僕がサウンドを制作させていただいた
iPhone、iPod touch用のゲームソフト
『newtonica』が発売されました。
思うことはいろいろあるのですが
なにより、このリリースまでのスピードの早さ。
僕に関しては、今月に入ってから作業して
ベトナムに行くまでに納品して
帰ってきたら、マスターアップの報告を受けて
そして、ついに発売となりました。
早すぎる。
iPhone、または、iPod touchが必要ですが
持っていらっしゃる方は、ぜひ、ダウンロードして、楽しんでください!
持ってない方は、誰かに買っていただいて。
現在、有料ゲームのランキングで、2位!
発売直後の瞬間風速で、すぐにガタガタっと落ちていくかもしれませんが
リリースされたばかりで、NEWにも、What's HOTにもまだ掲載されてない
=検索窓からタイトルを探すしかない時点で2位
というのは、なかなかではないでしょうか。
嬉しいっ。
ぜひ、プレイを!
感想は、iTunesのレビューに書いていただけると
マーケティングになるので、助かります。
あ、もし、良い感想であれば、ですが。
600円です。
ぜひ、やってみてー!
<<ここをクリックすると、iTunesのnewtonicaのページへジャンプします>>
こちらがリリースとなったため、ベトナム報告が遅れてしまっておりますが、近々!
ベトナムから戻りました。
東京から出発して
前半の日程を、ホーチミンに滞在し
その後、ニャチャンのリゾートに滞在し
東京に戻ってきたわけですが
それぞれ、まったく違いすぎて
ベトナムに居たという現実が
ふわふわと、現実感なく、浮いている。
いままでも、バリやら、フィリピンの島やらと
東京とはぜんぜん違う場所に行ったことはあるが
旅行の中で、さらに違う場所を移動すると
こういった、不思議な感覚になるということを初めて知った。
ホーチミンに居たんだろうけど、居た気がしない。
ほんとに、ニャチャンのビーチに居たんだっけ。
不思議な記憶と現実感だ。
旅行の写真や、思ったことなどは
明日以降に書くようにします。
バタバタしてしまって、やはり。
夏だ。
もうとっくに夏だけど
なんとなく、この数日で、やっとそう感じた。
忙しかったのであろう。
さて、明日からはベトナムへ。
長男との、父子、男の2人旅。
この時点で、さっぱりなにも用意していないし
さっき、空港からの送迎を頼むのを忘れていたことに気付いて
ベトナムのホテルに連絡したくらいで
明日のこの時間には、もう飛行機に乗っているなんてさっぱり思えない。
Eチケットも、さっき慌ててプリントアウトした。
ベトナムに決めたのは、……1つには行き先を考え始めた時点で
メジャーな行き先の多くは、チケットが無くなっていた、というのもあるが
僕も行ったことがない処だから、である。
「息子と行く」旅であるが、「息子を連れて行く」旅ではない。
僕が行ったことのある国や都市だと、どうしても案内人な感じになってしまう。
「この街は昔さ……」みたいな、知ってる人、対、知らない人、になってしまう。
それは、嫌だ。
一緒に、地図とかガイドブック見て、どこ行こうか、なにしようかと決めたい。
その場、その場で、そのとき、そのときで、考えたい。
だから、事前には、なにも決めていない。
加えて、そもそも、僕も「楽しみだ!」とならないと宜しくない。
いちど行った場所は、面白くないのかというと、もちろん、そうでもないが
初めて行く場所というのは、代えられない楽しみがある。
いったい、なにが待っているのだろう。
ということで
少なくとも、24日の日曜日まで、このblogは更新がありません。
夏期休暇です。
1週間ちょいしたら、また、訪れてくださいませ。
その間に……、というわけではないが
海外のゲームサイト1up.comに、僕の最新のインタビューが掲載されています。
なんと10ページもある、特集記事です。よろしかったら、どうぞ。
<<ここをクリックすると、1up.comの、インタビューページにジャンプします>>
加えて、EGMという海外の雑誌の今月号にも、3ページ、インタビューが掲載されています。
こちらは、日本に住んでいたら、入手は困難ですが。
それでは、行ってきます!
楽しいことがあるといいなー。
雑誌の撮影で、原宿のスタジオへ。
浴衣を着て、被写体になる。
ちゃんとした浴衣を着るなんて、いつぶりだろう。
前に着たときも、なにかの撮影でだったと思う。
が、思い出せない。なんだっけ?
パシャパシャと、カメラのシャッター音が繰り返され
パシパシと、フラッシュが焚かれる中
僕は右を向いたり、左を向いたり、後ろを向いたり。
僕が着た、美しい、浴衣をデザイン、提供してくれたのは
高橋理子率いる、HIROCOLEDGE。
上の写真が代表であり、クリエイターの彼女。
せっかくのデザインを見せたかったので、写真的には横に回転してもらった。
撮影の合間に、いろいろと話をする。
一言でいえば、彼女はすべて「和」について語っていたように思う。
「和」というものが、「現在」を失ってしまっている。
「現在」から、「和」に語りかけてばかりでは
ただのサンプリングでしかないし、結果、一過性のものしか生まれない。
「和」から、「現在」に向かって、真剣に語りかけることが必要であり
それを担っているのが、彼女のクリエイターとしての行動なのであろう。
そのような、大きなものをしょっていこうと思った人間は強い。
ゴールが目の前にありながら、同時に、かなり遠くに存在するからであり
過去と未来が、応援してくれるからだ。
消費とは離れた場所における、和のデザインに期待したい。
受け取る側が、その背後にあるものをしっかりと捉えられるように。
美しいプロダクトがいっぱいありますので
HIROCOLEDGEのウェブサイトを、覗いてみてください。
<<ここをクリックすると、HIROCOLEDGEのウェブサイトにジャンプします>>
撮影スタジオの雰囲気って好きなんだよね。
写真は、清春撮影中の様子。僕は出番待ち。掲載は近々のモノ・マガジンで。
モモが美味しい。
モモはとてつもなく美味い。
そろそろ食べ頃も終わってしまうが
ナシやカキへと、食べ頃果物は、バトンタッチしていく。
年初のイチゴから始まって
年末に近づいてミカンが美味しくなるまで
日本では年中、食べ頃果物が、バトンタッチしていく。
果物が甘い、というのは
果物にとって、大事な機能である。
別に、僕らに「美味しいな!」と喜んでもらうために
自らを甘くしているわけではない。
正確には、「だけ」ではない。
果物を含めて、植物は、自ら動かない。
僕ら、動物は、自ら動く。
果物は、子孫を増やすために
「種子」を、動物に運んでいってもらう必要がある。
動物は、甘くて美味しい果物を食べ、動きまわった後に
消化されななかった種子を、排泄とともに播いている。
そう、動物は、種まきをしているのだ。
果物の子孫繁栄を手伝っているわけだ。
食事と排泄を通して。
だから、いっぱい食べてもらうために
果物は、自らを甘く、美味しくしている。
美味しかったら、いっぱい食べて、種子を運んでもらえるし
美味しくなかったら、食べてもらえないからだ。
大型の動物のほうが、より移動距離も長いため
なるべく、上のほうに、実を付ける果物も多くある。
実を付けた果実が、だんだんと熟して、食べ頃になると
枝から取れやすくなるのも、そのためである。
準備OKになる前に、食べてもらっては困るし
準備OKになったら、なるべく食べてもらいたいからだ。
そこまでして熟れた実を取れやすくしたのに
誰にも食べてもらえない場合、やがて枝から落ちてしまうが
それは、「小さな動物でもいいから食べて〜」という感じだろうか。
面白いのは、トウガラシ類である。
やつらは、ものすごく辛い。
だから、動物には、ぜんぜん食べてもらえない。
それは何故か?
何故、そんなことをしたのか?
ほ乳類に、食べられてしまうと
トウガラシの種子は、ほ乳類の消化器に壊されてしまうからだ。
そして、実は、鳥類は、辛みのもとである
カプサイシンを感じない。
鳥にとっては、辛くない。
そんなおかげで、トウガラシ類は
ほ乳類に食べられず、鳥に食べられ、種子を遠くまで運んでもらえる。
システムとして、よくできているなあ、と深く感じながら
楊枝で、シーシーとやるのである。
ごちそうさま。
日曜日、World Happinessに行った。
野外で音楽を聴くのは、久しぶりのことだ。
カミさんと音楽を聴くのは、もっと久しぶりのことだ。
1歳になる次男と音楽を聴くのは、初めてのことだった。
ステージから届く、大音量に、1歳児は戸惑っていた。
固まっていた、という表現がぴったりだった。
腕で抱えながら、ライブを観るが
まだ小さな息子は、僕の背中のほうをずっと向いたまま。
いつもなら、抱えると、ちょこんと前を向くが
僕にしがみついて、肩に顔を乗せて、後ろを向いている。
やがて、辺りは暗くなり、HASYMOが現れた。
1曲目、TIBETAN DANCEの音が聞こえると
突然、息子が前を向いて、ステージを見つめた。
少し、抱く位置を高くして、ステージを見せてやる。
あまりに良くできたドキュメンタリーの演出のようで
嘘くさい話だが、息子は、前を向いて、手を叩き始めた。
なんだこれ。
なんだこの、よくできたストーリー。
今回のライブは、少なくとも僕が知っている
YMOやHAS、HASYMOのライブの中で最も音が良かった。
少し、ドラムを中心にサウンドを組み立てたのが、成功だと思う。
ライブバンドの音になっていた。
演奏も、サポートメンバー含め、かなり自由にのびのびと演奏していた。
去年のパシフィコの演奏から1年ちょい、数回の公演で
ここまで、バンドとして、サウンドを確立させるとは。
ロンドン、そしてスペインの公演が、大きかったのだろう。
リハなし、とのことだが、逆にそれがよかったのかもしれない。
皆、楽しそうに演奏していたのが、こちらにも伝わった。
ロンドンでは聴くことができず、スペインでは演った
RIOT IN LAGOSの、生ドラムでのライブが、素晴らしかった。
終演後、お三方に挨拶に行き、カミさんと息子を紹介する。
何度か書いたが、昨年、子どもが生まれそうなときに
ちょうど、more treesのイベントがあって、ご迷惑、ご心配をかけたのだが
その子がこいつですよ、産んだのがこの人ですよ、と伝えたかったからだ。
「自分の息子とYMOのライブを観る日が来るとは思いませんでした」と
坂本さんに伝えると、「そうか、この子か」と言って、優しく頭をなでてくれた。
先日、2都市出張という日があって
移動の間で、時間が余ってしまったので、麻婆豆腐を食べた。
2都市出張と、麻婆豆腐は、なにも関係ないし
移動とも時間とも、麻婆豆腐は、なにも関係ないが
とにかく、麻婆豆腐を食べた。
悪くはないが、がっかりだった。
きっと、麻婆豆腐の平均点が、50点だとしたら
80点くらいの味ではあった。だから、美味しくはある。
だけど、もっと美味しい麻婆豆腐が食べたかった。
1つ理解できるのは、麻婆豆腐の専門店ではないため
これ以上、花椒や唐辛子を効かせてしまうと
食べられない、という人が出てきてしまうのだろう。
だったら、麻婆豆腐食べなきゃいいじゃん、とも思うんだけど。
という中、思うことがある。
ほんとにいい素材で、パシっとうまい
そういう専門店って、なんでないのだろうか?
例えば、カルボナーラ。
本気で、「こりゃうまい!」っていうのに出会ったことは数少ない。
だから、専門店案。
ベーコンと、生クリームと、チーズ、卵黄、そして黒胡椒を
もうかなり最高の素材で、用意していただいて
もちろん、麺も、いい感じの味のある細麺を、かなり固めで
それを、上手に調理していただいて
最後に、カリっと、トリュフを削り落としてもらって。
もちろん、それなりに大変だろうけど
それなりに努力すれば、できそうなものなのに、どうしてないんだろ?
「ここより美味いカルボナーラがあるなら出てこい!」
みたいな感じで、少なくとも東京なら、成り立つと思うんだけどなあ。
素材ぶん、ちょい高めになっちゃっても、全然OKで。
同じように思うのは、カレー。
なんか、いま、外食産業に、思い切りケンカ売ってるみたいだけど
そうではなくて、スパイス方面のカレーの、専門店が欲しい。
ココイチとか、欧風方面のカレーは、サクっと食べられる
専門店があるけど、スパイス方面ってないんだよね。
ちゃんとした、インド、スリランカ、ネパール料理屋になってしまう。
そして、そういう店って、トータルで美味しいんだけど
カレー単体で、「これ!」っていうのは、少ない気がする。
夜中でもやってる感じで、前菜とかサイドメニューとかいらないから
スパイス効いてて、「むほっ、これだ!」っていう
スパイス方面カレーの専門店、あってほしい。
そういうノリで、どんどん専門店化してほしい。
いろいろメニューは無くてぜんぜんいいから
いろいろ食べたいときは普通の店に行くから
「この一皿なら負けないぜ!」っていう、店、どんどんほしい。
例えば、「コハダの鮨」という店だっていい。
うまいコハダの鮨、というのは、なんとも言えない魅力がある。
もう他には一切、品がなくて、コハダオンリーだけど
「コハダの鮨なら、絶対これ!」という店がほしい。
もう、いろいろ食べてトータルで、というのは、もういい。
この1皿、この1品、そういうスタイルでいいから
「絶対に、どこにも負けない!」という、そういうのが食べたい。
どんどん、そうなってほしい。
このところ、ずっと忙しかった。
ひとだんらくついたが、バタバタの影響もあって
それはそれで、引き続きバタバタしていた。
と、気が付けば、明後日はもう
World Happinessの開催日じゃないですか。
なんか得した気分。
いつもだったら、あと何日、なんて数えていたけれど
指折り数える余裕もなかったおかげで
気が付けば、もう目の前だ。
こんな、軽い気持ちで、HASYMOやpupaの
ライブが楽しめるとは。
楽しみ!
本気で、「怖い話」というわけではないので、ご安心を。
昨晩、カミさんに「パンを買ってきてくれ」と頼まれた。
とはいえ、もう夜遅くだったので、パン屋ではなく、コンビニへ。
1歳の次男が、退屈そうにしていたので
外に出れば、ちょっとは気晴らしになるだろうと、連れて行くことに。
しかし、1歳なのに、ずいぶんな夜型である。
次男を右手で抱えて、家を出る。
ちょうど右腕に、ちょこんと乗るサイズである。
玄関を開けると、廊下は暗かった。
すると、次男が「ちっ!」と言って、左方向に指を指す。
「ちっ!」というのは「あっち!」という意味だ。
エレベーターがある方向を覚えているので、「あっちへ」というサイン。
現在、喋れる言葉は、「ママ」と「パパ」
「いないいないばぁ」をするときの、「バァ!」
お腹いっぱいという意味の「ポンポ」
お茶がほしいというときの「チャーチャ」
そして、「ちっ!」である。
「ポンポ」があっても、「お腹が減った」がないとか
「チャーチャ」はあっても、「食べものがほしい」がないとか
なかなか、面白いものである。
エレベーターに向かって、廊下を進む。
わざと廊下の途中で止まって、「どっちだ?」と訊くと
エレベーターのほうを指さし、「ちっ!」と言う。
ちゃんとわかっている。
そんなことを、2〜3回、繰り返して遊ぶ。
やがて、エレベーターホールに着く。
エレベーターが見える前で、「どっち?」と訊く。
当然、エレベーターのほうを指さすかと思っていたら
いま来た、廊下のほうに、指を向けて「ちっ!」と言う。
「そっちじゃないだろ?」と笑って、もういちど訊く。
すると、また、廊下のほう、僕の背中のほうに指を向けて、「ちっ!」と言う。
「部屋に帰りたいのかなあ?」
と思って、振り向くと
真後ろに、ヌッと警備員が立っていて
びっくりして、ぶったまげて、うわぁと声を出しそうになった
そんな、暑く湿った、夏の日の夜。
マジでびびった。
遅くに家へ帰って、寝室のドアを開けると
カミさんと、長男=10歳、次男=1歳の、3人が
それぞれ、思い思いの格好で、グーグーと寝ている。
結婚したし、長男も10年以上前に生まれたし
次男も1年ちょい前に生まれたので、あたりまえの光景なのだが
その、3人が寝ている姿が、あまりにもリアリティがある。
あまりの、リアリティなのだ。
現実というものを、直視させられた感がある。
僕は、いつの間にか、4人家族の、旦那になっていた。
それぞれ、家族が起きているときは
それぞれが、それぞれのことをしていたり
それぞれ、勝手にいろいろ動いていたりするから、あまり感じないが
3人が同じ部屋の近い位置で、動かないでいると、感じるものがある。
すごい、リアリティなのだ。
カミさんが、「育児に疲れ果てたわー」という顔で寝ている。
次男が、「この世の中って結構面白いかも」という顔で寝ている。
長男が、「僕もだんだん成長してきましたよ」という顔で寝ている。
現実なのだが、簡単には受け入れられない現実が、そこにある。
あれ、いつの間に、こんなになっちゃったんだろう、と思う。
2人の父親かー、と思う。
4人家族かー、と思う。
どのくらい先のことか、わからないが
そのうち、死ぬとき、この、寝室のドアを開けたら
3人が寝ているという、画は、たぶん思い出すだろうと思う。
いま、ものすごい、リアリティなのだ。
なんとか、せにゃな、と思う。
後悔は、させない。
真っ直ぐに木が伸びていた。
すずしい風が吹いていた。
ただ、そこに、僕は寝ころんで空を見上げる。
あわただしかった日常が、ぜんぶ、どこかへ飛んでいった。
アリが遊びにやってくるが、気にしない。
ツキサップの台地が、いろんなものを吸い取ってくれる。
プレゼントのようなものだ、と感じる。
すやすやと寝てしまう。
ベッドは草原。
手を枕にして、しばらく寝た。
終演。
了解。