ひとだんらくしている仕事が、ほんとうに、ひとだんらくしそうだ。
こんな平和な感じでよいのだろうか、と逆に心配になるくらい。
なんて思っていると、90分くらいの上映時間だと思って見ていた映画に
どんでん返しが起こって、最後のハラハラドキドキシーンが始まって
結果的に、2時間以上の映画だった、なんてことがあったりするが
そういうのは、勘弁してほしい。
たまには、平和にいきたいものだ。
さて、明日は、クリエイティブコモンズの「iSummit」に出席。
クリエイティブコモンズのCEOでもある友人の伊藤穰一と
クリプトン社長の伊藤さん、角川デジックス社長の福田さんとの
4人による、シンポジウム。
ここまで、どういう方向に話が流れるかが、見えてしまいそうで
実際に始まったら、ぜんぜん違う方向に話が流れたら、流れるぶんだけ
面白そうなパネルというのも、登壇者が言うのもなんだけど、珍しいと思う。
これが、iSummitのトリのシンポジウムだもんなあ。
自分に向けての注意文という意味で、ちょっと書いておこう。
いつも、こういうパネルに参加すると
そういう役回りを求められることもあって、ちょっと客観的になることが多い。
客観的というか、主観を失った発言が多くなってしまうというか。
今回は、そういう態度というか、角度、みたいな感じにならないよう注意。
自分の足下と目線で、しっかり喋ろうと思う。
上に書いた、役回りを求められる、というのも
実際に求められることもあるが、勝手に自分で作り出しているわけである。
パネルが進行する中、ちょっと止まっちゃった瞬間とか
誰かの発言を受けて、これはこの角度に動かしたほうが面白いぞ、とか
そんなことを、敏感に感じすぎて、回し役をしちゃうことが多いんだけど
明日は、そういうのを、なるべくやめたいなあと思う。
性格から来るものだから、苦しいと思うんだけど、がんばろう。
早い話が、ジョーイがしっかり回してくれれば、よいわけだ。
よし、ジョーイにそう言おう。
……って、結果、ぜんぜんそうならなかったりして。
誰か応援に来てくれ。
知人がやっているBARに幸宏さんが来ており
夜中の2時半を過ぎてから、幸宏さんと飲んだ。
COMMMONSのウェブサイトに掲載される
HASYMOの今度のシングルの原稿を書き上げた
ちょうど後のことだったので、すごく不思議な感じがした。
仕事だったり、ライブ後などで、何度も会話しているが
よく考えたら、ゆっくりと喋るのは、初めてのことかもしれない。
そうは思えないんだけど。
HASYMOも、ものすごく有り難いんだけど
ぜひ、SKETCH SHOWも続けていただきたい、と告げる。
PUPAも、これからどうなるのか楽しみなバンドだけど
ぜひ、BLUE MOON BLUEで構築した世界の次のソロを、と告げる。
そして、ぜひ、そろそろ、THE BEATNIKSをお願いしたい、と告げる。
と、なんだ、これじゃ、ただのファンじゃないか、と思うが
ただのファンなので、それでいいや、ということにした。
8月10日の、WORLD HAPPINESSも、楽しみだ。
ずいぶんと飲み続けて、グラスが何度も空になった頃
幸宏さんの「BALLET」という曲が、好きで好きで
詩も曲も含めて素晴らしい楽曲なので、そのうちHASYMOのライブで
やってほしいと告げると、歌ってくれた。
Turning faded pages, A hint of calla
ほんとにステキな世界観だ。
お酒が理由であると思われるが
She was a refugee.....
で止まってしまったので、「from across the wallですよ」、と告げた。
告げてばかりの夜だった。
久しぶりにゆっくり過ごした。
この土日。
この1ヶ月くらい、特に先週の1週間は
あまりにも忙しかったので、ゆっくり休めてよかった。
家のベッドで寝たのは、どのくらいぶりだったろう。
隅田川の花火大会に行ったり
ごろごろとフローリングに寝転がったり
フジテレビの27時間テレビを見たり
目覚ましもなくベッドで寝たり
家族で一緒に食事をしに行ったりと
まるで天国だった。
この土日で
勝手に夏休みが始まって、終わったような感じだった。
忙しいのが、ひとだんらくして
その後、平和な日々が訪れると
それが、たった2日であっても
それが、どこにでもあるような風景であっても
それが、まるで、天国のように感じる。
充実した。
いろいろなものに感謝したい。
こういう、途中下車みたいな、時間があると
忙しいのも、よいものだなあと思う。
あーよかった。
先週末の、ライブDJは、なかなか楽しかった。
普段、あまりやらないプレイというのも、面白いものだ。
スペースインベーダーやら、リブルラブルから初めて
いったい何曲やったのだろうか。
前の週くらいまでは
ビートに合わせて、ゲームミュージックをプレイという
くらい簡単に考えていたのだが、結局のところ
レトロゲームのリミックスアルバムを
1枚、リアルタイムでを作るような感じのライブとなった。
準備は大変だったんだけど。
ゲームミュージックファンには
満足いただけた、内容だったと思う。
大人ブランコ=田中さん本人の、「Dr.Mario」は気持ちよかった。
音楽芸人の、こまつのライブも楽しかった。
ゲーム音楽ではなく、金曜ロードショウのテーマが最高だった。
8bit Projectの、ファミコン音ライブも凄かった。
と、振り返れば、なかなかいいイベントだ。
これ、来ておくべき人、多かったんじゃないかなあ。もっと。
といっても、けっこう人はおりましたが。
ゲームミュージックは、いい文化ですね。
ライブといえば、先週、細野さんのシークレットのライブがあって
短い時間ではあったけど、ものすごくラフな雰囲気でよかった。
僕も、そろそろ、ラップトップ下ろして、ライブやろうかしら。
出たら困るけど、後から出るくらいなら、すぐ出てほしいもの、それは
バグ=「虫」という名の、ミステイク。
具体的なものもあれば、わかりづらいものもある。
開発が関わるものであれば、必ずといってよいほど、そいつは存在する。
調整ぐらいで済むものもあれば、根本に関わるようなものもある。
バグとか、呼ぶと、なんか可愛らしい感じだけど
グラフィックのミスなどとは違って、わかりづらく潜んでいるから厄介。
画面にいたりすれば見つけやすいが、見えないのは、見つけづらい。
素直にヒョイと見つかることはない。とても意地悪な存在だ。
苦労して退治したことが、新たな仲間を生んでしまったり。
なんど退治したところで、まだまだ隠れていたり。
いい加減いなくなったかな、と思った頃に、また現れたり。
いやさすがにもう、と思えば、また現れたり。
いつまでもいてもらったら、困るんだけど。
完全にいなくなったという報告を受け、ソフトウェアは旅だっていく。
時代は変わっても、存在し続ける虫。愛着はわかない。
最初は、1泊で東京に戻るはずだったのが
仕事が終わらず、もう1泊となった。
再度、ホテルを予約したが、仕事が長引いたので
チェックインする頃には、もう2時半になっていた。
出発は、7時過ぎ。
4時間ちょいしかいられないので
ホテルに泊まらず、そのへんで映画でも見ればとも思うが
本日のライブDJの準備が終わっておらず、部屋が必要。
ベッドで眠ることはないんだけど。作業場が必要なのだ。
ホテルにチェックインすると
「本日、部屋がかなり埋まっておりまして」とホテルマン。
予約してあるわけで、どういう意味かしら?
と思うと、部屋をアップグレードさせてくれ、とのこと。
小さくなるのは嫌だけど、大きく立派になるのは、まったく問題ない。
いずれにせよ、ベッドは使わないので
ほんとのこと言ったら、テーブル1つあれば充分なんだけど。
「ただ……」と、なんとも困った顔をしているので訊くと
「部屋のほう、かなり大きくなっておりまして……」と言う。
だから、広いぶんにはまったく問題ないと言ってるじゃないかと伝えると
「では、ロイヤルスィートをご案内いたします」と言われる。
ロイヤルスィート?
部屋に入って驚いた。ホテルで1番の部屋らしい。
それが、上の写真。
なんだこれ、マンガか?
倒れている老人を救ったら国王で、邸宅に招かれたみたいだ。
伝わりづらいかもしれないが、この写真で見えてる部分だけで
たぶん、100㎡近くあると思う。
20人くらいでパーティできるんじゃないだろうか。
ありがたいことに、テーブルが3つもある。
1つは8人掛けの会議用テーブルだ。
ゲーム音楽の選曲に困ったら会議しよう、1人で。
もう1つは、団らん用のソファがあるテーブル。
ここで完成したテイクを後で聴くことにした。
そして、1人掛けの、重厚なデスク。
ここに、マックを置いて、メインの作業スペースにすることに決定。
しかし……。
よく考えたら、ベッドがどこにもない。
あれ?
ずっと作業をするので、ベッドはいらないと言ったが
ベッドがないとはどういうことだ。
と、階段を発見。
なぬ? メゾネット?
螺旋状になっている階段を発見した。
まるで、ドラクエだ。
勇者は階段を発見した。
今日のライブでドラクエのテーマも、やることに決めた。
ありがたい。1曲決まった。
階段を、下りていくと、下のフロアーは、ベッドルーム。
上のフロアと同じ広さのベッドルームと、もう1つ部屋があって
そこにもテーブルがあったが、さすがに使いみちがない。
と、ロイヤルスィートルームで宿泊。
なにがすごいって、ロイヤルスィートルームの200㎡くらいある中
1人で、テーブルでずっと、マックで作業していたことだ。
2㎡くらいしか使っていない。
結局、大きな2つのベッドには触れてもいない。
このホテルの歴史が、どれだけあるのか知らないが
ロイヤルスィートルームに、4時間くらいしか滞在しなかった人はいなかっただろう。
そもそも、1人で過ごす人もいないと思うが。
それよりなにより、ロイヤルスィートルームのシャンデリアの下で
ファミコンとか、80年代の、ピコピコしたゲームサウンドの波形を
切ったり貼ったりしているやつは、この先もいないと思う。たぶん。
以前も告知しましたが、本日、渋谷のSECOでのゲームミュージックのイベント
ぜひ、いらしてください。僕は日付が変わるあたりで出演です。
ロイヤルスィートのサウンドが聞こえるかもしれません。
作業中のデスク。ここでずっとピコピコやってました。
MOTHERの曲って、いいなあ。
このところ、仕事で、作曲をする機会が多かった。
とはいえ、楽曲的に、リズムというか空間重視なものばかりだったので
久々に、いわゆるメロディがあって、コードがあって
というようなスタイルの曲が、作りたいなあと
すごく思うようになってきた。
あまりコード進行的に、楽曲を捉えているわけではないし
どちらかというと、20代の半ばくらいからは
そういう曲作りを避けていて、結果、コードが付くとしても
コード進行の上で考えたわけではない、ということが多かった。
しかし、最近になって、純粋にコードから
曲を作ってみたいなあと思うようになった。
それはそれで、コードの動きって好きなんだよね。
小さい頃のアニメソングとか、ビートルズ、初期のYMOが
そういう影響を強く与えているのかしら。
例えば、YMOの「Behind the Mask」のコード進行
F→D♭→E♭→Cm、というのは、もう最強である。
この曲を聴いたときに、受けた、ハーモニーの動きが衝撃的すぎて
どこか、奥深い、根っこのとこに染みついてしまっている。
広がりを感じつつロック、というコードである。
また、この曲の鋭すぎるところは、メロディにあって
メロディだけでも、コードの動きを感じられる。
簡単にいえば、各小節の頭のところのメロディは
そのまま、F→D♭→E♭→Cmなのである。だから強い。
それを繰り返した上で、次にメロディのハーモニーが上から鳴ってきて
それがもう、美しすぎて倒れてしまう。
あぁコード曲が作りたい。
なんて、思っていたところ。
今日、久しぶりにテレビを見ていたら
渡辺美里さんが出ていて、「My Revolution」を歌っていた。
この曲は、小室哲哉さんの作曲である。
まだ、メジャーではなかったころの彼が、作曲家としてメジャーになった楽曲。
と同時に、その後の彼の作曲スタイル、特にコード進行と
なんといっても、当時は衝撃的だった、3度上がる転調を
「自分の持ち物」、自分のスタイルとして確率させた曲である。
あの進行と転調があるおかげで、小室哲哉の曲は、小室哲哉の曲に聞こえるのだ。
それまでのメロで、落ち着きを作っていたAmが
サビの頭から、いきなり「わかり始めた」ってAだもんなあ。
歌の出だしで、具合が悪くて寝込んでいて、一人になってみていろいろ悩み出した人が
サビになって、突然、裸にトレーニングシューズ履いて、走り出しちゃうような展開。
それはそれは、インパクトがあった。
なんて、テレビを見ていて1つ思い出した。
globeの「Feel Like Dance」。
この曲のサビ。
C→D→G/B→C Am7→D→C/E・D/F#→G
というコード進行。
これはこれで気持ちがいい進行だし
僕が唯一、彼の楽曲の中で、自分でコードを取ってみた曲である。
最初の4小節で、上がって戻って、その後の4小節で
頭で落ち着いた上で、開いて、ぐんぐんぐーん、と上がる展開。
それに小室詞の「ひとは」とか「とおい」とか「いつのころ」とか「せかい」とか
そういうセカイ系の元祖みたいな歌詞が乗って、共感を生み出す。
ちょっと脱線した。
それを思い出したわけではなく
この曲が、すごいのは、後ろで鳴ってる、小室さんのハーモニーだ。
この小室さんの歌、ハーモニーは、コードの音と合ってないのだ。
初めて曲を聴いた人が、歌を合わせてみてくれと言われて
歌ったような、あまりにも微妙な、裏メロディの動き。
この、なんだかよくわからないハーモニーが中毒性を生んで
大ヒットに繋がった、と僕は思っている。
ちなみに、僕は、この曲の、小室さんのハーモニーの中毒になって
もう耐えられなくなって、聴きたくて聴きたくて、当時、CDを買った。
初期の転調、で自分のスタイルを掴んだ小室さんの
2度目に掴んだスタイルが、この絶妙に微妙なハーモニーだと思っている。
その後、いろんな曲で、小室さんは裏で吠えている。叫んでいる。
音楽って、ほんとに、面白いなあと思う。
そのうち、こういう視点から、音楽の本、書こうかなあ。
この土曜には、もうイベントがあるので
日曜の夜、少し準備をした。
このイベントは、ゲームミュージックのイベントで
僕は、依頼を受けて、LIVE DJをすることになったのだが
実は、最初、即答できずに、数日、考えさせてもらった。
というのは、僕にとって、ゲームミュージックというのは
それなりに深いものなのだ。
一番最初のビデオゲームとの出会いは、違うんだけど
最初に思い切りハマったのは、スペースインベーダーだった。
そのゲームとしての面白さに、もちろんなによりハマったわけだけど
それまで見たことのない、ドット絵の素晴らしいデザインと
あまりにもテクノな、その鋭いサウンドにハマってしまった。
グラフィックデザインも、サウンドにしても
当時のスペックでは、それ以上のことはできなかった。
が、そのおかげもあって、ものすごくポップで鋭角だった。
あまりモダンだった。
モダンなんていう言葉は知らなかったが、新しさを感じた。
僕は、カセットレコーダーを、ゲームセンターに持っていき
ビデオゲームのサウンドを録音して、家で聞いていた。
しかし、ただ単に、スピーカーにくっつけて録音するスタイルなので
周りの雑音が入ってしまう。雑音というか、いろいろなゲームの音。
どうしてもクリアな音が欲しくて、夜中に釣り堀……当時は
釣り堀にもゲーム機が置いてあったんだけど
夜中に釣り堀に行って、静かな中、録音したこともあった。
しかし、どうしても、クリアさには限界がある。
あたり前だけど。
そんな中、コンピューターゲームという楽曲が入っている
レコードがあるということを知った。
これは衝撃だった。
これで、大好きなゲームのサウンドが、キレイな音で聴くことができる!!
と、興奮して買ったのが、YMOとの出会いとなった。
ビデオゲームと、YMO。
この2発で、人生が決まったようなものだ。
そんな思いを込めて、イベントではプレイしようと思っています。
さて、今週末となった、このイベント。
そんなことで、単に僕の好きなゲームミュージックをやろうと。
僕に影響を与えた、ゲームミュージック。
基本的には、レトロな時代のゲームミュージック。
その頃の音が、やはり強いんだよね。
レトロじゃないやつもやろうと思うけど。
そして、YMO。
今年は、結成30周年なのだ。
ゲームミュージックとYMOの競演。
二度と、そんな無謀なことはやると思えないので
ぜひ、どちらかが、或いは、両方、好きなかたは、いらしてください。
もちろん、「ただ流す」なんてことは、するわけありませんので。
イベントの詳細は、幾つか前の、7月5日の、このblogのエントリーで。
会場のSECOのウェブサイトにも、詳細、発表されたようです。
<<ここをクリックすると、SECOのウェブサイトの詳細ページにジャンプします>>
もう今週末なんだ。
いいね!
宇宙。
もし、ほかにも宇宙があるのであれば
僕らのいる「この宇宙」というのは、どうしてこうも
数学的なのだろう。
いや、数学的なんていう難しいことではなく
算数的、といってよいくらいのもの。
2つの物体。
それは、リンゴと地球でもいいし
地球と太陽でも、地球と月でもなんでもいい。
2つの物体の間には、引力が働いている。
その2つの物体の間の距離が離れると
引力は、その距離の「2乗」ぶん小さくなる。
それはなんで?
なんで、そうも算数的なのだろう。
なぜ、そうキレイに算数的なの?
ガリレオが、ピサの斜塔から、球を落としたとき
球が落下する距離は、経過した時間の「2乗」ぶんとなった。
最初の1秒の距離に対して、2秒間ではその4倍、3秒間ではその9倍……。
もちろん、それは、いまも変わらない。
それはなんで?
なんで、そうも算数的なのだろう。
なぜ、そうキレイに算数的になっているのだろう。
自然法則の解明や、物理学の発達のおかげで
いま生きている、この現在の社会が存在している。
打ち上げられたスペースシャトルは
ミッションを達成して、地球に戻ってくることができる。
しかし、そんな難しい話ではなく
その、そもそもの基本となっている法則は
なぜ、そんなに簡単に、そしてキレイな、算数的なのだろう。
どうして、「2乗」とか「2倍」とか「3乗」などという
キレイな、算数的な関わりが、法則の中で出てくるのだろう。
ややこしい数ではなく。ややこしい計算でもなく。
まるで、誰かが設計したプログラムの中にいるみたいだ。
なぜ、2つの磁石を引き離すと
その引き合う力は、引き離した距離の「3乗」ぶん、弱くなるの?
子どもの頃、学校で習ったこと。
あまりに基本すぎて、その頃はバカすぎて
「そうなります」と言われれば
「そうですか」と、素直に覚えたものだが
「なんで?」と、疑問に思うべきだった。
で、思う。
なんで?
少し先に出席するイベントで、英語のプロフィールが必要とのことで
そんなやりとりをする中、Wikipediaで初めて、自分のプロフィールを見た。
日本のWikipediaではなく、本家、英語のWikipedia。
そうなのか。僕の紹介はvideo game designerより前に、musicianが来るのか。
などなど思いつつも、ちょっとしたミスも感じつつ、ある1つのことに気付いた。
このblogへのリンクがないのである。
べつにこのblogへのリンクがないことを嘆いたり、悲しんだりしているわけではない。
ずーっと、勝手に、Wikipediaに、このblogへのリンクがあるのだと思っていたのだ。
話が見えないと思うが、ちょっと先に進める。
いま、このblogには、なにも解析するようなものは入れてないが
かなり前に、解析ツールを、短い期間入れていたことがあった。
ページビューがどれくらいとか、ユニークユーザーが何人とか
そんなものを見ている自分が気持ち悪くなって、外しちゃったんだけども。
そのとき、意外なことで驚いたのは、海外からのアクセスの多さだった。
どのくらいかは覚えていないし、いずれせによ
すごく多い、というわけではないんだけど
こんな日本語だけのblogに、よく、アクセスがあるなあ。と。
僕が、ビジュアル系のバンドメンバーだったら、まだわかる。
いや、ごめん。やっぱり、それでも理解できない。
日本語が読める外国人も多くないと思うので
オンラインの翻訳サービスでも使って読んでいるのだろうか。
と思い、いま翻訳サービスに、このblogのURLを突っ込んでみたのだが
ちょっと……読むのは、厳しいよなあ、と思う。
なんか、散文みたいというか、どこかポエトリーになってカッコよいが
うまいこと、翻訳サービスのミスというか、癖を見抜いて
頭の中で、再翻訳しないと、意味がかなりわからないと思う。
実際、アメリカに住んでいる友人が、たまに翻訳サービスを使って
このblogを読んでいるが、意味がわからなくて面白いと言っていた。
もし、僕が、ここに最新情報なんかを書いているのだとしたら
無理して読むというのも、まだ、ちょっとわかるんだけど。
書いているのは、恵比寿の定食屋のこととか、「ホワーレの香り」とかだ。
「ホワーレの香り」なんて、翻訳サービスで訳して読んだところで
たぶん、意味、さっぱり伝わらないだろう。
僕が肉離れになったことを、イタリアに住んでいる人が
イタリア語に翻訳して、「オー、イーノ、ニクバナレカー。カワイソウ」
なんて思っているのだろうか。んー、ぜんぜん、わからない。
と、そのモチベーションというか、本気で意味がわからないのだが
それなりに海外からのアクセスがある。
もしかしたら、その期間だけなのかもしれないけど。
長くなった。
やっと本題。
そういった、奇妙な現象の理由はさておいて
このblogにどうやって辿り着いているのだろう、というのも不思議だった。
というのは、Kenji Enoで検索したところで、このblogは、上位には出てこないからだ。
「eno blog」としか書いてないし。
それで、1つの僕なりの答えとして
きっと、Wikipediaにこのblogへのリンクがあって
そこから飛んできているのだなあと思っていたのだ。
そう勝手に解決していたのだ。
と思っていたんだけど、Wikipediaにはなかった。
というのが、この文章の冒頭。
これで、また、謎がさらに増えた。
そして、「謎だなあ」、などと思っていたところ。
昨日のこと。
海外から、このblogのメールアドレス宛に、メールが届いた。
それは、そんなに珍しいこともでなくて
たまに、アメリカや、イギリスや、ドイツとかからも届いたりする。
もちろん、そんなには多くないけれど。
メールを使った、インタビュー依頼だったりすることもある。
しかし、昨日、届いたのは、ポルトガルからだった。
いや、インターネット上では、ポルトガルも、イギリスも
神奈川県だって、同じことではあるのだが、初めてのことだったので
なんというか、驚いた。
インターネットの力はすごい。
距離を一気に縮めてしまう。
ポルトガルの人が、種子島に漂着したのは、天文12年のこと。
それが初めてのポルトガルと日本の交流であり
日本人にとっては、初めてのヨーロッパ人との出会いだった。
それから465年経って、ほいっとメールが届いた。
届けられたのは、鉄砲ではなく、暖かい文章だった。
昨日の昼、食事をしにいった帰り
オフィスにいる仲間に、コーヒーを買っていこうと
たまにサンドイッチを買いに行くカフェに立ち寄った。
少し蒸していたので、ホットはないだろうと
アイスコーヒーのトールサイズを注文。
1つ330円である。
小さく、それなりに散財。
新人っぽいレジ係に、お金を払いつつ
ちらっと、レジの後ろの、エスプレッソマシーンなどが並ぶ
ちょっとした厨房を覗いてみて、目を疑った。
冷蔵庫から取り出す、紙パックのコーヒー。
ホワット・ハプン?
あわわわわ。
レジ係が、お釣りがどうとか言っているが
あまりのショックで、「あわわわわ」と
クローバーフィールドの、小さいほうのモンスターの鳴き声のような
声を出してしまった。
あわわわわわ。
あわわわわわ。
いやいやいやいや。
まてまてまてまてまて。
ちょっと、それはないんじゃないかい?
どうしても作れない、というのならわかる。
だけど、そこにマシーンがあるじゃないか。
というか、ホットは、あたり前だけど、作ってるじゃないか。
それともなにかい?
アイスなど頼むお客に、用はないってのかい?
それとも、「コーヒーはホットだぜ」を伝える、メッセージかい?
だったら、メニューに置かなきゃいいじゃん!
それとも、コーヒー販売を通しての、アート?
そりゃないよ。
店の存在価値、自ら崩壊させてんじゃん。
隠せよ!
せめてっ!
恵比寿の定食屋、「こづち」に行った。
ずいぶん、久しぶりのことだ。
2年以上になるかもしれない。
オフィスが、店のすぐのところにあった頃は
週に1回は食べていたというのに。
といっても、いまも歩いて7〜8分だから
場所が理由じゃないのかもしれない。
なにが理由だろうなんて、考えたくもないけど。
ずいぶんぶりで、店に行ったりすると
「おっ、久しぶり!」なんて言われるのが照れくさくて
そんなつまらない理由で、さらに遠ざかったりするんだけど
今日は、どうしても、野菜炒めの定食系が食べたかったので
久しぶりに足を運んだ。
すると、予想通り、「おぉっ、久しぶり!」。
照れくさいけど、どこか嬉しかった。
いまから10年近く前は、よく行っていた。
もっとも多い頃は、週に2回くらい食べていたかも。
たぶん、数えれば、100回は行ってると思う。
ここ、2年以上は、行ってなかったんだけど。
ていうか、過去に100回行ってる店なんて、ほかにあるのかしら。
「こづち」は恵比寿を代表する店だと思う。
ガーデンプレイスやウェスティンホテルにあるレストランとか、カフェとか
そういう店は、恵比寿ではあるけど、恵比寿の代表ではない。
恵比寿にいる人も行くけど、恵比寿に来る人が多く行く店だ。
こづちが、恵比寿的であると思うのは、もう1つ理由がある。
それは客層。
他人に、恵比寿のいいところを訊かれたとき、必ず答えることがある。
それは、人種の多様性だ。豊かなのだ。
恵比寿には、サラリーマンも、おじいちゃんも、子どもも、アーティストも
学生も、クリエイターも、ヤクザも、音楽やってるヤツも、外国人も、みんないる。
男女比も、ちょうど半々くらいではないだろうか。
僕は、こんなバランスの良い街、ほかには知らない。
そんな街だから、店では、いろんな人が横になる。
歳が、3倍くらい違う同士も。
失恋の数が、5倍くらい違う同士も。
年収が、10倍くらい違う同士も。
だけど、このバラエティ豊かな街の人種の、すべてが集まる店は知らない。
この「こづち」を除いて。
昨晩も、カウンターの狭いほうの席では、イギリス人と女の子のカップル。
僕の座ったカウンターの長いほうの席には、サラリーマン、学生、奥に若い女の子。
僕の横に後から座った人は、いくらなんでもというくらい正体不明のおじさん。
入ってくるなり、「酒、呑んじゃおうかな」と、聞こえる程度の小声で呟き
大将に「酒?」と訊かれると、「うん。冷やで」と答え、酒が来るまでの間
カウンターにある、カレー用紅ショウガを手のひらに乗せ、パクパクと食べていた。
僕、こういう人、大好き。
食べながら思ったが
ある意味、僕の懐かしの店だし、2年以上ぶりだったわけで
ふつう、「懐かしいなあ」とか思うものだが
まったく思わない。まったくそう感じない。
それは、いまも変わらず、元気だからだろう、と思った。
この店、もちろんずっと続いてほしいが、もし、この店が、なくなることがあったら
恵比寿が、恵比寿じゃなくなってしまうのだと思う。
僕を含めて、数百人にとっての、恵比寿、ということでしかないけれど。
ここのポテトサラダ、美味いんだ。
梅雨だ。
いつも空気が重く感じる。
日本に住んでいるのだなあと感じる独特の季節。
出るときにはカサ。だけど、今日も忘れた。
ばいう、「梅の雨」と書く理由は、諸説あるが
具体的に、字として伝わってこないなあと思う。
カサというのは、しかし、長いこと進化のない道具だ。
いらなくはならないだろうが、なにかできないのかしら。
シンプルすぎて、難しいのだろうか。
あまりにも、単純なものほど、革新することは難しい。
飛んで浮いてくれてるカサがあれば、便利で楽しくて、それ欲しいけど
すぐには技術的に難しいだろう。安全面などを考えると。
コストに跳ね返るだろうから、仮にできたところで
シンプルに300円のカサでいいや、って思っちゃうのかもしれない。
でも、10年後も、同じカサを使っているのかしら。
修理もせずに、300円のカサを、ポイって捨てているのだろうか。
両手が自由になる雨の日が、やってきているのだろうか。
「electronicpub presents 8 x 25th」というイベントに出演します。
いまから、ちょうど2週間後ですね。
7月19日の土曜日。
場所は、渋谷のSECO。
Open、Start 22:00 entrance fee ¥2,000とのこと。
出演は、僕のほかには
[LIVE]
大人ブランコ
こまつ
8bit Project
TOKYO KLF
[DJs]
DieTRAX
KAGAMI
and Third-Ear Audio Pilots
[VJs]
Jun Kanomata (WONDERWHIP)
Mind Expand Media
ですって。
『Dr. MARIO』の作曲家と、一緒のイベントに出るとは思わなかった。
こまつ、ってキーボードで、ゲームミュージック弾く、あの芸人か!
8bit Projectも楽しみだなあ。
レトロゲームミュージックファンは、たまらないイベントですね。
下記に、主催者からの案内文を入れておきます。
ぜひ、応援にきてください!
===============================
2001年にオープンした渋谷のガード下ex:SecoBarの最長イベントとなった
“ミーティングポイント”electronicpub。初夏の熱気の中、今回は日本が世界に
大きな影響を与えた、ビデオゲームシーンに関わる方々を中心にフィーチャー。
なんと開催の4日前2008.07.15は、ファミコン生誕25周年となる歴史的な日なのです!
(加えてYMOとスペースインベーダーも30周年!!!)
===============================
*20歳未満の方はご入場出来ませんのでご了承下さい。ご入場の際は写真付身分証の
ご提示をお願い致します。
とのことです。
<<ここをクリックすると、会場となるSECOのウェブにジャンプします>>
ある日。
ある夕方。
家を出て、しばらく歩いてみると
なぜか、どこにも、誰もいない。
街から人がいなくなっている。
どのビルも電気が消え
どの家からも灯りが見えない。
誰に電話をかけても、出ることはなく
誰にメールを打っても、返信はない。
街を走り回る。
息が切れる。
空を見上げても、鳥は飛んでおらず
犬の鳴き声も、聞こえない。
公園。
コンビニ。
駅前。
テニスコート。
どこにも、誰も人はおらず
風すら吹いていない。
やがて、だんだんと暗くなっていく。
街が、この世界が、消えていくかのように暗くなる。
遠くに、1つ街灯が見えた。
近づいていく。
この、なにもが、沈黙してしまった世界で
ありふれた、なんの変哲もない、交差点に立つ
1つの街灯だけが、明るく、輝いている。
真下に立ち、見上げると
太陽のような眩しさを感じた。
最後に残った、希望のようにも思えるそれを
消えることがないよう、と、祈りながら
やがて、疲れて、よりかかり
そのまま、冷たいアスファルトの上に座り込んだ。
長い間、寝てしまったのだろう。
朝になっていた。
太陽の光と熱を感じる。
風を感じる。
ゆっくり、目を開けると
そこには、いつもと変わらない世界があった。
街灯にもたれ、しゃがみ込んだまま。
目の前を、車が通りすぎていき
遠くから、自転車のブレーキの音が聞こえる。
横断歩道の向こうには、信号を待つ、お母さんと娘の姿が見えた。
頭上、遙か遠くに飛ぶ、飛行機のシルエット。
首を下げて足下を見ると
小さなピンク色の花が、ぽつんぽつんと咲いていた。
ありふれた世界。
昨日まで住んでいた、そして、いま生きているこの世界は
なんて、賑やかで、鮮やかで、素敵な世界なんだろう。
風邪をひいてしまった子どもが
健康な日々のありがたさを知るように
自分が暮らす、この世界の、無限にも思える広がりを感じる。
立ち上がって深呼吸をすると、世界が自分の中に溶けていくように思えた。
友達の声が聞こえた。
先日、人に「香り」を伝えようとしたことがあった。
とあるところの樹木が、いい香りではあるが、少し変わっていたからだ。
しかし、それをうまく伝える表現がない。
香りって、なんで表現手段がないのだろう。
「花のような香り」とか、そういう、直接的な表現しか存在しない。
もしくは、「おいしそうな香り」とか、感情的なもの。
例えば、味であれば、「にがい」とか
「甘い」とか「辛い」とか、いっぱい存在するわけだ。
視覚になれば、それはもう山ほど存在する。
おや、聴覚は……と思ったが
高い音、低い音、固いとか柔らかい、というのもある。
透明感のある音だね、なんていうときもある。
しかし、香りは
くさいとか、いい香り、というくらいで
なぜ、ほかに表現がないんだろう。
繰り返すが、「コーヒーのような」とか、そういうものではなく。
逆にいえば、「コーヒーのような香り」とか「リンゴのような香り」とか
表現できてしまっている時点で、香りというのは
ずいぶん、いい加減なのかも、と思ってしまう。
もし、視覚的な表現として
「リンゴのような形」って言ったら、もうそれは
絶対、リンゴにかなり似た形状をしているわけで。
それは、なぜだろう?
せめて、味と同じくらい
ざっくりとしたバリエーションがあってもよいはずだ。
じゃ、考えよう。
定義しよう。
1)「ホワーレ」:花の香り
2)「シャバダン」:レモンなど柑橘系フルーツの香り
3)「ラパダン」:トロピカル系フルーツの香り
4)「ベリゾン」:ベリー系フルーツの香り
5)「クレメール」:ケーキなどの甘い香り
6)「ラネッチェ」:シナモンやクローブなどスパイスの香り
7)「ベラレーレ」:コーヒーやチョコなど、焦げの香り
8)「トリュホーゼ」:トリュフの香り
9)「セバーン」:樹木、森林の香り
10)「モワンタス」:動物の香り
11)「ヒューマンタス」:人間の体臭
12)「サヴァッテ」:魚の生臭い香り
13)「ゲバレスティ」:排泄物やおならの香り
このくらいあれば、だいたい足りるのだろうか?
みなさん、明日から、使ってください。
ケーキの箱を開けて「う〜ん。クレメール」
誰かのオナラを感じたら「ゲバレスティ!」
そういえば、昨日、紹介した、デモ曲ですが
Googleの転送量かページビューのリミットを超えてしまって
一時的にダウンロードできなくなったようです。
なんだか、限定販売みたいですね。
無料とはいえ、ヒットしたみたいで嬉しい。
しばらくしたら、回復する……と思います。
いつも思うのだが、デモには力がある。
先日、ファイルの整理をしていた。
ハードディスクの容量が、だんだん詰まってきたので
いらないファイルを探して、捨てていたりした。
すると、音楽のファイルがあって
開いてみると、ずいぶん前に作ったデモの曲だった。
聴いていると、仕事仲間が部屋に入ってきて
「これ誰の曲ですか? いい曲ですね」と言う。
ほう。
嬉しい。
「ああ、これは、デモの力だな」とも、思う。
楽曲を作る場合、というか、僕の場合
最初にデモトラックを作る。
昔の作曲家と違って、現代のデジタルの作曲家であるので
曲が浮かぶ、というのは、メロディが浮かぶわけではなく
楽曲の、なんとなくの構成とか、音色とか、リズムなども含めた編曲
そういう、形のベースみたいなものが浮かぶわけで
それを、そこから2時間くらいかけて、ザザザと作ってしまう。
ただし、打ち込みも甘い。
音色の選択も甘い。プリセットされた音も構わずに使ってしまう。
早く、形にさせる、ということが重要だからだ。
そして、それをしばらく、置いておく。
仕事でやっている場合は、締め切りもあるので、2〜3日。
そうでない場合は、もうちょっと長く。
今回、発見された曲は、置いているうちに、忘れ去られてしまったようだ。
もしくは、なんかの理由で、そのままになっていた。
置いておく、といっても、漬け物とは違って
ただ置いておいても、なにも変化はないのだが
数日経って聴くことによって、客観性が持てるのだ。
で、そこで聴いて、どう弄ろうか考える。
或いは、そこで捨ててしまう。
もしかしたら、今回のは、捨ててしまった曲なのかもしれない。
そこで弄ろうとなった場合は、もうちょっとマジメに取り組む。
ある程度適当だった、打ち込みのデータを、細かく調整したり、変えてみたり。
大きいのは、音色を作ったりなど、音の調整をすることだ。
そうやって、曲自体は、ある程度、変わる。
その後、用途にもよるが、スタジオに入ったり、或いは自分のmacで
ミックスをして、曲として仕上げていく。
と、ここまでやると、元のデモの曲とは、基本的な部分は同じであるけど
楽曲としては、ずいぶん違う曲となる。
一言で言えば、クオリティが違う。
しかし、やっと本題になるが、なにかを失ってしまうことが多い。
キレイにはなったのだが、元の強さみたいなものが、失われてしまうことが多い。
デモのときにはあった、「強さ」みたいなものがない。
いつも、そんな気持ちになりながらも
「まあ、クオリティとしてはこっちだよな」なんていう気分で、制作を終える。
というようなことを伝えたかったんだけども
いい機会だし、放っておけば、そのまま失われた曲になっていたわけで
「Over」というタイトルの付いていた、デモの曲を置いておきます。
と、振り返って、いまも聴いてみると
リズムの打ち込みとか、音色とか、甘すぎて、恥ずかしくもあるんだけど
それを直していたら、意味がないし、結局、ずーっと修正を続けてしまって
デモの曲ではなくなってしまうので、そのまま、で。
デモとはいえ、それなりの音はしておりますので
ダウンロードして、オーディオセットなり、ヘッドフォンで聴いてください。
こういう楽曲は、PCのスピーカーで聴くと、さっぱり違う曲になりますので。
デモの曲を丸ごとの形で公開するなんて、初めて。
しかし、ほんとに、放置しておいた理由がわからないんだよね。
いま聴くと、もうちょっと展開持たせれば、と思ったりするんだけど。
ま、どうぞ。
Over (demo version) composed by Kenji Eno
しばらく更新していなかった、「eno music」のほうにも、置いておきます。
感想、求む!