるきっかけとなった。ありがたい機会だった。
3日前に、ティザー的に告知をしましたが
イベントの本告知をします。
4月12日(土曜日)に、新宿のロフトプラスワンで
トークライブをやります!
一緒にやるのは、「僕の見た秩序。」や「ゆかいな誤変換」
などなどでおなじみの、ヨシナガさん。
タイトルは、飯野賢治とヨシナガの「気になること。」
「気になる」モノ、コト、ヒト、アレやコレを題材にトークします。
「気になる」ゲストも予定しています。
ヨシナガさんと、ロフトプラスワンといえば
「僕秩。トークライブ」が有名ですし、僕も何度も見に行ってますが
そんなヨシナガさんと、「なにか一緒にやろうよ!」ということで
盛り上がり、一緒にトークライブをやるのです。
4月12日(土曜日)の、17時オープン、18時スタート。
前売りで2000円(飲食代別)となります。
前売りは、ローソンチケットで、本日から発売です!
全国のローソン店内にある、Loppiで購入できます。
もしくは、ローソンチケット電話予約で。
「Lコード」は「33588」ですので、よろしく!
参加していただいた方、全員に、「気になる」グッズも用意しています。
そんな心配は、するだけ無駄なのかもしれませんが
チケットのほうは、予定枚数が終了すると、終わってしまいますので
来ていただけるかたは、なるべく早く、よろしくお願い致します。
みなさん、ご存じだとは思いますが、一応。
ヨシナガさんのサイト、「僕の見た秩序。」。
<<ここをクリックすると、「僕の見た秩序。」にジャンプします>>
こういった、自分でやるイベントで
人前で「喋る」、というのは、久しぶりのことですね。
ただただ、楽しく、面白く、いきたいと思いますので
ゲラゲラとワイワイと、楽しみたいかた、ぜひ、いらしてください。
ロフトプラスワンは、飲食しながらトークライブを楽しめる
居酒屋のようなへんてこなハコです。
問い合わせ:ロフトプラスワン03-3205-6864
<<ここをクリックすると、「ロフトプラスワン」のサイトにジャンプします>>
<<ここをクリックすると、「ロフトプラスワン」の地図ページにジャンプします>>
よろしくお願い、待ってます!
食事会が終わって、店を出たら、雨が止んでいた。
さっきまで、ざぁざぁだったのがウソのようだ。
気持ちが良かったので、真っ直ぐにオフィスに帰らずに
うろうろと歩く。ずっと歩く。
雨上がりの夜は、とても気持ちがいい。
恵比寿は、いろいろと懐かしい街だ。
いまも恵比寿だが、エリアが違うと、思い出がある。
それぞれのエリア。それぞれのとき。それぞれの思い出。
歩いているうちに、いろいろなことを思い出した。
恵比寿には、多くの思い出と歴史があるので
歩いていくうちに、時系列に関係なく、いろいろ思い出す。
まだ10代だった頃。
30代前半の辛かった頃。
20代半ばの結婚した頃。
タコの滑り台がある、通称「タコ公園」に行った。
ゲームのパブリッシャーになったばかりの頃
よく、みんなで、ここに来たっけなあ。
24歳くらいの頃だったか。
見上げると、さらに数年、遡る。
タコ公園から、ちょっといった明治通り沿いのビル。
そこに、カプコンの東京があった。
アイデア出したり、アーケードのクイズの問題作ったりしたなあ。
いまより、元気だったように思う。
もっと、元気にならないといけないなあ。
恐れを知らないくらいが、ちょうどいいんじゃないか?
先日。
家で。
再来月で、生まれて1年になる、赤ちゃんを観察していた。
もう、だいぶ、いろいろなことをするようになった。
面白いのは、諦めないこと。
そして、失敗しても、恐れないこと。
なにかをやってみて
うまくいかなかったり、痛い目にあったりすると
もう二度とやらないように思えるのだが、赤ちゃんはそうではない。
また、やってみる。なんども、やってみる。
少し、感動してしまった。
それに比べて、僕たちは、失敗をすると
恐れてしまったり、ひっこんでしまったり、背を向けたり。
あまりにも、恐れすぎだ。
もしかしたら、偶然の失敗かもしれない。
運が悪かっただけなのかもしれない。
次にやったらうまくいくかもしれない。
どうして、そう感じずに、恐れてしまうことが多いのだろう。
たまたまかもしれないのに。
成功にしたって、失敗にしたって。
懐かしい思い出の中、また、とことこと歩く。
しばらく歩いていたら、また、雨が強く降ってきた。
わずかな雨の切れ間。
いろいろと思う、きっかけを作ってくれたのかもしれない。
伝えにくい面白さを、blogに書こうと思う。
先日、病院に行った。
先生に診てもらったあと
「血液検査もしてください」ということになった。
初診であるから、データが必要なのだろう。
血液検査の場所は、別の場所にあるという。
大型の総合病院は、そういうスタイルのところが多い。
「採血室」までの行き方が書かれた地図をもらい
それを見ながら、病院内をとことこと歩く。
エスカレーターで降りて、右に曲がって、歩いて……あった!
受付カード、みたいなものを機械から取って
自分の番号を確認して、椅子に座って待つ。
周りをみると、平日の朝、ということもあり
おじいちゃんや、おばあちゃんが多い。
多い、というより、ばっかりだ。
おじいちゃん、とまではいかなくても
もう仕事は引退したんだろうなあと思える歳の人も多い。
僕くらいの年齢は、よく見ると僕くらい。
採血室という名のオープンスペースには
かなりの人が、血を抜かれるのを待っていた。
お年寄りばかりだが、賑やかなくらいだ。
そんな、お年寄り大集合状態の中
近くに、どう考えても、浮いている存在の女性がいた。
空気が違っていたので、僕を注目させた。
ヨーロピアンな顔をした女性。
鼻がピキっと高く、目がパシっと強いながらウロンと垂れている。
20代後半か、30代前半。
彼女の周りだけシネマの空気が流れている。
まるで、単館ロードショウの、スクリーンを見ているよう。
彼女は、採血室の係の人と会話をしていた。
どうやらフランス語のように聞こえる。
僕は、勝手に、彼女のことを、マリヴォンヌと名付けた。
ウィ、ショルジュボー、ノゥノゥ、ベルゥォーン……。
手振り、身振りを交えて。ソフトながらも、一生懸命。
よくこんなに顔が動くなあと思うくらいの、多彩な表情で。
しかし、当たり前だが
採血係の人は、フランス語などわかるわけがない。
困った顔で、手振り、身振りで受け答えている。
受け答える、といっても、いったいなにを答えているのだろう。
しかし、マリヴォンヌは、係員に、会話を積極的に続ける。
係の人は、なにを言っているか、さっぱりわからないだろう。
もちろん、僕もなにを言っているのか、さっぱりわからない。
ノゥノゥ、ジェパァー、ウォフォムエ、メラージュ。
当たり前だが、いくら続けられても、係の人はわからない。
しかし、マリヴォンヌは、気にせず、続ける。
ジェ、ウジェミィーヌ、パラヴゥ、モン、ヴゥー。
会話を聞きながら、係の人は困った表情を返す。
しかし、マリヴォンヌは、フランス語を止めようとしない。
くっくっくっ……。なんだ、これ。
その画が、この空間が、面白くて、面白くて
なんだか、ばかばかしくも思い始めていると、自分の番号が呼ばれた。
なにやってんだ、こいつら。
伝えにくい面白さを、お伝えしました。
楽しいこと。
前回、PARTYのお知らせをしたばかりですが、さらに1つ。
僕自身、すごく楽しみにしているイベントなのですが
実施まで、1ヶ月を切りましたので、部分的に公開します。
ティザーってやつですね。
○○○○さんと、4月12日に
新宿ロフトプラスワンで、トークライブやります!
タイトルは、飯野賢治と○○○○の「気になること。」
楽しい内容になると思いますので、お楽しみに。
詳細は、チケットが発売になった時点で、追ってお伝えします。
検索しちゃえばわかっちゃうかもしれませんが、まだ、さらりと。
おとろしいこと。
すでにご存じの方も多いと思うが、Amazonから大変なことが起きた。
詳しい説明は、あちこちでされておりますので、詳細は省きますが
簡単にいえば、Amazonの機能・サービスの1つである「ほしい物リスト」
に登録していたアイテム&その人、という情報が、公開されてしまった。
公開されてしまった、ではなく、正確には、公開されるもの、だった。
もともと「ほしい物リスト」というのは、例えば
僕が「YMOのCDがほしいな」と思って、「ほしい物リスト」に登録しておくと
知人の誰かが「あいつ、YMOのCDが欲しいのか、じゃプレゼントするかな」
というようなために存在した。
しかし、そうとは知らずに使っていた人が多かった。
ブックマークのように、アイテムをチェック、のような感覚で。
Amazonから、名前かメールアドレスで検索できてしまうため
そういう感覚で、本来、他人に見せようと思って使ってない人は
見せたくないもの、言い換えれば、趣味嗜好が、公開されることになってしまった。
普通のアイテムであれば、まだ問題も小さいと思うんだけど
そういうものとは知らずに、「ほしいものリスト」に登録していたのが
例えば、性癖に関連する、DVDとか、グッズだったりすることもある。
実際、被害も多くあると思います。
ゲイのDVDを登録していた男子学生さんは大変。
○○なんてものを登録していたOLさんも大変。
というようなこと。
問題なのは、Amazonの初期設定の状態が「(他人に)公開」であったこと。
これは「そういうサービスだから」ということでもあるんだけど。
さすがに、Amazonも問題に気付いて、いま現在、その機能を止めているけど
Googleを使うことによって、消してもキャッシュに残ってしまっているので
いくらでも、ある種の個人情報が、誰でも収集できてしまう。
これは、Amazon、どうするんだろうなあ。
「そういうサービスだとわからずに使っていた人が悪い」
という結論を出すのかもしれないけれど、説明が足りなさすぎるとも思う。
初期設定を「公開」とするなら、サービスを利用するときに
「他人が見てしまう可能性がありますよ」と伝えていたら、違うんだけど。
どうなるのだろう。
自分の名前が、あまりない名前の人は、特定がされやすい。
逆に、あり得る名前の人は、同姓同名の人が、自分には好ましくないものを
「ほしい物リスト」に挙げていることによって、周囲に誤解されてしまうこともある。
どちらも問題だ。
また、「誰か」になりすまして、うーんなアイテムを
「ほしい物リスト」に登録しておいて、誤解を生ませることもできてしまう。
ちなみに、僕は「ほしい物リスト」は使用していないし
本名で登録をしているわけでもございませんので
もし、僕の名前でヘンなアイテムが出ることがあっても
それは僕じゃありませんので……と一応なエクスキューズ。
これ、ほんとに、お気の毒に、本来の機能を知らずに
というか、勘違いして使っていた人は、ちょっとかわいそうですね。
今後、Amazonは、どうしていくのだろう。
企業体質が問われることになるだろう。
Googleと連携して、キャッシュ消していったりするのだろうか。
というか、そんなもの、Googleにキャッシュさせるなよという……。
それもどれも、「そういうサービスだとわからずに使っていた人が悪い」
という形になるのだろうか。
もう1つ問題。
関連して出てきたものなのですが。
こちらは、「欲しいものリスト」の使用がない人であっても
Amazonのアカウントを持っている人なら、起きてしまうこと。
……たぶん、このblogを見てくれている人の多く、ということですので注意。
こちらも詳細は避けますが(どちらも心配な方は検索などしてください)
それに関連して、「トラップ」が開発されてしまい
トラップが仕掛けられたどこかのサイトにいって、トラップを踏んでしまうと
その人の、名前とメールアドレスという個人情報が、誰かに送られてしまう。
たぶん、サイトの作り方によっては、トラップを踏むどころか
サイトにアクセスしただけでトラップが発動してしまうこともあるだろう。
知らない方も多いと思いますが、問題なのは
過去にAmazonで買い物をしている人の多くは
Amazonで閲覧とか購入後、「そのまま」にしている場合が多いと思う。
それって、実は、「ログイン」した状態のままなんです。
そのおかげで、毎度、毎度、メールアドレスとパスワードを
入れなくても済む、という利点はあるんだけど
Amazonは「ログアウト」がメインのページに存在しないため
ログアウトの行為が起きづらいのと、実際、ログアウトしようと思っても
なかなか、ログアウトの方法がわかりづらいことに問題がある。
(トップページに「△△さんではない場合、サインインしてください」とあるので
その「サインイン」をクリックすれば、ログアウトできます。
ていうか、サインインでログアウトって……)
その名もAmazonというくらいで、迷ってしまって探すのが大変だ。
これを読んで、慌てているひともいるかと思いますので、書きますが
このようなサービスには、本名で登録するのは、考えたほうがいいですね。
絶対に本名を入れてください、というサービスでない限り。
(Amazonは本名を入れるべきと思わせちゃう入力画面なんだけど)
例えば、Amazonの場合、配送先だけに名前を入れればよいわけです。
メールアドレスにしても、メインではない、登録用のものを用意するべきでしょう。
そもそも、このようなサービスを
「どこまで使うか?」は、本人次第なわけですが。
「便利」があれば、当然、「リスク」もあるわけでして。
……。
去年の11月に、趣味嗜好系のデータ漏れが
これから起こっていくだろう、ということをこのblogに書いた。
「そのうち、「えーーーっ」っていうこと、起きちゃいますぞ」と。
それが、実際に起きてしまったわけだ。
僕は、今回の事件が、これからまだまだ起きていく
誰かに自分を預けちゃうことによって起きる、事件の
最初の事件だと感じている。
もっと、もっと、大きな事件が起きるだろう。
様々なサービスや企業が、統合したり、合併したり
巨大な存在が現れれば、それこそ、大変なことになるだろう。
Microsoftが、Yahoo!を買収というニュースが、先月流れた。
そうやって大きくなった会社が、Amazonも飲み込むかもしれない。
さらにそれをGoogleが買うこともあるかもしれない。
当然のように、ポータルは吸収されていくだろう。
携帯電話のキャリアまで統合されていくかもしれない。
購買リスト、検索結果、日記、スケジュール、メールアドレス
オークション、銀行口座、写真、家族構成、電話番号、住所、本名……。
あらゆるものが繋がったとき、どんな問題が起きてもおかしくない。
いま現在だって、例えば、Googleに
自分のなにをどれだけ、「知られて」いるのだろうか。
少なくとも、オンラインという便利さに、どう付き合っていくか
ひとりひとりが、考える時期が来たのだろう。
ほんと、おとろしい話だ。
再来週、3月27日(木曜日)の夜に
去年の12月以来のちょいとぶりに
Departure LoungeでPartyを行います。
前回は、僕の出番以外は、ハコ任せでしたが
このたびは、共演者も仕切らせていただいて
好き勝手、やらせていただきます。
イベント名は、「TOBYEBZENO」。
TOBY、そして、code e aka ebzとの楽しい夜です。
出演は
Kenji Eno
TOBY
code e aka ebz
EBZENO
TOBYも、code e aka ebzも
テクノ、クラブシーン好きなら、説明はいらない
ベテランクリエイター&パフォーマー。
知らない方は、検索していただければと思いますが
純粋に当日、音を楽しんでみるのもよいかと思います。
EBZENOは、今回初の、僕とEBZの実験ユニットライブです。
前回、年末ということもあり
また、お知らせがギリギリとなってしまいましたので
このたびは、早めの告知としました。
といっても、あと2週間ですか。
前回、このblogの告知で来ていただいた方も多く
声をかけていただいて、コミュニケーションさせていただきました。
このたびも、そんなノリで、気軽に遊びにきてください。
朝まで盛り上がりましょう!
チャージも安めの1,500円
誰でも入れます。当日、Departure Loungeに来ていただくだけです。
23時のオープンから早速プレイしておりますのでよろしく。
3月27日の夜にお会いしましょう!
この3人というのは、懐かしいD2 PARTY以来なんですよね。じつは。
「DEPARTURE LOUNGE」の場所は、麻布十番。
東京都港区麻布十番1-9-2 ユニマット麻布十番ビル7F
JOMOの隣のユニマットビルの7Fです。
下がお店の地図です。
<<ここをクリックすると、DEPARTURE LOUNGEのページにジャンプします>>
息子と、息子の友達と一緒に
映画ドラえもん『のび太と緑の巨人伝』を見に行った。
一緒に、と思っているのは僕だけで
息子たちからすれば、保護者なのだろうけど。
まだ、公開したばかりなので
情報を入れたくない、という方は
ここから下は、読まないでくださいませ。
ていうか、見ていない人には伝わらない内容になっているかもしれないけど。
ネタバレしています。
少し、間を空けますね。
ド
ラ
え
も
ん
ド
ラ
え
も
ん
ド
ラ
え
も
ん
ド
ラ
え
も
ん
さて、正直に言いますが
僕、後半の展開、意味、わかんなかったです。
そんなこと久しぶり。
ドラえもん映画、ということで
ぼうっと見ていたとこに急速展開、というのもあると思うんだけど
映画見て、状況と展開を追えなくなったの、10年ぶりくらいかもしれない。
映画の後半。
あれ? なにがどうなってるんだっけ?
あれ? なんでこうなったんだっけ?
と思っているうちに、映画、終わってしまった。
細かいとこ、掴めなかった。
映画が後半になって、急に3倍速になって
あらら、あらら、とリモコン探しているうちに
終わってしまった、という感じ。
映画は、それなりに見ているほうだし
数人で見に行くと、映画が終わってから
「あそこは、あれが伏線になっていて、だから、こうなったんだよ」
とか聞かれて、説明係になったりすることもあるんだけど
まさか、ドラえもん見て、ストーリー追えなくなるとは思わなかった。
でも……少なくとも、これ、子ども見て、わからないでしょ。
ドタバタのギャグ……頭ぶつけたり、コケたりは、ものすごく多かったから
小さな子どもは、単純にドタバタとして楽しめたと思うけど
小学校中学年〜の、ドラえもんのコアターゲットは楽しめたのかなあ。
それよりも。
『のび太と緑の巨人伝』というタイトルからわかるように
今回は、「環境」がテーマなんだけど、描き方がちょっと疑問だった。
『ドラえもん』というのは、夢や希望を与える作品だ。
子どもの夢や希望を叶えるのが、『ドラえもん』ではないのだろうか。
それが、どんな大きな夢でも、小さな希望でも。
僕の知っている『ドラえもん』は、それが必ず入っていた。
どんなんでもいい。
「恐竜を飼ってみたいな」
「テストで100点取りたいな」
「自分の未来を見てみたいな」
「おやつをお腹いっぱい食べたいな」
「しずかちゃんのお風呂見てみたいな」
なんでもいいんだけど、それが見る者、子どもの気持ちを
グイっと引っ張って、作品と一緒になれる、大切な要素なのではないだろうか。
「空を自由に飛びたいな」という、あの旧作の主題歌の歌詞が
『ドラえもん』の最も大切な要素を表している。
そして、「映画」ドラえもんというのは
そういうところから、グイっと引っ張って掴んでいって
大きなテーマが現れ、メッセージを残す。
映画にしかないアクションなんかを入れながら。
ストーリーを追えなかったのは、僕の問題かもしれないけれど
「夢や希望の要素」が、あまりにも足りなかった。
そういう描き方で、環境をテーマにしたら
もっと、ぜんぜん残るものがあったと思うんだけどなあ。
なにより気になったこと。
今回、「そりゃないよ」と思ったのは
ひみつ道具が、ほとんど出ない、ということ。
冒頭で、ほとんどのひみつ道具を、未来に修理に出す
という設定で、物語が進んでいくため
ひみつ道具が、さっぱり出ない。
たぶん、4つ〜5つくらいしか出なかったし
メジャーな道具は、ぜんぶ出なかった。
これ、意味、あるのかなあ。
環境と絡めた、なにか意図があるのかもしれないけど、それは伝わらなかった。
『ドラえもん』を見ている気がしなくなっていった。
マントを失ったスーパーマンみたいな
そういう設定であれば、それはそれで楽しめると思うけど
中途半端に道具が使えない、という意図がわからない。
「道具がなくたって……」とか「道具に頼らないで……」とか
そういうメッセージは感じられなかったし。
『ドラえもん』を見に行ってるのになあ。
そりゃないよなあ。
良かったところもある。
「家族」を描くシーンはよかった。
これは言わないほうがよいと思うので、やめますが
ちょっとずるいと思うくらいの、過去の名シーンから1つ引っ張っていた。
それだけではなく、ママとパパがよかった。
そこをテーマにした作品以外では、最もよく描けていたのではないだろうか。
「親バカ」という名の愛情は、素晴らしいね、やはり。
家族だけではなく、「日常」もよく描けていた。
ジャイアンとスネ夫が、フェンスで遊んでいるシーンがあるんだけど
これは、見ていない人に伝えるのは難しいんだけど
あの溶岩遊びの差し込みは、感心してしまった。
赤いじょうろの子どものシーンもよかったなあ。
うーん。そう思うと
前半は、ゆったりと優しい感じで、いい映画だったんだけどなあ。
そのギャップもあるのかなあ。
前半、というか、日常は、ほんとよかったなあ。
ほかに良かったところは、美術。
緑の惑星に行ってからじゃなくて、のび太の世界。
ものすごく美しかった。
あと、ジャイアンと水汲みに行った子どもの声優がよかった。
もし、声を使う仕事を、いましていたら、間違いなく頼みにいきたい。
いま思ったんだけど……、もしかして、これ
原作が長編であって、それを映画にするとき、短くまとめてしまって
なんだかわからない展開になってしまったのだろうか。
「巨人伝」ていいう映画なのに
とにかく巨人周辺が、どれもよくわからなかったんだよなあ。
どうして、アノコ(わざとぼかしてます)が、巨人になる必要があるんだろ?
緑の惑星と地球が、突然、繋がったのも、理由がよくわからないなあ。
僕が聞き逃していただけなのかしら。
もう1回見たら、もうちょっと理解できるのかなあ。
て、マトリックス3じゃないんだからね。
いまから見に行く、お父さん、お母さん。
託しますので、気合い入れて、見てください。
でないと、終わってから、子どもに説明ができなくなります。
……っていう、『ドラえもん』ってどうかなあ。
「植物を大事にすることは、なぜ、大切なんだろう?」
そこだけでいいから、ちゃんと描くべきだったのではないだろうか。
夢と希望をフックにして。
しかし、あの緑のタケコプターみたいなの、なんだったんだろうなあ?
ほんと、僕は、わかんないことだらけ。
『ドラえもん』、大好きなのになあ。
京旬菜 和ごころ勝、というお店で食事。
和食はいいね。気持ちがゆったりとした。忙しかったからなあ。
無事に仕事が一段落……ただの一段落でしかないんだけど
内々のというか、たった2人で小さな打ち上げをした。
飲んで、食べて。ひっそりと。
手作りの、暖かい味を楽しんだ。
すごく小さな区切りだし
とても、打ち上げなんていうレベルではないけれど
飲んだり食べたりで、一区切りというのは、いいもんだ。
表情が、時間とともに和らいだ。
かんたんなことだけど、「区切る」というのは大切だ。
がんばったご褒美とかではなく、単に区切ること。
できる範囲で、仕事にリズムを付けていく。
たまに区切って、その時間を共有する。
結構、忘れがちだが、仕事のリズムは自ら生み出さなければいけない。
かなり満腹になって店を出る。
和食とはいえ、ボリュームがあった。
量より質を選んだつもりが、量も得た。
こんな夜が、いい思い出になるんだろうなあと思いながら
うとうとと、疲れていたので、車の中で眠ってしまった。
昨日の早朝。
朝の6時。
家に帰ろうとオフィスを出ると
恵比寿の街がすごくシーンとしていた。
誰もいない交差点で、歩行者用の信号が
パカパカと点滅を繰り返していた。
やがて、赤に変わり、車用の信号が「進め」を示しても
動くものは、なにもそこにない。
もう数時間……たった2時間でも経てば
多くの人が、同じところを歩き
車も列になって、走り去っていく。
昼になれば、かなり違う顔の街に変わる。
時間軸と、空間軸、というのは面白い。
同じ場所にいても
時間を数時間、戻したり、進めたりするだけで
ぜんぜん様子は変わっていく。
早朝、朝、昼、夕方、夜、深夜。
同じ恵比寿でも、いろいろな姿を持っている。
景色だけではなく、人がその姿を作る。
24時間となると、戻したり、進めたりしても
あまり様子は、変わらなかったりする。
昨日の同じ時刻の恵比寿の街角と
今日の同じ時刻の恵比寿の街角と
明日の同じ時刻の恵比寿の街角と
ざっくり見たら、同じようなものだ。
同じ時間でも、場所を変えれば
まったく様子は変わる。
同じ朝の6時でも、恵比寿の街角と
築地の市場と、旭川の駅前とでは、ぜんぜん違う。
同じ朝の6時といっても
地球規模で移動すれば、朝の6時という時刻まで変わる。
バンクーバーは昼が過ぎたばかり。午後1時。
マドリードはいちにちが終わる。午後10時。
恵比寿から成田へ行って飛行機に乗って
マドリードまで行って、また戻ってくることはできるが
いまから、明日に行って、また「いま」に戻ってくることはできない。
当然ながら、昨日や、去年に、行くことはできない。
僕が、ここからずっと動かないでいても
時間はどんどん流れていく。
僕が、どんどん動きまわったところで
時間は変わらず流れていく。
時間は、僕に関係なく、どんどん流れていく。
僕がなにもしなくても、明日になる。
明日になると、企画書の提案だ。
そうだ。
だから、オフィスで徹夜していたんだ。
また、昨日と同じ、朝の6時がやってきてしまう。
Cyber-shotケータイ、SO905iCSを買った。
シルバー/ブラックモデル。
3つ前のエントリにも書いたが、少し悩んで買った。
まだまだ触っている時間が少ないので
しっかりとした評価なんて、できないレベルだが
この時点で、ものすごく好きなケータイとなった。
ケータイを好きになることなんて、珍しい。
903→905への2段階アップグレード
というのもあると思うが、いろいろな点に満足している。
もしかしたら、ほかの905シリーズでも
同じような満足が得られるのかもしれないが
「好きになった」というのは大きい。
デザインが気持ちいい。美しく、所有感がある。
他機種に比べると、かなり分厚いボディが、なぜか気にならない。
もちろん、分厚いほうが好き、ということではなく
薄いほうが、よいのだろうけど、厚みがどうこう思う前に
デザインとして好きになってしまった。
ライトの付き方や、文字フォントとか
ボタンの押し心地など、ディテールはかなり自分好みだ。
自分にとって、初のスライド式ケータイなのだが
テンキーがものすごく押しやすい。
質感、肌触りが気持ちいい。
電話もメールも快適だ。ライトも付くし。
買った当初の設定では、メニューなどの動作が
かなりトロくて心配したが、あれこれ設定をいじったら早くなった。
動作が機敏なケータイというわけではないが
前機種の903に比べたら、ぜんぜんまともだ。
驚いたのは、PoBox Pro2.0なる、文字入力の予測変換機能。
これは賢い。長い文章だったら、いままでの半分くらいの
時間で打てるのではないだろうか。これは予想外だったので驚いた。
さて、カメラ機能である。
「Cyber-shotケータイ」と言っているわけだから、それがウリだ。
大きな問題が1つある。
ここが大きな問題だ。
「Cyber-shot」を期待して買うと、がっかりすると思う。
しかし、「Cyber-shot<ケータイ>」だと思うと、満足する。
この機種の評価は、そこに集約されるのではないだろうか。
例えて言うなら、「リゾートホテルのような」という文句の
シティホテルに、リゾートホテルを期待して泊まってみたら
「リゾートホテルじゃないじゃん」というな感じである。
リゾートじゃないから、リゾートは無理だ。
だけど、普通のホテルに比べたら、居心地いいね、というような。
僕は、事前に認識していたので問題ないが
「デジカメ代わりになる」と思って買うと、期待はずれになる。
過去、ほかのキャリア・メーカーの端末でもっと
カメラの性能として優れたものは、実際あったし
同じドコモの905シリーズ、わざわざCyber-shotなんてブランドが
付いていない機種でも、性能に大差ないものもある。
しかし、1点、圧倒的に優れているところがあって
このケータイの、「スーパーマクロ」は、かなりすごい。
上の写真がそうだが、千円札のクローズアップ。
ところで、今回の写真は、Photoshopでサイズを変えているが
彩度やコントラストなどは一切いじっていない。
ご存じの方も多いと思うが、お札の「1000」の文字の下
ただのラインのように見えるが、「NIPPONGINKO」と書いてある。
肉眼でよーく見ても、視力がよくないと認識できないくらい小さく。
もしかしたら……と思って試したら、はっきり写って驚いた。
みなが持っている同じものでないと、伝わりづらいので
被写体が、お金ばかりになって、申しわけないが、上の100円も
表面に付いた傷が、しっかりと見える。
もちろん、スーパーマクロに限らず、普通の写真も
下の空の写真のように、満足いくものである。
枝の細いところまで、しっかり写っている。
しかし、繰り返すが、ほかの機種でもこのクオリティのものは存在するし
「Cyber-shot」を期待してしまうと、物足りなくなるので注意。
とはいえ、好みはあるだろうけど、上位機種であることには間違いないし
これは、「Cyber-shot<ケータイ>」なのだ。
カニカマボコであって、蟹ではない。
まだ、ぜんぜん使いこなしていないが
人の顔を検出して、ピントや明るさを最適化する機能もあるし
よくデジカメに付いている笑顔で撮の、スマイルシャッターもある。
360度パノラマ撮影なんていうのもあって、楽しいもんだ。
高輝度LEDフラッシュも、ケータイとしては明るくて使える。
シャッター音が目立つ音じゃないのもよい。
スピーカーを撮影時、無理すれば指でふさぐこともできるのもよい。
悪いところを言えば、夜景はそんなに得意ではないようだ。
あと、仕方ないのだろうけど、電池の消費が早いね。
このケータイの満足度は、使用者の性格によると思う。
ジュースが半分入っているコップがあったとき
半分も入っていると思うか、半分しか入っていないと思うか。
ポジティブに楽しめる人には、オススメしたい。
デザインの好みがあえば、楽しめるケータイだ。
「Cyber-shotというからには……」と拘っちゃう人にはオススメできない。
そこ忘れちゃえばいいだけのことなんだけど。
美味しい「カニカマボコケータイ」だ。
仕事が先週末、一段落した。
さすがに疲れて、下がってしまった気を、ゆっくり取り戻そうと思う。
くもり空を、少しずつ、晴れにしていかないと。
のんびりとしている場合でもないんだけど。
うわっ、と思ったのは、メールが減ったこと。
頻繁とか、活発とか、そういう言葉で例えられるような
もともと、コミュニケーションが多い、というほうではないと思うが
うーん、と唸ってしまうほど、メールが減った。
少ししか、プライベートなメールの受信がない。
しばらくの間、「忙しい」「忙しい」と、言い続けていたからだ。
元来、このくらいのものなのかしら、と認識するが
バランスが崩れすぎだったかもなあ、と反省する。
労すれば気減る。メールも減る。
かなり間が空いてしまったが、ゲームのことを語ろうと思う。
「月1くらいで書こうかな」と言っていたわりには3ヶ月も経ってしまった。
楽しみにしていてくれた方に対しては、ほんとうに申し訳ない。
正直、時間的にも精神的にも、かなり余裕がないと書けないことがわかった。
過去のことを語るなんて、あまりしないことなので、それなりのものを
しっかり書こうと思っているうちに、ずいぶん時間が経ってしまった。
というか、やっぱり過去のゲームのことって、精神的にも大変なものである。
……って、申し訳ないとか言っておいて、申し訳しているね。
すいません……。
さて。
前回も書きましたが、ゲームの紹介をしたいわけではないので
内容に関することは、まったく語りません。
あと、ここに書いてあることは、特に重要なこと、というわけでもありません。
いま、思い出すことを、順番も関係なく、語ろうということ。
語り続けていたら、いくらでも語っていられる。
どの作品も、いろんな思い出があるし、一生懸命作っていたからね。
2回目となる今回は、『リアルサウンド 〜風のリグレット〜』。
夏が舞台のゲームを、こんな時期に語るのもどうかと思ったけど
「さて、いま、なにを語ろう?」と思ったら、このソフトが浮かんだので
『リアルサウンド 〜風のリグレット〜』について、語りたいと思います。
この作品も、いろんな面から語ることができるけど
たまたま数日前に、大きな広告で笑顔を見たので、彼女のことから語ろうかな。
この作品の女優、菅野美穂さんのこと。
いまもあまりテレビは見ないが、当時はいまよりも見ていなかったので
仕事をする前、僕は、菅野美穂という人を、失礼なことだが、知らなかった。
もう1人のメインの女優として頼んだ、篠原涼子さんのことは知っていたんだけど。
「誰に出ていただこうか?」ということになったとき
僕に、あまりに女優についての知識がなかったので、ビデオを何十本も見ることになった。
その中で、いい演技をしている人、いい声をしている人を探そうということだ。
もちろん、早送りしたり、「はい次」なんてやりながらだけど。
画面がない、声だけのゲームであるから、画面を見ずに、声ばかりをいっぱい聞いた。
何十本目か忘れちゃったし、その作品の名前も覚えていないんだけど
「絶対にこの人だ!」という女性を発見した。それが菅野美穂だった。
抜群に演技、その声が飛び込んできた。
しかし、その人の名前がわかる方法がなかった。役者の名前が表示されるわけでもないし。
主役でもなかったので、エンディングのスタッフロールを見てもわからなかったので
ビデオを指さして「これ誰?」と聞いて、やっとわかった。
最初にお会いしたときは、オフィスに来ていただいて、作品の説明をしたとき。
そのとき、なんでか知らないけど、僕は紙パックのイチゴミルクを飲んでいた。
イチゴミルクなんて、2年に1回飲むか飲まないか、くらいなんだけど。
彼女が部屋に来るちょっと前に、僕はイチゴミルクのパックを倒してしまって
机の上がイチゴミルクだらけになって、慌ててふいているところに彼女が入ってきた。
当たり前のように、大爆笑だ。
一緒に何日も仕事をしてみて、彼女のすごいところは、山ほどあったが
仕事というか作品への取り組み方が、半端無かった。
仕事の初日に、台本というか作品全体を、しっかりと頭に入れてきたのは彼女だけだった。
というのも、声の収録だから、役者は、台本を目の前に置いて演技ができるのである。
映画やドラマだったら、台詞を覚えてくる必要があるが、その必要はない。
何度か読み込んでいただいて、ぼんやりと台詞を覚えて来ればそれでOKだった。
しかし、彼女は違った。作品を、台詞がどうこうではなく、しっかり頭に入れてきた。
初日の最初は「ここはこういう理由で、この台詞なんですよね?」と、質問攻めにあった。
とても感心した。感動した。この人に頼んでよかったと、心から思った。
彼女の演技は天才だと思うが、同時に非常にプロであった。
ちなみに、誰とは言わないが、まったくプロ意識に欠けた人たちがいた。
役としては、ちょっとした役ではあったが、ぜんぜん気持ちが入っていなかった。
収録を初めて、すぐにわかった。同じ事務所から来た役者たちだった。
僕は激怒して、全員、帰らせた。
「ギャラはぜんぶ払うが、使わない! ふざけるな!」と、その事務所の社長に連絡した。
やる気がない人、仕事を楽しめない人とは仕事をしない。
それはいまもずっと変わらない姿勢だ。
菅野美穂の、エピソードを1つ語ろう。
1つのエンディングのシーンで、彼女が泣いて泣いて泣くシーンがあるのだが
1カット15分くらいあるので、収録が大変だった。編集はしたくないし、できないし。
普通のシーンでも大変なのに、大泣きするシーンである。
彼女が1人で喋るシーンなので、小さな部屋に1人おいて、孤独な状態にして収録した。
最初のテイクが収録終わったとき、残念ながら、僕はちょっと演技が満足できなかった。
様子を見に行くと、シャツの色が変わっていて驚いた。
声も枯れていた。声の収録だというのに、全身で演技をしたことがよくわかった。
あまりの本気の演技だったので、すぐに次のテイクが収録できない。
休みながら、彼女に演技の指示を与えた。
しばらく休んでから、次、また次と、テイクを繰り返した。
時間も遅くなってしまったし、精神的にも体力的にも限界だろうし
それまででは一番よいテイクが録れたので、「OK」を出した。
「OK」を出したところ、彼女がつっかかってきた。
満足ができない。もう1度やろうと。
このときの彼女の顔は、ずっと忘れられない。
ほかにもいっぱい、感心したり、感動したり、驚いたエピソードはあるのだが
彼女も、こんなことをいまさら語られるのもいやかもしれないので、これくらいで。
『菅野美穂のことを語ろうか』になっちゃうし。
当時まだ、10代ですよ。驚き。
翌年、ヌードの写真集を出したときは、なんとも複雑だった。
僕がその写真集を見ることができたのは、しばらく経ってからだったが
僕が渡した、『リアルサウンド』のシャツを着た写真があって、とても嬉しかった。
って、こんな調子で語っていたら、終わらないな。
次に思い出したことを、順番に語ろう。
この仕事を通して、もっとも驚いたのは、脚本のレベルの高さだった。
脚本を読み終えた、その瞬間が、もっとも驚いたときだった。
脚本を書いてくれたのは、坂元裕二だ。
彼の脚本が上がったとき、僕はなにかの予定で、遠くまで電車で出かける用事があった。
ちゃんと読むべきだと思ったのだが、電車の中で時間があったので
パラパラと読み始めたら、気付いたら、読み終わっていた。
電車を降りて、すぐに「素晴らしい!」と、彼に電話した。
読んでいる最中、僕は、電車の中にいたわけだが、電車の中にいなかった。
完全に作品の世界の中にいた。
読み終わって、自分が電車の中にいることに気付いた。それくらいだった。
この作品は、画面のないゲームである。
自分がどこにいるのか忘れさせてくれるくらいの脚本だったわけで
「この作品には、もう、これしかない!」と心から感じた。
周りが見えなくなってくれるような脚本でないと、困るわけである。
そして、この作品は、音だけのゲームであるが
音だけのゲームだからできること、が脚本でなければつまらないのである。
つまらないというか、存在価値が、ちょっと薄くなってしまう。
そんなことも、言わずとぜんぶ理解して、最高の脚本を作ってくれた。
もう1つ言うと、画面がないから、場面転換が大変なのである。
Aというシーンから、Bというシーンに来たとき、舞台が変わっていたら
映画だったら、映像の変化ですぐにわかるが、それができない。
とはいえ、「ここはBだね」なんていう台詞はよろしくない。
かといって、小説のように、説明もできない。
そんなことを、見事にやってくれた。
やってくれただけではなく、作品の価値に仕上げてくれた。
彼と出会っていなかったら、「画面がないゲーム」、「音だけのゲーム」という
ただの「意欲作」で終わっていたと思う。
坂元裕二という人は、人間も素晴らしい人で、彼といると明るくポジティブになる。
仕事をしていただいているわけだが、それ以外に得るものがいっぱいあった。
「坂元さんと会った後は、あんた楽しそうやなあ」と、カミさんに言われるくらいだった。
彼にいつかまた、仕事してほしいなあと心から思っている。
最近、なぜか、とくにそう感じている。
この作品の音楽を作ってくれたのは、鈴木慶一さんだ。
たぶん、外部の人で一番最初にこの作品の構想を語ったのは、慶一さんに対してだと思う。
鈴木慶一さんが、ぴったりだと思ったのである。
正直言うと、こんな「音しかないゲーム」なんていう作品の音楽は、自分が作りたかった。
単に良い曲が作れるというだけではなく、作品のことをしっかり理解してくれないと
「音しかないゲーム」の音楽は作れない、というのもあった。
映画以上に、音楽で、ドラマやシーンを語る必要があるからである。
しかし、彼の音楽が頭で鳴った。だから、作品の制作が本決まりになる前だというのに
彼に構想を打ち明けた。彼が興味を持ってくれたので、彼に頼もうとそのとき思った。
驚いたといったら、失礼かもしれないが、鈴木慶一という人は
ものすごく丁寧に、一生懸命、仕事をする人だった。
この作品の音楽を作っている期間、スケジュールをずっと空けてくれた。
朝から晩まで集中して、ずっとずっと良い音楽を作ってくれた。
いまでも、感謝したいくらい、ありがたいことだ。
そんな慶一さんに対しての、僕のお返しは、アビーロードでのレコーディングだった。
ある日、慶一さんに「この作品は、アビーロードでレコーディングします」といったとき
「アビーロードでやるの!?」と驚いて、ちょっとニコっと笑ってくれたことを思い出す。
彼との仕事の現場で思い出すことがある。
最初は、東京のスタジオで何日もかけて、音楽を作っていたのだが
僕も、ほかの仕事をぜんぶやめて、ずっと現場で付き合うことにした。
プロデューサー兼監督が、音楽の制作現場に最初から付き合うなんて珍しいことである。
初日、スタジオに行ったが、当たり前だが、なにもすることがないのである。
ずっと、ずっと、何時間も。終わるまで。夜まで。
たまに意見を求められるので、返すくらいで。
2日目も同じだった。
音楽の現場だから、なにもやることがない。ほんとに当たり前なんだけど。
ずっとソファに座って、意見を求められるのを待つくらいだった。
2日目が終わろうとしたとき、僕はあることに気付いた。
唐揚げが……ない……。
スタジオに差し入れをいろいろ持っていったのだが、その中に唐揚げのパックがあった。
唐揚げがいっぱい入ったパック、たぶん5人前くらいを差し入れに持っていたのだが
気付いたら、自分でぜんぶ食べていた。昼から夜までかけて、ぜんぶ。
することがないから、ソファに座って、ずっと唐揚げを食べていたわけである。
それがもう、なんとも言いようがないショックで、僕はソファから立って、慶一さんに
「僕、今日いちにちで、この唐揚げをぜんぶ食べてしまいました」と伝えた。
それだけのことなのに、僕の気持ちを、その一言で、すべて慶一さんは理解してくれた。
次の日から、僕も音楽制作に加わることになった。
慶一さんと一緒になって、音楽をいっぱい作った。
思い出すのは、慶一さんという人は、よく寝る人だということ。
スタジオで慶一さんが疲れて眠ってしまったとき
起きるまで待っていようと、僕が『MOTHER』の曲をポロロンと弾いていたら
突然ガバっと起きあがって、慌てていた。
どうしたのかと尋ねると、間違って同じような曲を作ってしまったかと思った
ということだった。
とてつもなく、面白い。
別の日のこと。また慶一さんが疲れて眠ってしまったことがあって
その頃は僕も溶け込んでいたので、勝手に1曲、慶一さんのメロディを元に作り上げた。
やがて慶一さんも起きて、次の曲。そのままレコーディングも進んで、終わった。
上がった曲を聞き返す中、慶一さんも、「この曲いいなあ」と言ってくれていた。
ちなみに、その曲は、主役の柏原崇くんが、もっとも気に入ってくれた曲である。
仕事が終わってしばらくしてから、なにかのメディアで対談することがあって
僕が勝手に作り上げた、その曲のことを話題にすると、慶一さんが驚いていた。
どうしたのかと尋ねると、ずっと、いつ作ったのか思い出せない曲があった
ということだった。
僕は伝えたつもりだったが、慶一さんは、ずっと謎だったそうである。
「そうか。そうだったんだ……。やっとわかった……」と言っていた。
とてつもなく、面白い。
……えーと。
いつの間にかずいぶん長くなってしまった。
語るべきことを、語っていないような気がするなあ。
いま気付いたが、いっぱいあるぞ。
音のミックスで苦労した話も、してないなあ。
イベントもやったしなあ。
エンディングに矢野顕子さんの「ひとつだけ」を入れるための
エピソードだけでも……と思うが、そろそろ終わりにしよう。
だけど……、最後に、これは語っておこうかしら。
この作品は、普通に作品として、制作、販売する以外に、1つ大きな目的があった。
それは、視覚障害を持った人たちに、遊んでもらうことである。
そんなことを思ったのは、視覚障害を持った方からもらった手紙がきっかけだった。
視覚障害を持った人たちもゲームはプレイするということだった。
実際に、何人かにお会いして、話も伺った。
音を頼りにして、格闘ゲームでもなんでも、プレイするのである。
考えたこともなかったので、驚いた。
そういう話を聞いたとき、ゲームの作り手として、考えるものがあった。
また、視覚障害を持ったの人たちに向けたゲームというものは存在する。
しかし、そういうゲームは、視覚障害を持たない僕たちは遊ばない。
だから、その間で、コミュニケーションは生まれないのである。
僕が思ったのは、ゲームをプレイした後
視覚障害を持った方と、持っていない方で、コミュニケーションが生まれる
そんなゲームが作ってみたい、ということだった。
同じ感想を持つ、そんなゲームが作ってみたい、ということだった。
もちろん、それだけが制作の理由ではない。
以前から、音がメインのゲームを作りたいとは思っていたし
坂元裕二とも仕事がしたかった。
『Dの食卓』や、『エネミー・ゼロ』で、「CG、CG」と言われ続けるのがいやだった。
だけど、かなりの挑戦となる、「画面のないゲーム」を
実際に制作しようと、動くきっかけになったのは、そんな思いだった。
とても印象的だったことがある。
この作品は、セガのサターンというハードで登場したのだが
サターンに独占提供するかわりに、ハードウェアを1000台寄付していだく
僕らはソフトウェアを1000本寄付するので……という無理な提案をした。
趣旨を理解していただき、OKをいただいて嬉しかった。
ゲームができて、しばらくした後
視覚障害を持った方々、数人から感想を聞く機会があった。
正直に言うが、僕は、感謝されると思っていた。
ほんとに、偉そうなもんだ。
偉そうで申し訳ないが、そう思っちゃっていた。
「このようなソフトを作っていただいて……」なんて言われると、どこかで思っていた。
しかし、まったく違った。
まったく、普通のゲームプレイと同じような感想だった。
「ここはもっとこうしてほしかった」など言われた。
「ここがよくない」とも言われ、怒られてしまった。
もう一度言うが、僕は
ゲームをプレイした後、視覚障害を持った方と、持っていない方で
コミュニケーションが生まれる、そんなゲームが作ってみたい
という思いで、この作品を作ったのだ。
同じ感想を持つ、そんなゲームが作ってみたい、と思っていたのだ。
ずっと、ずっと、涙が止まらなかった。
嬉しくて、嬉しくて。
作ってよかったと、そのとき、心から思った。