港区主催の「みなと森と水会議」へ。
僕が賛同人にもなっている
「more trees」のセッションがあったからだ。
代表、坂本龍一さんによる「more trees」の概要説明がメインだったが
高知県の橋本大二郎知事、高知県梼原町の中越武義町長との調印式もあり
四万十川の源流、梼原町に正式に「more treesの森」第1号が誕生した。
ご存じのように、温暖化が激しい。
もちろん、温暖化だけが問題ではないが
人間社会によって、環境に大きな影響を与えてしまっている。
環境というのは、「自分」以外のすべてであるが
自分以外に思いやりが足りなかった結果、大変なことになってきた。
自分以外が大変になれば、当然のこと、自分も大変になっていく。
僕らは、環境のなかで生きているわけだから。
話を温暖化に戻すと、その大きな原因はCO2の排出である。
CO2=二酸化炭素は、温室効果ガスのひとつであり
化石燃料の燃焼などによって排出されることで増え続けている。
CO2が増えていくと、地球の熱が宇宙に逃げなくなってしまう。
地球環境というのは、僕らにとって、よくできていて
といいますか、僕らを含めた、現在の生物にとって
都合のよい環境のおかげで、今日、ここに生きているわけですが……
森林や植物、海が、CO2を吸収して、酸素を吐き出しているわけです。
しかし、そのバランスが、悪くなってきている。
なんとかするには、方法は2つ。
A=Bのバランスが崩れて、A<Bとなっているわけで
ものすごく簡単な算数だから、わかりやすいと思うのですが。
A<Bを、A=Bに戻すには
Bを減らすか、Aを増やすしかない。
まず、CO2の排出量を減らすこと。
そして、木を増やすこと。
その後者の取り組みが、「more trees」であり
だから、「more trees」というネーミングである。
質の高い森作りを、日本、世界で展開していく。
そして、森林が吸収するCO2による、カーボンオフセットを実施する。
また、省エネルギー技術開発支援をしていく。
環境問題にしても、質の高い森作りにしても
100年単位の、長い長い取り組みだ。
僕らの寿命よりも長い時間のことを考えなければならないのだから。
それができて、はじめて、「個」を越えて
「環境」を考えることができる。
僕個人の話でいくと
環境を考えることが大切だし、その取り組みをしているわけだが
自分の寿命を越える「ものづくり」や「考え」というところに
非常に興味をもっている。
誤解を恐れずに言うと、「おもしろいな」と思っている。
決して、責任感が強い人間だとは思っていないが
このままだと、ちょっと無責任すぎる。
地球という環境に感謝がしたい。
2人の息子に、将来、「バカじゃねえか」と怒られたくない。
そもそも、自分で「バカだった」と後悔したくない。
こんな面倒くさがりで、無責任な男が言うんだから
なかなか、考えるべき話ですよ。
若干、上から目線で申し訳ないが
ミーティングなどをしているとき
この数年、何度も思うことがある。
それは
「『どっちか』じゃなくて、『どっちも』だろう」
ということである。
どういうことかと言うと
真面目な題材じゃなくても
くだらない話題でもいいんだけど……。
例えば、『A』という出来事や現象について、その理由を考えていたとする。
「あのパン屋は、なんで流行ってるのかなあ?」ということでも
「女性専用車両ができても、痴漢の発生数が減らないのはなぜだろう?」でも
「あの部長は、なんでこの案件に前向きになってくれないんだろう?」でも
なんでもいいんだけど。
そんな話題があったとして……。
誰かが、「それは、『B』じゃないかなあ」と回答する。
すると、別の人間が「いやいや、『C』でしょう」と、すぐに返す。
そんなことが多い。
へたすると、「いや『B』だよ」、「いえ『C』でしょ」と続く。
「いやいや、それ、『どっちも』、だろう」と、心で思う。
「『どっちか』思考」をする人が、とても多い。
厳密に言うと
「『どっちか』思考」ではなく
「『こっちだ』思考」とか、「『これでしょ』思考」なのかもしれない。
いずれにせよ、原因を「1つ」と考えてしまいがちなのだ。
これは、判断や認識をしていく上で
かなり、よろしくないことだと思う。
もちろん、理由がシンプル、というケースもあるし
例えば、「犯人は誰だ?」みたいなケースだと
「どっちか」とか、「こっちだ」でもよいのかもしれないが
それにしたって、「複数犯」という場合もあったりするわけだ。
原因とか、理由というのは、「1つ」であることは少ない。
「お金がないから、やめました」とか
「単に『面白い』と思ったからです」とか
「赤と青を間違えてました」とか
そういう、原因とか理由がシンプルなこともあるが
普通は、いろんなことが絡み合ったり、積み重なったりしている。
誰かが部活を辞める理由だって
ある曲が大ヒットした理由だって
夫婦が離婚をしてしまう理由だって
「これ!」という、1つの理由しか存在しないことは少ないし
もっといえば、1つの理由が、大半を占める、ということも少ないだろう。
自分で振り返れば、そうだなあ、と思うはずだ。
単純なことだけど
まず、「理由はいろいろ」と思うべきだ。
なにかの理由とか原因を考えるとき
「1つだけ」を思い浮かべない。「1つだけ」考えて終わらない。
そして、自分以外の人間が別の意見を持っていたならば
「それもそうかもなあ」と考える。少なくとも検討する。
そんなことが、とても大事なことじゃないかなあと思う。
「OBLIVION BALL」@幕張メッセに行ってきた。
連休前から、CONNECT@国技館にも行ったので
この数日は、音楽イベント漬けだった。
2年ぶりの、Underworld。
そして、楽しみにしていた、The Orb。
挟み挟みの、Andrew Weatherall。
都合で、SIMIAN MOBILE DISCOには間に合わなかったのが残念。
Underworldは、一緒に行った仲間に
「冷たいぞー」と言われながらも、1人で。
The Orbは、会場でばったり会った
水口哲也と、2人で見た。
音楽の持つ力は、すごいなあと改めて思う。
他のメディアや表現と比べてすごいという意味ではなく
音楽しか持っていない力がある。
そんな当たり前のことだけど
あれだけ大勢の人間が、みんな笑顔になっている姿を見て
改めて強く胸に突き刺さった。
僕が、Underworldを強く意識したのは
いまから10年ほど前だろうか。
その頃は、まだ、メディアというものに占める
オンラインの割合は、まだまだ小さなものだった。
それが、あっという間に力を持ち始め
今では、口々にする話題の多くは、オンラインとなった。
そんな世の中で、わざわざ
決まった日の、決まった時間に、決まった場所へ、みんなが集まり
同じ時間と空間、感動を共有するというのは、価値あることだ。
2007年の、11月24日から25日にかけて
幕張メッセのあの場所にいた、というのは、大きな意味を持つ。
楽しい夜だった。
ライブ後、The Orbの、Alex Patersonに会いにいった。
めちゃめちゃ暖かく、クリエイティブなバイブレーションを持っていた。
デジカメの写真を楽しそうに、いっぱい見せてくれた。
さて、ゲームのことを語ろうかと思います。
今回を初回として、何回か続けていこうと思っています。
前回の予告でも書いたけど
ゲームの紹介をしたいわけではないから、内容については語らず。
開発の話も、「つらかった」とか、そんな話ばかりになるから、語らず。
ゲームを離れて、そろそろ8年。
過去のゲームのことは、語ることはなかったんだけど
そろそろ語ろうかなあと、ふと思ったので、いい機会だと思いました。
語ったからといって、なにがどうというわけではないし
昔話をするのは、いつもなら、格好が悪いことと思うんだけど
「語ろうかなあ」と思った気持ちに、正直に、従ってみようと思った。
語ったからどう、というのは、語ってみたらわかることかもしれないし。
……これ、もしかして、自分に向けて、語っているのかなあ。
最初にお断りしておきたいのは、重要なことを語る、というわけではなく
いま、思い出すことを、ただ語ります、ということ。
どの作品についても、ずっと語っていたら、ずっと語っていられる。
いま、語ることに意味があるんじゃないかと思って。
きっと、3年前とか、5年後に語ったら、違うものを挙げるかもしれない。
という初回は、『エネミー・ゼロ』のこと。
重いなあ。
やっぱり、『ショートワープ』からにすればよかった。
さて……。
『エネミー・ゼロ』について。
最初に、思い出すのは、ロゴを作ったとき。
『エネミー・ゼロ』が、ある意味、始まった瞬間。
突然、あの形のイメージが沸いてきて
丸2日、ほぼ机の上から離れずに、集中して作った。
ふって沸いたものを、実際のイメージに落とす。
音楽とか企画では起こることだけど、デザインでそんなことが起こるというのは
初めての体験だったこともあって、自分でもびっくりした。
次に。
最も語るべきなのは、プラットフォームを変えたことだろうか。
ものすごく悩んだんだよね。
その理由に関しては、過去に何度も語ったし
なんだか「気持ちをわかってくれ」みたいな感じがするから
語りすぎないようにしますが、最大の理由だけ。
それは、前作『Dの食卓』のプレイステーション版のこと。
たまに、SCEがちゃんと販売しなかったことが、その理由だと勘違いされているけど
そうではなくて、オーダーした数を生産してくれなかったんだ。
いまじゃ考えられないけど
当時は、プラットフォーマーが、初回本数を決めていた。
こちら側のリスクで、こちらのお金で、こちらが受注取ってきているのに。
10万枚、せめて8万枚といくらお願いしても、4万枚しか作ってくれなかった。
思い切り、ビジネスロス。
しかも、あまりにも少ないと感じて、調べたところ
2万8千枚しか出荷していなかった。
それはないよね。
そんなことが、ほかにもいっぱいあって。
めちゃめちゃなことが、たくさんあったんだよ。
いまじゃ、いくらなんでも、ありえないことだと思うけど。
そういうことが、いっぱい積もって積もって
残念ながら、相手として、信じられなくなってしまったんだ。
自腹切って開発しているから、うまくいかなかったら潰れる状況で。
『Dの食卓』で上がった利益を、ほぼ投入したから。
開発している仲間のこともあって。
みんなかなり無理して、一生懸命作っていたんでね。
リーダーとして経営者として
大切なソフトウェアを、信頼ができない相手に、預けることはできなかった。
ひとつ言えるのは、いま同じ状況だとしても、同じ選択をするということ。
あたり前のことだけど。
思い出すのは、最初にSEGAと話し合いをもったときのこと。
先方は副社長から並んだ場だったんだけど、前日に高熱が出たんだよね。
びっくりするくらいの突然の高熱。
そして、二度目のミーティングのときに……、また、前日に高熱。
もう、これはなんだろうと思った。
決断ができていなくて、交渉を先延ばしに……とか、思われたらいやで
体温計を持っていって、その場で計って見せた。馬鹿みたいだけど。
あれは、なんだったんだろう、といまでも思う。
あと、最初にお会いしたとき、当時副社長の入交さんが
まったくゲームの内容には触れず、こっちの人物のことだけを訊いてきたこと。
これは驚いた。内容の話の前に、こちらの人間を見ます、ということだからね。
面白い人がいるなあと思った。
マイケル・ナイマンとのことも思い出深い。
ホテルで6時間説得して、無理矢理、口説いたようなもんだ。
アビーロードで録音したなあ。
最初のアビーロードでのスケッチのとき、収録までしたんだけど
マイケル・ナイマンの良さが出ていないのと、求めていたイメージと違ったので
めちゃめちゃ悩んで、ダメ出しをしたことも思い出深い。
マイケル・ナイマンにボツと言ってよいものかと。
結局、やりなおしをしてもらった。
受け入れてくれて、いまも感謝しているんだ。
先日、LIVE EARTHの京都の会場で、久しぶりに再開して抱き合った。
どうでもいいことでは
3DCGゲーム初……だと思うんだけど
オールヌード、キスシーン、シャワーシーン。
最後になって「もう1つ」ってシャワーシーン入れたなあ。
懐かしい。
そういう、どうでもいい元気さが、なくなってしまったなあ。
さて、プレイステーションエキスポ。
プレイステーションエキスポ、という場で
プラットフォームを変更することを発表した。
プレイステーションのロゴを、サターンのロゴにモーフィングさせた。
もう、それは「やるならやったれ」という悪ノリだけど。
文字通り「やるならやったれ」だった。
プレイステーションエキスポで、移籍発表というのは
やりすぎかなあと、思われるかもしれないけど
いまさらキャンセルがきかないタイミングだったのと
正直、「やってやれ」という気持ちが強かった。
ゲームメーカーとしての声を、本気の叫びを
プラットフォーマーに届けたかったんだ。
それが、直接かどうかはわからないけど
その後、初回本数はパブリッシャーが決める、というルールに変わった。
それは、いまも続いていることだ。
あの場で発表するかどうかは、最後まで……それこそ
その発表会のその時間まで、自分に選択権があった。
1秒前まで、やめる、という判断ができるようにしていたのが
いま思うと、ちょっと覚悟が弱いというか、情けないね。
そのエキスポの後、SEGAでも移籍会見みたいな発表会をやったんだけど
当時、副社長だった入交さんと、舞台で握手するシーンがあって
だけど、そこで流れていたのは、華々しい音楽ではなかった。
そういうシーンには合わない、寂しい曲が流れていた。
僕が、CDを持っていって、舞台の演出をやっている人に頼んだんだ。
この音楽をかけてくれって。
その楽曲は、マイケルナイマンの『数に溺れて』。
そのタイトルに、すべてが現れている。
嬉しかったのは、その会場にいた記者で、1人だけ、気付いてくれたんだ。
いまでも申し訳ないというか、悪いことしたなあと思うのは
SCEの担当だった松本さんと、マーケティングの佐伯さん。
ごめんなさい、としか言いようがない。
佐伯さんと、その翌日、お会いしたとき……辛かったというか
なんというか、複雑だった。
坂本祐二と仕事をしたのも、このソフトが最初。
台詞をリライトしていただいた。
以前に、雑誌で対談を申し込まれたのが、出会いだった。
会って、いろいろとお話をしてみて
すごくいい人だったので、彼と仕事がしたいと思って、連絡を取ったら
ドラマの脚本を書いていて、ホテルに缶詰になっていた。
ホテルにずっと1人じゃ寂しいだろうと思って
お風呂で遊ぶおもちゃを、いっぱい持っていったんだよね。
ポンプ式でぴょんぴょん跳ねるカエルとか。
黄色いアヒルのおもちゃとか。
山ほど。
それがきっかけで、すごく仲良くなった。
話が散漫だけど、広告のアートワークも思い出深い。
『Dの食卓』のときは、アートディレクションをしていたけど
『エネミー・ゼロ』からは、自分で直接、デザインをするようになった。
カヒミ・カリィに頼んで、広告に出演してもらった。
彼女の持つイメージが、作品という意味ではなく、作品の広告として
ぴったりだったんだよね。
『エネミー・ゼロ』からは、メンバーもずいぶん増えた。
引っ越したりして、会社の規模が大きくなっていくことに対して
すごく違和感あったなあ。
『エネミー・ゼロ』から参加した
「ICO」や「ワンダと巨像」の上田文人くんのことを、よく訊かれるんだけど
入社の審査ビデオの内容をいまでも覚えている。雰囲気がすごかった。技術ではなく。
実は、社内審査的にはうまくなかったんだけど、無理矢理頼んで採用したんだよね。
即戦力とかいうことじゃなくて、持っている才能が凄かったから。
技術以外で、ワープで学んだことなんて、なにもないんじゃないかと思うくらい
最初から、ずっと才能があった。世界を創る才能の持ち主だ。
長くなってしまったから、このへんで。
『エネミー・ゼロ』という作品は、すごく複雑な思い出だ。
ゲームの内容や、開発のことを書かずに
当時を思い出して、周辺のことを書いているから、そうなのかもしれないけれど。
もう10年以上も前のことなんだよね。
突然ですが、ゲームのことを語ってみようと思う。
昔、制作したゲームのことを。
何度か、やろうかなと思っています。
めずらしく「予告」。
そうでもしないと、「やっぱりやめた」と、なるかもしれないから。
語りたくなった、いい機会だからね。
このblogで、過去のゲームのことは、書くことはなかったんだけど
そろそろ語ろうかなあと思った。
内容については、書くのをやめようと思う。
今更、内容を語っても仕方ないし。
開発についても、「大変だった」みたいな話ばかりになるから
あまり語らないようにします。
いま、書きながら、思い出すことを語ってみようと思う。
内容とか、開発の話じゃなくてね。
ゲームから離れたので、距離を取ろうと思って
2000年以降は、自分のゲーム作品のことを、ずっと語らなかった。
引きずるのもどうかと思ったり、今更ねえ、とか。
雑誌も、テレビも、ディスカッションも、ゲームに関することは、だいたい断った。
不義理をしてしまったといえば、謝るしかないんだけど。
だけど、そろそろ……。
逆に、ずっと語らないというのも、気持ちが悪く思えてきた。
ずいぶん時間も経ったし、不自然なことだし。
まず、1回目は『エネミー・ゼロ』にしようと思う。
『Dの食卓』からだと、発売日順みたいだし。
発売順だったら、『宇宙生物フロポン君』だけど。
うわあ、懐かしい。
次回の更新からスタートしようと思います。
なんだか、「封印を解く」みたいですね。
大袈裟だけど。
でも、そのくらいの気持ちなんだよね、ほんとうのところ。
やっと、語れる、のかもしれない。
月1回くらいで語ろうかな。
いま、語るタイミングなんです。
数日前に、「ママ大変」と書いたが
本格的に大変になってきた。
夜泣きに加えて、寂しんぼ状態、が始まった。
寝かせると、泣いてしまう。
だっこすると、泣きやむ。
しばらくだっこして、機嫌が良くなったのかなと
寝かせると、また泣いてしまう。
大人が泣くのとは違って
子どもが泣くのとも違って
赤ちゃんが泣くのは、本気だから大変だ。
放っておいても、ずーっと泣き続ける。
夜泣きの時限爆弾だけでも大変だったが
だっこしないと泣く、という
センサー付き爆弾の機能も兼ね備えてしまった。
これは、厳しい。
ずーっと、だっこしているわけにもいかないし。
体力の限界もあるし、気力の限界もあるし
そもそも、妻と母という、やることもいっぱいあるし。
だけど、だっこをやめると泣く。
赤ちゃんに、こちらの事情など、わかるはずがない。
泣く。
泣く。
泣きマシーンだ。
泣いているのを、少しの間、放っておいても
また、だっこをしてあげなければならない。
これは、厳しい。
そんな、寂しんぼ状態、が
いつまで続くかわからないのも、精神的に厳しいだろう。
だけど、カミさんは、そんな状態でも
「そうかそうか、ごめんね」と言って、笑顔で抱き上げる。
日曜日。
長男が、朝から夕方まで、出かける用事があったので
「一緒に、美味しいものを食べにいこう」とカミさんに提案した。
せめて、ちょっとくらいでも
「楽しいなあ」とか「美味しいなあ」とか、喜んでほしかった。
笑ってほしかった。
そのくらいの提案しかできないところが、情けないんだけど。
しかし、カミさんは、長男に悪いという。
長男が帰ってくるのを待って、一緒に夕食にでかけようという。
なんだか、どうにも、こうにも
心がぐにゃぐにゃになってきて
「そんなのどーでもいいから、食べにいこう」と言い、出かけた。
外はもう、少し寒くなっていた。
バギーで出ると、赤ちゃんはすぐに寝た。
だっこセンサー付き時限爆弾が見せた、ちょっとした気配り。
2人で食事をしている間、ずっと寝ていてくれた。
上海蟹が美味しかった。
赤ちゃんが泣いたら迷惑をかけるからと
個室を予約してから、食べにいったのだが
店に入ってから、家に帰るまで、ずっと寝ていてくれた。
おかげで、突然、ほわっとわいた、2人の時間ができた。
美味しいね、美味しいねと
笑顔で食事をするカミさんを見て
結婚したばかりの頃を思い出した。
横を見ると、バギーで、赤ちゃんが気持ちよさそうに寝ていた。
爆弾のちょっとした気配り。
カミさんと、デザートを半分ずつわけて食べた。
黒胡麻のプリンと
キンモクセイのスープに甘い団子が入ったデザート。
甘くて、切なくて、優しい味だった。
中目黒に行った。
中目黒に行った、といっても
ここは恵比寿なので、すぐ近くだ。
タクシーでも1メーター。駅でも隣の駅。
歩いたって、ぜんぜん行ける距離。
だけど、あまり行く機会がない。
ないこともないけど、この距離にしては、かなり少ない。
というのも、中目黒という街が
自分にとって、昔、懐かしい場所だからだ。
もう、懐かしすぎてしまう。
あまりに思い出が濃くて、行くたびに
ノスタルジックが止まらなくなってしまう。
中目黒に行く、というのは、「昔に戻る」、という感じがしてしまう。
僕が最初に会社を立ち上げたのが、中目黒。
正確には、上目黒2丁目で、祐天寺と真ん中くらい。
まだ、19歳だった。
右も左も、わからなかったが
前と後ろは、わかっていたので、前にどんどん進んでいった頃。
おかげで、しばらくした後
もうちょっといいところに引っ越すことができた。
引っ越した先も、同じ中目黒。青葉台1丁目。
山手通り沿いで、駅からも5分ないくらいの距離。
当時、しばらくした後、隣に金萬福の中華料理屋ができて
よく下で、アサヤンのロケをやっていた。
オフィスの所在地を考えると
中目黒
↓
中目黒
↓
恵比寿
↓
恵比寿
↓
青山
↓
元麻布
↓
広尾
↓
恵比寿
↓
恵比寿
ということになって、圧倒的に恵比寿が多い。
自宅が恵比寿ということも多いので、かなりの恵比寿っ子である。
最初の会社を立ち上げてからしばらくの間、住んでいたのも恵比寿だった。
6畳1間。ワンルーム。
神宮前に引っ越すまで、7年も住んでいた。
そういう、恵比寿っ子の僕にとって
中目黒というのは、「その前の自分」の場所、というイメージがある。
だから、好きだけど、ちょっと反抗したくもなる感じ。
懐かしいけど、それは過去のことでしょう、と思うような場所。
好きなんだけど、好きって言えないというか。
本当に好きなのか、どうか、わからない場所といいますか。
昔は素朴でいい街だった。
目黒川沿いに、オッシャレーな店がいっぱいできたのも
そう思っちゃう要因なのかなあ。
中目黒に行くと、昔の画が見える。
昔の音が聞こえる。昔の仲間がいっぱいいる。
今日も、あの頃、一緒にいろいろ頑張っていた
仲間の姿がいっぱい見えた。声まで聞こえた。
あぁ、このへんで、真剣な話ししてたなあ、とか。
そこの角、曲がったところで、あいつとよく飯、食ってたなあ、とか。
「懐かしいなあ、中目黒」と思いながらも
「ふんっ、中目黒なんて、昔の場所さ」と思ってしまう。
そう思ってすぐに「ごめんなさい、中目黒」と心で呟く。
中目黒……かあ。
かなり久しぶりに、中目黒の「百麺」でラーメンを食べた。
僕のオフィスがあった頃は、まだ、存在しなかったけど。
味が、昔と違って感じた。
僕が変わったのか、味が変わったのか。
変わったように思えてしまう、場所なのだろうか。
中目黒だから。
佐藤可士和さん、中村勇吾さんと会った。
お二方ともお会いするのは、初めてのこと。
この度、というか、もう、ちょっと前になりますが
佐藤可士和さんのウェブサイトがオープンして
そのディレクションをしたのが、中村勇吾さんであり
制作を行ったのが、彼が率いる、tha。
そんな繋がりがある、お二人に会い、話しを聞きにいった。
(その模様は後日、雑誌で掲載となりますが、それはまた後日)
僕が可士和さんを意識したのは、smapのアートの頃。
そして、極生。これはたまげた。
可士和さんの名前は存じ上げていたが
制作物のアウトプットに名前が記されているわけでもないので
極生にしろ、smapにしろ、うわっ、すごいデザイナーが現れたなあ。
と思っていたのである。
それが同一人物で、佐藤可士和さんだと知ったときは驚いた。
smapの3色の選び方は、もう素晴らしすぎた。
色のセンスがなによりだけど、色の面積のバランス、ナナメったロゴなど
その1枚の画、すべてにおいて、完璧なように思えた。
そして、極生。
これは、参った。
これは、もう自分には言いようがない。
いろんなことが凄いから、トータルで凄いんだろう。
「色が…」とか「字間が…」とか、分析するのがバカバカしくなってしまう。
そのくらいの衝撃があった、個人的に。
広告作品で、しかも仕掛けとかではなく、純粋なアウトプットのアートで
息が止まるような思いをしたのは、初めてのことだった。
中村勇吾さん、そしてthaは
幅広い意味で、今日現在、最高のオンラインの制作チームの1つであると思う。
UNIQLOのウェブサイトで有名になったのだと思うが
僕が最初に触れたのは、東京FMの、HONDA SWEET MISSIONのサイト。
技術も凄いんだけど、手触り感とか、popなノリに驚いた。
あれだけハイテク使って、あんな感じのノリまで、出せちゃうのが凄い。
当時、「どこが作ったんだろう?」と、調べたりしたのを思い出した。
そして、僕の大好きすぎるサイト、「FFFFOUND!」だ。
僕のTUMBLRを見ている(右にリンクの正方形バナーがあります)方は
気付いていると思うが、僕は「FFFFOUND!」をよく見ている。
単にサイト自体も好きだし、そこにある写真やアートも好きなのだが
それらの素材が、めちゃめちゃ仕事の参考になるからだ。
ちょっと悩んだりしたとき、「FFFFOUND!」を、だらっと眺めていると
ものすごいへんなところから、ヒントが生まれたりする。
以前は、ずっとgoogleイメージ検索が、その役割だったが
いまはもう、ずっと「FFFFOUND!」だ。
サイトの技術やコンセプトではなく、結果、そう思えてしまうという
ところに、本質的な凄さを感じる。
……と、この数年、ずっと気になっていたお二方に
しかも、同時に会えて、お話ができ、有意義な時間を過ごすことができた。
かなり細かい部分まで、話し、聞かせていただいたおかげで
いろんな考え方や、姿勢、こだわりを、深く知ることができた。
会いたかった人に、しかも二人同時に会えたわけだが
昨日は、それだけでは終わらなかった。
お二方と別れた、その後、SKIPのメンバーに偶然会って
水口哲也とも偶然会い、ラーメン職人の中村栄利さんともお会いした。
なんだか、年末のパーティのような一日だった。
佐藤可士和さんも、中村勇吾さんも
お二方とも、メジャーな苗字+個性的な名前、である。
「佐藤さんは……」「中村さんは……」と、苗字で呼ぶとちょっと違う。
やはり、名前のほうにウエイトがあるので、「可士和さん」「勇吾さん」と
呼ぶことになるのだが、お会いしたばかりで、名前で呼ぶというのは、珍しい。
それが一度に二人も、ということが、話している最中、なんか、ずっと可笑しかった。
中村勇吾さん+thaが制作された、佐藤可士和さんのサイト、ぜひ見てください。
<<ここをクリックすると、佐藤可士和さんのサイトにジャンプします>>
そして、僕の大好きな、「FFFFOUND!」。ステキサイト。
<<ここをクリックすると、「FFFFOUND!」にジャンプします>>
thaのサイトはこちらです。左のプロジェクト名から、過去の作品を見ることができます。
<<ここをクリックすると、thaのサイトにジャンプします>>
カミさんが大変だ。
下の子が、そろそろ6ヶ月。
夜泣きシーズン、真っ直中だ。
まず、そもそも寝ない。
これは上の子もそうだったので
そういう血なのか、環境の問題か、わからないが
21時になっても、22時になっても寝ない。
寝ても、起きる。
で、やっとこ寝付くのが、23時とか0時とか。
ヘタすると、もっと遅い場合もある。
で、寝たと思ったら、突然、起きて泣く。
なんとか寝付かせても、また、突然、起きて泣く。
それが、一晩で、何回も。
当然、寝不足になってしまう。
僕も、起きてしまって、一緒に寝不足になることもあるが
カミさんは、それがずーっとだから大変だ。
寝不足というだけではなく、ストレスも溜まるだろう。
人間、寝る、というのは、ものすごく大事なことで
それが、邪魔されてしまうというのは、結構、キツい。
仕事などで、睡眠時間が少ないことはあるが
少ないにしても、自分で、寝る時間と起きる時間は決めているわけだ。
しかし、それができない、という大変さ。
いつ爆発するかわからない
だいたい、3時間前後で、爆発するおもちゃを
ベッドルームに、ずーっと設置しておく
と考えたら、伝わるかもしれない。
そりゃ、厳しいでしょう。
しかし、それが現実の出来事。
夜泣きシーズンが、いつ終わるとわかっていたり
もしくは、短いものだったら、気持ちの解決ができるかもしれないが
それすらわからない、というか、それなりに長いから
大変なものだ。
みんな、母親に、こんな大変な思いをさせて
育ってきたんだなあ、と思う。
誰もが、忘れちゃっているわけだけど。
その愛はすごいや。
やっぱり、産んだ人って、違うね。
母親と父親は、ぜんぜん違うものだと、このところ、認識することが多い。
すべてのママにリスペクトするわ。
なにか、カミさんに楽しい思いとか
気晴らしになることとか、真剣に考えなきゃいけないなあ。
このままだと、パンクしちゃうよ。
長男と相談しよう。
そんな中、昨晩、帰宅すると、テーブルの上に
カミさんから長男への手紙が置いてあった。
自分の顔のイラスト付きの、楽しい手紙。
ありがとう、としか、いいようがない。
青木孝允と会った。
彼はパリに住んでいるので、会うのはたまに。
といっても、過去に会ったのは、たった3回くらいかしら。
その3回も、この1年とか2年くらいのものだ。
いつもは、誰かと一緒に会うことが多いので
今回は、2人きりで会おうということで、2人きりで会った。
男同士は、深い時間が必要だ、と彼に伝えた。
2人で
気になっている音楽とか映像とか
最近の自分の作品とか
ただ、聴かせ合う、見せ合うだけ。
2人で交互にDJ・VJをやっているようなものだ。
客も、その2人。
楽しかった。
ずいぶん、盛り上がった。
我がオフィスは、いいクラブになってた。
彼の作品を知ったのは、もう6年も前。
DVDで作品を見て、「素晴らしい」と、メールを送ったのが、そのきっかけ。
会うたびに話題になるが、そんなきっかけが凄い。
とにかく、彼の音楽は、カッコいい。
スタイルが大好き。
気持ちよくて仕方がない。
だんだん、洗練されてきているし。
たまたまの偶然で、坂本さんや、細野さん、幸宏さんも
彼のサウンドを非常に気に入ってくれており
どこか忘れたけど、なにかのタイミングで
細野さんに「青木孝允の音楽は、いいですよねー」なんて言ったら
横にいた幸宏さんも頷いていた。
「青木孝允のCD、なんでみんな持ってるの?」と大ウケした。
そういえば、最近、細野さんが音楽監修した「エクスマキナ」にも
楽曲を提供していたっけ。
僕の好きな人同士、好きな作品を作る人同士が
繋がっていくというのは、ほんとに嬉しいことだ。
今回、あちこちでライブをやるために来日中。
15日は、京都のメトロ。
18日は、AD&A Galleryでワークショップ
22日は、WOMBでライブ。
25日は、京都の精華大学。
30日は、大阪の鰻谷燦粋。
そして、最後は12月1日にUNIT。
僕も、もちろん、どれかには行こうと思っておりますが
興味がございましたら、ぜひ。
前にも紹介しましたが、彼のサイトで
いろいろ楽曲が聴けますので、お好きだったらCD購入を。
ほんとにカッコよくて美しい。
<<ここをクリックすると、彼のサイトの試聴ページにジャンプします>>
2人DJライブは、あまりに盛り上がったので
途中で、彼の曲を使って、僕がDJ。
1曲は、この夏にやったものを再現。もう1曲は即興で。
「自分の音楽を使ったDJを自分が見るのは初めてですわぁ」
と喜んでくれた。その顔が、すごくよかった。
個人情報のデータが漏れたというニュースをよくきく。
相変わらず、ずっと漏れ続けている。
書類を電車の中に忘れちゃったとかいう時代とは違って
データは、デジタルデータであるから
データは、簡単に、素速く、あちらこちらに分散してしまう。
回収しようったって、P2Pのネットワークで拡散したら難しい。
というか、最初に漏れた先も、その原因もP2Pだったりすることが多い。
そのうち、社会を揺るがすほどの、データ漏れが起こると思うが
どんなデータ漏れが、衝撃的だろうか。
やはり、インパクト大きいのは、趣味とか嗜好系だろう。
TSUTAYAなどのビデオレンタルのデータはどうだろう。
近所の和菓子屋のおっさんが
意外にもベトナム戦争映画ばかり観てるとか
そういうのは、まだいいだろうけど、アダルトは大変だ。
同僚に、意外な性癖がバレてしまった、管理部の課長は
次の日から、同じように仕事ができるだろうか。
Amazonで過去に購入した商品のリストが漏れた場合
ぜんぜん困らない人もいると思うが、かなり困る人もいるだろう。
もちろん、もっと最悪な例も考えられるが(医療データとかね)
こういった、購買とかレンタルとか、「履歴モノ」に関しては
利用者の同意がなければ、データを取っておいてはいけない
というルールにすべきではないだろうか。
個人情報を、漏らしたり、売ったり買ったり、渡したり
だけが問題なのではなく、顧客側が求めている行為
例えば、単に1冊本を買うとか、そういうこと意外の
データを勝手に取ったり、ためとくなよ、ということ。
商売側の、商売の都合だもんね、そういうデータは。
もちろん、商品を推薦されたりなど、利便性もあるわけで
そういうのは構わない、という人は、許諾をすればよい。
規約の中に、小さく入っているとか、そういうのダメね。
そういうのを罰しないとだめでしょう、ということ。
そのうち、「えーーーっ」っていうこと、起きちゃいますぞ。
新幹線で東京へ戻る。
品川駅まで、もうちょいのところで
iPod touchで聞いていた、松本人志のラジオが終わる。
いま何時何分かなと(時計持たないのです)、ケータイを開く。
見ると、あと5分くらいで着くようだ。
微妙な時間を持て余したので、そのままケータイから
iモードのサービス、iチャネルをクリック。
天気やらニュースを見つつ、普段、滅多にチェックすることのない
「占い」を見てみると、「おうし座:1位」と出ている。
おうし座1位!
1日も終わりかけだが、これはいいことありそうだと
上機嫌で、新幹線を降りる。
る……。
る……。
る…………。
嫌な予感……。
嫌な予感がする……。
そう。
なんとなく、ケータイを忘れた気がする。
理由はないんだけど
直感というか、「ぞぞぞっ」という感じがした。
おそるおそる、ポケットを叩いてみる。
慌ててはいけない。
まず右から。
ポケットを叩く。
ほふっ……。
……なし。
残念。
なにも手には、ぶつからなかった。
次に左。
ゆっくりと、そっと。
ラッキーの天使が、舞い降りてくるように。
舞い降りますように………ほふっ……なし。
さぁ後は、バッグだ。
1つずつファスナーを開けていく。
ここかなっ?
それとも、ここかなっ?
あれ、いないぞー。
もう、悪戯っ子ちゃんなんだからぁ。
じゃ、ここだっ!
はい。
……どこにも、なしっ。
はい、諦め。
(そんな理由で、本日は写真がございません)
くそぉ。
面倒くさいことになった……。
なにが、おうし座1位やねん、と思いつつ
とぼとぼとオフィスへ。
オフィスに行く前に、食事をしていこうと
前から行きたかった、恵比寿の「瞠」へ。
魚介系スープの、ラーメン屋だ。
よい評判を何度か聞いていて、行きたかったところ。
美味しいラーメンでも食べて、元気になろう!
!?
ピンとくる。
ここだ。
「おうし座1位」は、ここなんだ!
と確信する。
このラーメン屋のために、あったのだと。
美味しいに違いない。
新しい出会いがそこにあるに違いない。
元気よく、お店に入る。
閉店していた、なんていうオチじゃなくてよかった。
つけ麺をオーダー。
わりと美味しい。
だけど、どこかにある味だし、好みとピッタリではなかった。
「おうし座1位」という感じではない。
とはいえ、「3位」くらいの味。
それなりに美味しく、麺を食べ進める。
「つけ麺のスープを割ってもらうお湯は、頼めばいいのかな?」
なんて思っていると
ピッタリのタイミングで、店員が振り向いて
カウンターの上に、ポットがどんと置かれる。
なんて以心伝心!
これが、おうし座1位なのか?
とすら思う。無理矢理だけど。
置かれたポットを取って、つけ麺用の濃いスープが入っている
小さな丼に、お湯を………。
えっ??
……水だった。
ただの、おかわり用の水だった……。
いや、もしかしたら。
もしかしたら、美味しいかもしれない。
これが、きっかけとなって、ラーメンの仕事を始めて
「いや〜、あのとき、間違って
つけ麺のスープを冷水で薄めなかったら、このヒットはなかったんです。
やっぱり、おうし座1位は、ほんとうでしたね」
なんて、インタビューに応えているかもしれない。
両手で、小さなどんぶりを持って……。
ずるるるる………。
冷たっ!
マズうっ!!
親父の三回忌だった。
亡くなった日もそうだし、昨日もそうだった。
親父に関係する事の日は、いつも晴れ。
三回忌のついでに、と言ってはへんだが
骨壺から骨を取り出して、土に還した。
骨とはいえ、久しぶりに親父と再会した。
骨とはいえ、久しぶりに親父に触れた。
親父は、死んだら土に還るとよく言っていた。
自分も、死んだら土に帰りたいと思っている。
できれば、火葬じゃなく、最初から土葬がいいなあ。
できれば、焼いてほしくない。
燃やすなんて、エネルギーの無駄。資源の無駄。
しっかり、微生物に分解されたい。
三回忌というのは、3年経ったという意味ではなく
これから3年目を迎えるということだから
親父がいなくなって、もう2年経ったというわけだ。
毎年、紅葉が始まる頃。
落葉樹は、葉の色を、緑色からだんだんと変えていき
やがて葉を落としていく。
葉というのは、樹木にとって、かなり大切な部分である。
光合成によって、栄養を作る場所だからだ。
しかし、春や夏の間はそれでよいが
冬になると、樹木は、環境に対応するために
その大切な葉を落としてしまう。
捨てちゃおう、という判断だ。
その感覚が、すごいなあと、この季節になると感じる。
樹木の身になってみると。
1つの戦略。
有利と不利のバランス。
その戦略を取らないのが、常緑樹である。
逆に言うと、冬になったら捨てちゃうもんね、と見切ったことによって
落葉樹たちは、あんなにヒラヒラした大きな葉が持てるわけだ。
ずいぶん、割り切ってますね、と、この季節になると思う。
骨を土に還すことも終わり、帰り道、お寺の方に
「お父さんは、亡くなられてから、夢に出たりしませんか?」と尋ねられる。
「はい。まったく。ぜんぜん心配していないでしょうから」と答えた。
HISASHIと暫くぶりに会った。
彼とは、10年くらい前に雑誌で対談したことがきっかけで、仲良くなった。
それから、何度か食事したり、という仲なのだが
最近はタイミングが会わなかった。
たまにメール、というくらいの仲になってしまった。
「ただ会う」ということで、スケジュールするのもなあ。
とはいえ、いきなり、今日とか、明日とか言っても
どちらも予定が入っていたりするのは、当然のことで。
……なんていううちに、ずいぶん時間が経ってしまった。
また、いつものように、たまのメールをしている中
半ば強引に、「会おうか!」となる。
互いにそれは、強引だと知りつつも、会おうと。
しかし、こちらはこちらで、人と会って食事をする予定があり
それが終わって時間ができるのは、23時とか。
すると、向こうは向こうで、ミュージックステーションの出演があり
それが終わって時間ができるには、23時とか。
なんとかなるじゃん。
互いに予定があったおかげで、予定が取れた。
「だいたい23時くらいに、西麻布で会おう」
という、ざっくりした約束だけして、会う。
思った。
やっぱり、人とは会って、話しをするべきだ。
話しだけではなく、流れている時間がなにより大切で。
時間がないとか、予定があるなんて、どうにかなるじゃないか。
「会おう」という気持ちが大切なんだ。
子どもの頃は、どうにかしていたじゃないか。
暫くぶりに会ったこともあり、いろいろ情報交換。
しかし、GLAYの4人は仲良いねー。
どのエピソードにも他のメンバーが絡んでくる。ステキな関係だ。
2人で会ってるのに、他のメンバーとも会ってるような気になる。
そして、こちらの最近起こったことは、伝えても、ほとんど知っていた。
blogってすごいな……、と笑った。
はた!
と気づく。
気づいてよかった。
「あんたアホか?」と思われるかもしれないですが……
いまのいままで、ずっと気付かなかったことがある。
息子と共通の趣味を持っていなかった。
いや、少しはありますよ……。
親子でドラえもんが好きだとか
お互い、電車がちょっと好きだとか
同じような遊びもするし、センスも似てるし。
だけど、そういうことではなく。
一緒に、アツく打ち込む趣味がなかった。
お互いにサッカーは好きだけど
プレイすることは、観るほどまでは、好きではない。
だから、たまに公園でボール蹴っても、そこまでアツくならない。
二人で一緒にできて、めちゃくちゃアツくなる趣味を持つべきだ。
父親と息子で、共通の趣味に打ち込む。
うぉおっ……。
それは、ものすごく大事なことじゃないか……。
あわわわ。
これは、いかんかった。
小学校3年生の終わりくらいで気づいてよかった。
アブねー。
父ちゃん、ごめーん。
blog5周年の祝いを、メールで多くいただいた。
(すべて読んでおります)
幾つかのメールで
CDや本の紹介が、参考になっているとか
最近、紹介ものが少ないですね、など、いただき
意外なニーズを感じつつも、有り難いなあと
この頃、読んだり、聴いたりしているものを
それぞれのジャンルから1つずつ、紹介します。
ちなみに、ウェブサイトや動画、写真などは
ある時期から、右のリンクにあります
「eno tumblr」に寄せてありますので、そちらをどうぞ。
まず、マンガから。
『ゲロゲロプースカ』:しりあがり寿
これは素晴らしかった。
読んでいる最中、読み終わった後
ある特殊な気持ちになる、マンガがたまにあるが
久々に、そんな気持ちになった。
作家の呟きを聞いているようで、ドキドキしながらページをめくった。
マンガというのは、普通、雑誌に連載され、その後コミックになる。
雑誌に連載をするという時点で、なかなか、その作家の
人生観とか、思想、心の中のもやもやしたものを作品にするのは難しい。
小説だと、そういうものが当たり前にあるが
マンガというメディアでは、なかなか実現しなかったりする。
『ゲロゲロプースカ』は、しりあがりさん自身を読んだ気がした。
有名な『弥次喜多』シリーズも、作家性の高い、面白いマンガだったが
『ゲロゲロプースカ』はストレートだった。
作品を出して20年くらいになる作家が、いまこれを出したのかと思うと
なんというか、もうすごいなあ、というしか言いようがない。
祖父江さんのブックデザインも素晴らしい。
次に、活字書。
『無限の本質』:カルロスカスタネダ
リサ・ランドールの『ワープする宇宙』と悩んでこちら。
まだ、読んでいる最中なのに、これを挙げたい。
「ドン・ファン」シリーズの最後の作品。
UCLAで文化人類学を専攻する作者が、在学中に
ヤキ・インディアンの呪術師、ドン・ファンと出会い
会話の中、探求の世界へと導かれていく、という本。
こういう類の本は、と言ったら失礼かもしれないけれど
山ほど読んだが、この作品はほんとに面白い。
僕らにまとわりついてしまっている、言語からの
解放から始まる、「この宇宙」の認識。
深遠を見つめるための、新たな角度の提案。
もう早く続きが読みたくて、仕方がない。
明日の新幹線で、読むのが楽しみだ。
自己のマーケティングのような、スピリチュアルな本を何冊も読むよりも
この1冊を読んだほうが、探求の手がかりは見つかると思います。
残念なのは、これが遺作となってしまったこと。
最後に、音楽。
『WALLS』:apparat
この数ヶ月の大ヒット。何度も聴いている。
ジャンルで言えば、エレクトロニカとかテクノなんだけど
そういう言葉では、まとめることができない、音の宝箱。
音が、波動が、色彩が、波のように押し寄せてくる。
「音楽」って凄いなあ、楽しいなあと、改めて思う。
この技の広さというか、幅の広さは、すごい。
デジタルだとか、生だとか、そんなことを言い合っていたのはいつだっけ?
と思わせる、とにかくえぇものはえぇだろ、という作品。
繊細で、ドラマティック。生のストリングスが美しい。
このCDが、トップチャートに入るような状況になったら
もっともっと、音楽は面白くなるのになあ。
マスタリングも凄いね、これ。
音楽が好きな人は、ジャンルとか気にせず、聴いてほしい。
2作目に挙げた、『無限の本質』は、amazonで購入したのだが
本に挟まっていた、補充カードの書店名が「11F」。
オンラインの11階は、どういうものなのか見てみたい。