池谷裕二さんにお会いした。
楽しい夜だった。
このblogでもなんどか取り上げたと思うが
池谷さんは、脳の本を多く出されていることでも有名な
薬学博士、東京大学の薬学系の准教授である。
たまに書くけれど、僕は
脳と宇宙が大好きで、特にこの数年は、脳が好きで
面白そうな本があったら、買って読んでいるが
その中で、特に池谷さんの出されている本が大好きで
好きで好きで、いちどお会いして、いろいろと
お話をしてみたいなあと、ここ最近、思っていたところ
たまたま友人の繋がりで、お会いすることができた。
願えば叶うものである、ということを実感した。
で、最初は初対面なのにどうかしら、とも思ったんだけど
初対面の面白さ、というものがあると思って
「eno talk」用に収録させていただいた。
近々、「eno talk」で公開しますので、お楽しみに!
なので、あまりここに書くと楽しみがなくなっちゃうので
会話の内容は、書かないことにするけれど
年が一緒ということもあって、なにか面白い共通した「線」
みたいなものが見えたように感じたのが、印象的だった。
互いに音楽が好きで、血液型が一緒、というのもあるのかもしれない。
驚いたのは、会話の途中で、僕の過去に作ったゲームの名前が出てきたことだ。
伺えば、『Dの食卓』も『エネミー・ゼロ』も『風のリグレット』も
当時、プレイしてくださっていたとのこと。
なんと有り難い話だろう。
「エネミー・ゼロの最後の......」などいう言葉に、ふらっとした。
なるべく早めに公開しますので、しばらくお待ちください。
といいつつ、前回のジョーイ(伊藤穣一)との「eno talk」も
後半2回分を、まだ、アップしていないことを反省して、慌てて、作成しました。
右のフレームに「part 3」と「part 4」を公開しました。
もう2ヶ月近く前の収録なのですが......すいません。
前半2回とはガラっと変わって、くだけた内容になっております。
ジョーイとのトーク、楽しんでください。
そして、池谷さんとのトーク、楽しみにしていてください。
できれば、よろしければ、可能でしたら
お代もいりませんし、広告もございませんので
ぜひ、「eno talk」について、感想をいただければ嬉しく思います。
それのみが、続けていくモチベーションですので。
宜しくお願い致します。
予告通り、ストリームライブをやった。
多くの人に楽しんでいただけたようだ。
成功に終わった。
今回は事前にサウンドチェックもしておいたので
音がよかったと感じてもらえたと思う。
それなりに低音も楽しめたのではないだろうか。
管理画面を見ると、500人以上が聴いてくれて
同時接続の平均は300人以上だったようだ。
キャパ500人のハコと考えたら、なかなかなものだ。
例えば、週末同じ時間にずっとやり続ければ
だんだんと聴く人も増えて、1000人、2000人と
増えていくことだろう。
インターネットライブ界のヒーローになるかもしれない。
そんな体力も継続力もないんだけど。
そのうち、ほかのアーティストもオフィスに呼んで
イベントをオーガナイズしてみようかしら。
もちろん、アーティストもここにいる必要はぜんぜんないんだけど
なんとなく寂しいから来てもらって。
現実世界とは違うレイアーで、みんなで繋がっていく
なんていうのは、当たり前ですよの、インターネットなんだけど
音楽でライブして、それを元に人が繋がっていくというのは
またなにか、違う大きな経験となった。
Twitterの新しい価値も、はっきりと見たように思う。
ちょっと前にやり始めたばかりなんだけど
いつの間にか、Twitter使いになってるようだ。
特設会場のほう、僕の設定がおかしかったらしく
Twitterがうまく機能せず、申しわけなかった。
ただ、ストリーミングライブを聴く、ということではなく
それを元に、みんながコミュニケーションしあっている
その感じが、ものすごくよかった。
それこそが、ライブだったように思う。
とにかく、楽しんでいただけたなら、僕は幸せだ。
もし、楽しかったら、もし、気持ちよかったのなら
ぜひ、7月9日のライブにも足を運んでほしい。
今週半ばくらいには、締め切ってしまいますので
ディスカウント事前登録の申し込みがまだ、という方は
ぜひ、下のページから申し込んでいただきたい。
ほかの出演アーティストも、そろそろ発表したいと思う。
それでは、また!
ライブ会場で会いましょう!
<<ここをクリックするとディスカウント事前登録のページへジャンプします>>
ライブが終わって、メールBOXを確認したら、坂本龍一さんから
「ライブ聴いてるよ!」とメールが入っていて、またも、くらくら。
ライブ終了後、わずか30秒くらいで、ばーっとみんなが書き込む。
僕のライブ感より、こっちのライブ感のほうがすごかった。
嬉しくて楽しくて、ついうっかり、アンコールを2曲もやってしまった。(-:
昨日の予告通り、本日23:30より、ストリーミングライブを行います。
3〜40分の公開リハも兼ねたライブではありますが
ぜひ、みなさん、下記会場ページへアクセスしてください。
楽しんでください。
お酒でも買ってきて。
つまみでも買ってきて。
実際のライブとはまた違った楽しみ方ができますね。
ヘッドフォンの用意なり
オーディオ機器に繋いで準備していただけると
それなりの音(ストリーミングなので限界ありますが)で
お楽しみいただけると思います。
また、下記会場ページへアクセスしていただけると
わかると思いますが、ライブ中、Twitterで
ほかに参加している方と、会話をすることができます。
もちろん、僕もそれを見ることができるのです。
ですので、もし、Twitterのアカウントをまだ
持ってないという人は、事前にTwitterを始めておいてもらうと
よりライブが楽しめると思います。
と、気楽にやってみようと思ったのですが
直前告知ではなく、1日前(ま、直前といえば直前ですが)に告知してしまうと
みなさんの予定を取っておく、ということでもありますので
いまになって、ちゃんと音が鳴るかな? 繋がるかな?
と心配になっております。
うまくライブが始まったら、それだけで盛り上がってください。(-:
できるかな......。
また、ぜひ、音を聴いていただいて
「よいな」と思われましたら、実際のライブにも
足を運んでくださいませ。
会場ページの上のリンクから、ディスカウント事前登録の申し込みができます。
(来週半ばには締め切る予定ですので、お早めに)
もちろん、リアルなライブのほうが音は良いですので。
リアルにも会えますし。
こういうのは、どっちが良いとか悪いとかそういう議論が多いですが
どっちが良いとか悪いとかいうのではないんです。
どっちも良いところばっかりあるのです。
お楽しみに!
23:30〜ですよ! ちょい前にどうぞ。
一昨日のストリーミングライブが好評だった。
ありがたい。
サイトなどでも取り上げられたこともあって
「もっと早く教えてくれ」など意見を多くいただいた。
直前の告知だったので、当たり前ですが
「聞き逃した」という方も多くいらっしゃるようで。
で、あれば、と、もういちどだけやります。(-:
やりましょう!
盛り上がりましょう!
実際のライブもありますので
少なくとも、これでしばらくストリーミングライブは行いません。
7月9日のDeparture Loungeで、実際のライブがあるわけですが
そのライブの「公開リハ」を行おうと思います。
実際のライブよりは、短い時間になるとは思いますが
音を聴いていただいて「よいね!」と思われましたら
実際のライブへ足を運んでくださいませ。
これが約束。(-:
マーケティング活動も兼ねてます。
スタートは、明日、6月26日(金曜)の23:30から。
ストリーミングライブ会場は、下をクリックしてください。
それでは、明日の23:30に!
<<ここをクリックするとストリーミングライブ会場へジャンプします>>
ふと、思い立って
Ustreamを使って、ストリーミングライブをやってみた。
夜中だというのに、盛り上がった。
短い時間ではあったが、あっという間だった。
Twitterで告知して、Ustreamで突然、ライブ。
恵比寿のオフィスからの演奏が、日本中に、世界中に発信されて、繋がる。
2時間くらい前の、直前告知だったにも関わらず
同時に150人以上が参加してくれた。聴いてくれた。
累計ではどうなんだろう。
それが、多いのか少ないのかは、よくわからないが
「新しいなにか」を、僕を含めて
みんなが発見し、共有できた、貴重な時間だったと思う。
Twitterでライブの告知をして
それに対して、みんなが返事をくれたり
或いは、さらに多くの人に伝えたり。
ライブ中は、Ustream内のTwitter上で
曲を聴きながら、みんなの会話が、ライブに反応して弾んでいく。
それぞれは、世界中の、それぞれの家やオフィスにいるんだけど。
僕は、ライブ途中、そこで挙がった意見や
みんなの雰囲気、ノリを考えながら、次の曲を考え、演奏する。
そして、さらにレスポンス。
これは、僕には新しい体験だった。
似たようなことは、よく行われていると思うが、なんだろう。
プラットフォームとしての、Twitterの力と
簡単で誰でもBroadcastできてしまう、Ustreamの力を感じたのかな。
なにより、そのたった2つだけで、世界中継ライブが
簡単に実現できてしまうという事実が、なかなかの驚きだった。
Ustreamの同時接続数が、どのくらいかわからなかったので
あまり多いと問題起こるかなと、直前の告知にしたんですが
数日前にしっかり告知すれば、もっと人数も集まっただろう。
日本は深夜だったし、アメリカは早朝だったので
告知した時間も、スタートした時間もよくなかったかなあ......なんて、思っていたら!
ニューヨークの、坂本龍一さんから連絡があって「ライブ、聴いたよ!」と。
えっ......?
ギャー!!
IT革命だー!!
子どもの頃、部屋でビデオを流して、Rolandのシンセで一緒に弾いて
「わー、この人、カッコいいなあ」なんて思っていた人が
ニューヨークで、僕の突然ライブを聴いているという、摩訶不思議。
あぁなんという、立ちくらみ。
くらくらしました。
くらくら。
間違っても、ピアノライブなんて、やらなくてよかった。
ふうふう。
......と
実は、来月の9日(木曜日)に、Departure Loungeで
久しぶりにライブをやることになったのですが
そのライブ用に、ちょこちょことデータを整理していて
せっかくだから、いまストリーミングでやってみたら面白いかな?
という流れのことでした。
公開リハ、みたいなものですね。(-:
さてさて。
話は続きます。
イベントの詳細などは、また近づいてから、お知らせしようかと思いますが
7月9日(木曜日)の、23時からのイベントに、ライブで出演します。
(僕が出演するのは、0時を回って10日になってからですが)
そこで!
Twitterや、blogで、繋がっていてくれているみなさんに
事前登録によって、入場料がディスカウントできる枠を設けました。
ぜひぜひ、事前登録して、いらしてください。
何人でもOKですので、ぜひ、多くお誘いの上、遊んでください。
Twitter / blogのオフと捉えても楽しいじゃないですか。
或いは、そこをなにかのオフの場にと、これいい機会、と設定してくださっても結構です。
下をクリックすると、ディスカウント事前登録のページにジャンプします。
「詳細をよくお読みの上」、登録ください。
<<ここをクリックすると、ディスカウント事前登録の詳細ページにジャンプします>>
7月9日(というか10日)に会いましょう!
事前登録は、しばらく用意しておきたいと思っていますが
リストの作成上、どこかのタイミングで締め切りますので、ご了承ください。
どんとこい!
「紫陽花がほんと美しいなあ」、と思う。
雨の道を歩くと、ぽっと、紫陽花の美しさが目に入る。
遠くから、そして近づいて、しばらく、見てしまう。
歳を取ると、味覚やらなにやら変わっていくが
「美しいなあ」の感覚も変わるように思えてきた。
もちろん、紫陽花は美しいし
以前から、そう思っていたわけだけど、そこまでではなかった。
例えば、比べれば、桜の季節の、桜の美しさに大して
紫陽花の季節の、紫陽花の美しさは、そこまで感じてはいなかった。
「あー、紫陽花咲いてる、キレイね」くらいで。
チューリップキレイね、くらいの感覚だった。
チューリップには失礼な話だが。
桜もそうだけど、白に、ほんのり色が付いた感じの
その微妙なグラデーションが、ほんと美しい。
非常に日本的な色だと思うし、日本人的な感覚なんだろう。
雨の季節は、「あー雨だ」「また雨か」と
雨が続いてしまうと、そのありがたさも忘れてしまって
なんとなく、嫌だなあ、という気分になってくるので
来年からは、「紫陽花の季節が来る!」と楽しみにしてみよう。
春になって、「桜の季節が来る!」と楽しみになるように。
こんなに美しいのに、毒を持っているというのもすごいよね。
だから、美しいのかしら。
紫陽花といえば、この絵が美しい。(葛飾北斎・画『あじさいに燕』)
お台場にガンダムが立った。
実物大ということで、18メートルもあるらしい。(上のは完成図)
これはいい。
ガンダムがどうこう言うのは置いといて
とにかく、大きいのがよい。
日常生活の範囲では
僕らより大きい生物、というのは出会うことはない。
いや、動物園にいったって、自分に比べて
「こりゃでかいなあ」というサイズの生物がいるわけではない。
だから、よい。
大きいものを見上げて、大きいものを感じるべきだ。
ビルは、動かないし、動きそうな感じもしない。
動くかもと思える、或いは、動いている姿が頭で想像できる
大きななにかが、存在する、というのはとてもよい。
子どもが、博物館の恐竜にハマってしまうように。
幼児が、電車にハマってしまうように。
巨大なものが、あちこちにあったら邪魔かもしれないけれど
それぞれの都道府県に1つずつくらい作ったらどうだ。
ガンダムは1つでよいと思うけれど。
あ、大仏、というのは、その役割もあるのか。
お台場のガンダムから見える距離に、誰かが土地を買って
ゆっくりと、巨大ななにかを作り始めたら面白い。
それがザクだったら、どうだろう。
ガンダムの正面に、ゆっくりと建設されるザク。
やがて全体像が見えてくる。
ザクは、ザクマシンガンを構えている。
その狙う先は、ガンダムに向いていた。
「まさか?」、と誰もが思ったとき
ザクマシンガンから弾が飛んで、ガンダムをリアルに攻撃。
弾が当たり、破損し、倒れる巨大なガンダム。
慌てる人々。パニックになるお台場。
そのとき、なにかが変わる気がする。(適当)
上の映像を見ていただければ早いのですが
「ま〜、これは新しいなあ」と思った。
イスラエルのアーティストKutimanによるThru-youというプロジェクト。
YouTube上にある、いろんなミュージシャンの演奏素材を
探してきて、編集して、再構築して、新しい楽曲を創出するという
ま〜なんて素晴らしいマッシュアップ。
過去にも、似たようなコンセプトのものは見たことがあったが
ここまでのクオリティでやられると、ほんと感動的だ。
ただ単に、使えそうな素材を探して、使ってるわけではなく
素材は素材として捉えて、素材として使えるものに
かなり尋常じゃないレベルで編集しているのがすごい。
これは、オンライン時代の新しいDJだ。
クリエイターだ。
すごいなあ。
グラミービデオ賞か、MTVビデオミュージックアワード与えてやってくれ。
たまたま久しぶりに、川本真琴を見た。
聞いた。再燃した。
3年前に同じようなエントリーを書いているが
そんなこと、まったく気にせず、書いてみようと思う。
いいじゃないか、週末だし。
ちょっと付き合っていただきたい。
きっと長くなるけれど。
川本真琴は、作曲家でもあるし、自分で歌ってもいるわけだが
最も才能を感じる......、というか、天才としか思えない
「作詞家」という部分にフォーカスして書きたいと思う。
「彼女」の表現が最も出ているのは、その「詩」なわけだし。
先に言っておくが、すべての歌詞をここに載せるわけにはいかないので
検索エンジンなどを使って、彼女の歌詞を眺めるなり
YouTubeで歌を聴いて歌詞を知るなりしながら、読んでいただきたい。
川本真琴は、ずっと「あたし(自分)」と「あなた(異性の相手)」
そして、その「境界」を描いてきた。歌ってきた。
ファーストシングルは、ちょっと横に置いておこう。
(プロデュースされたデビュー曲であるだけ、と考えて)
常に、彼女の根底に流れるのは、「同一化願望」である。
ここがなによりユニークであり
彼女の詩世界の全てを、常に、彩り、輝かせている。
2曲目のシングル、『DNA』という曲の歌詞から
「身体なら1ッコでいいのに」と、わかりやすく、それは現れている。
この曲は、「あなた」と「あたし」、という2つの存在
本来なら「1つの存在でないか」と、信じたい、彼女の歌だ。
「身体が1ッコになれたらいいのに」ではなく
「身体なら1ッコでいいのに」と歌っている。
「身体なら1ッコでいいのに」と、自分の内面から湧き出てしまう
コントロールできない感情、思い、動物的な気持ち、を
そして、「1ッコでいい」と願いつつも、相手と、自分という存在が
「抱き合ったらこんがらがっちゃうよね」と、絡み合う二重のヒモを
『DNA』とまとめて表現しているところが、素晴らしい。
3曲目のシングル、『1/2』もまた、「同一化願望」を歌っている。
もはや、タイトルの『1/2』から、それは現れているんだけど。
「境界線みたいな身体がじゃまだね」という歌詞は
『DNA』の「身体なら1ッコでいいのに」と同義である。
彼女は、常に、願望として、「1つであること」を求めている。
だけどしかし、「1つ」ではなく「あなた」と「あたし」という
2つの存在であるからこそ、「同一化」という
願望、欲望も生まれてくるのだ、ということも知っていて
その行ったり来たりの道程を、苦悩と希望で、表現している。
それは「若さ」の表現である。
そして、次のシングル曲が、『桜』である。
「同一化願望」という、常に流れる気持ちは、そのままに
前の2曲とは、まったく異なるアプローチでそれを描く。
天才が、しっかりと天才を表現して伝えることができた曲である。
この曲では、「同一化願望」という、「身体」的なことは未来に置いている。
学校という空間、そして時間のおかげで、「あたし」と「あなた」は
なんども「一緒に」いることができた。
しかし、卒業が訪れる。
「卒業」というシーン、仕方なしに訪れてしまう「その時」を舞台に
「ずっと一緒だった」、できれば「1つになりたい」と思っていた
その相手と離ればなれになり、「1/2」になってしまう
その「瞬間」を描いている。
歌の前半では、「あたし」と「あなた」が
そこにいた「証拠」を、それがそこに「絶対にあった」ということを
振り返って「確認」している気持ちを描いている。
「かたっぽの靴がコツンてぶつかった」思い出。
「あたし」と「あなた」の「窓際ならんだ席」。
「絶交だって彫った横に今度こそ絶交だって彫った誰も気付かない机」。
しかし、「卒業」という、そのときは訪れる。
そのときが、訪れてしまった。
まだ、心も身体も「1つに」なれていないくらいの、状態であるから
「卒業」というタイミングによって、離ればなれになってしまう2人。
彼女は歌う。
「桜になりたい いっぱい 風の中で いっぱい
ひとりぼっちになる 練習してるの
深呼吸の途中...... できない できない できない」
そのときが来て、桜が散る中
「ひとりぼっち」になってしまう、明日を、想像してみる。
「ひとりぼっち」になった「あたし」を、考えてみる。
わかったのは、「無理、無理、絶対無理っ!」ということ。
「できない、できない、できない!」
「できない、できない、できない!」と明るく歌う
明るく歌えることができるのは、学生であるという
希望に満ちた、これからの未来が長く存在する、若い「いま」である。
だから、明るい。
だから、爽やかである。
だから、その悲しさが、独特の色を持って表現される。
散りゆく、桜の中
散りゆく桜と同化して、ひとりぼっちになる自分を考えてみたところで
それは「できない」、できるわけがない、という
あっちでも、こっちでもなく
ただ流れる時に身を任せながら、その不安さえも
深刻に考えることすらできないどころか
それをどこか楽しむことすらできる、明るい未来に開かれた
卒業というその時。
天才すぎる。
こんなに見事に、若く、揺れながらも流れる
その時間を、描いた作品があるだろうか。
例え、文学であっても、そんなものは、ほかに存在するのだろうか。
そして、歌の最後。
「『あたし』と 『あたしの手』が 『あなた』に ふれた時
できない できない できない」
誰か、ノーベル文学賞、与えてくれ。
昨日、そして、3日前と
20年以上会っていなかった2人と
20年以上ぶりに、時間を過ごした。
20年以上ぶりの人と会うことなんて
たぶん、人生で初めてのことだと思う。
もし、忘れていることがあったとしても、過去に1回くらいだろう。
そのくらい珍しい経験を、今週2度した。
たまたま。
その両者とも、まったく繋がりがあるわけではなく
僕、対20年以上ぶりの人、が、2度あったということだ。
2人ともまったくの他人。
面白いな、と思ったのは
20年以上ぶりだというのに、基本的な人間性は
まったくといってもよいほど、変わっていなかった。
2人とも。
もちろん、20年以上経っているわけだから
いろんなことがあっただろうし
それによって変わっていったこともあるだろう。
だけど、軸のようなものは、まったく同じだった。
驚いた。
まるで、20年以上前
最後に会ったその日から、1ヶ月くらい経って
「ちょっとぶり!」と再開したかのようだった。
20年以上前のその日と、20年以上ぶりに会った日が
連続して存在しているようだ。
2人ともいい男のままだった。
20年以上前に持っていた「魅力」のような
「個性」のようなものが、なにも変わらず、こちらに伝わってきた。
人間というものは、成長したり、変わっていくものだと思っていたが
彼が彼である部分に関しては、ほぼまったく変化しないものだということを知った。
先日もそういう経験をしたのだけど
タクシーに乗って、たまたま千円札を持ち合わせてなくて
1万円を払おうとすると、「チッ」というか、「ムッ」とされることがある。
実際、「チッ」とは発してなくとも、「ムッ」というのは伝わる。
もしくは、「あー、いま出たばかりで、千円札ないんだよねー」とか言われる。
そりゃ、どういうことだ? と思う。
その、先日のときも
「ないですか〜、こっちもないんだよね〜」みたいに言われた。
しかも、「このへん、コンビニないすかね〜」などぬかす、いや仰る。
そりゃ、どういうことだ? と思う。
そのときは、たまたまカードが使えるタクシーだったので
コンビニを探すのに走って回るとかいう、手間をかけずにすんだ。
しかし、どういう認識なのだ? と思う。いつも思う。
コンビニでも、ラーメン屋でも、なんでもいいんだけど
ほかに1万円を払おうとして、ムッとされるサービスなんてあるだろうか。
もしあったとしても、そんな店は、商売がうまくいかなくなるだろう。
少なくとも「申しわけありません」と言うのは
サービス側ではないだろうか。
なんでこっちが、タクシー乗る前に、両替する必要があるのだろう。
タクシーの問題は、基本的に相手が特定できないことにある。
いい対応をされても、その運転手を指名しない限りは、リピーターになれない。
だから、サービスが向上しないのだろう。
......というのはわかる。
だけど、おかしい。
思うのだけど、もし釣りをタクシー側が持っていないのなら
「お客は、その場ではお金を払う必要がない」
というルールにすればよいのではないだろうか。
そうすれば、どのタクシーの運転手が
しっかり準備できていなかったかも把握できるわけだし。
お客さんからの支払い義務、という形にすれば
当然、支払わない人も出てくるだろうし
その場では入金がないので、運転手が立て替えることになるため
それは困ると、運転手も釣りを用意するようになるだろう。
少なくとも、お客側が、「あぁ困った」となる状況は避けられる。
それは絶対におかしなことだ。
そんなサービス商売、普通はないもんね。
それとも、タクシー会社、或いは、タクシー協会的な人たちは
そんなことどうでもよいのかしら。
契約している運転手から売り上げが取れればそれでよいのかしら。
お客さんと運転手が、どう困ろうとどうでもよいのかしら。
いずれにせよ、支払う側、お客が
いろいろと気にしなきゃならないサービスというのはおかしいよなあ。
と思う。
もちろん、そんな悪い対応があっても
「ふざけんな!」
とか言えば、よいわけなんだけれど
その「ふざけんな!」が、言いたくないんだよね。
生まれて2度目のこと。
先週末の深夜、映画へ行った。
その帰り、オフィスまでタクシーへ。
オフィスに着いて、お金を払って、いちど降りた
......んだけど、車内にペットボトルを忘れているのに気付いた。
まだ、ドアが開いていたので、ていうか降りたばかりだったので
振り向いて、車内に手を伸ばし、ペットボトルを掴んだ瞬間
まだドアが開いているというのに、タクシーは発進。
生まれて2度目、車のタイヤに足を轢かれた。
びっくりして「いだだだだだ!」という僕の声に
運ちゃんは驚き、「だ、大丈夫ですか......!」と訊いてくるが
僕は、「大丈夫!」と笑顔。
きっと、直前まで観ていた映画が
『ターミネーター4』だったからだ、と思う。
生まれて初めてのこと。
日曜日、家族で墓参りに行った。
駅からお寺さんまで行く途中、パン屋でパンを買った。
僕が買ったのは、フィッシュパン。
魚を揚げたフライが、パンにはさまっているやつ。
時間もないので、食べながら歩いていると
耳元で大きな音が聞こえたと思ったら
なにかに頭を殴られた感じがした。
突然のことに、なにが起こったのかわからなくなって
唖然としていると、手に持っていたフィッシュが消えていた。
フィッシュパンは道路に落ち
それをカラスが拾って、「カァー!」と言って飛び立っていった。
生まれて初めて、カラスに襲われた。
You, Me and the Cubes : Wiiware
Released as Kimi to Boku to Rittai in Japan
Sceenshots on Nintendo E3 webpage
「eno talk」の第二回目を公開しました。
ゲストはジョーイ(伊藤穣一さん)です。
右の緑のフレームにボタンがありますので
押して、そのまま聞いていただくか
ダウンロードして、iPodなどで楽しんでください。
ヘッドフォンで聞いたほうが聞きやすいかな。
今回も、食事しながら喋っているのを録音しただけですので
多少、お聞き苦しいところもあるかと思いますが
「生なトーク」の雰囲気を楽しんでいただければと思います。
ジョーイとは、もう長い友達で
仕事でもプライベートでも、よく会っている仲なので
(そういえば、昨日も会ったんだよね)
この「eno talk」の、「会ってトークを公開」という
コンセプトに会った、ほんと普段着のトークと、なったと思います。
せっかく音声ファイルがあるのに
あまり中身のことを語るのもどうかと思いますので
ま、ぜひ、聞いてみてください。
もし、彼のことを、よく知らないのでしたら
このトークを聞いてから、検索するなりして調べたほうが、面白いかと思います。
なので、あまり彼の説明もしないまま、としましょう。
今回は、「part 1」と「part 2」の公開です。
あと2本くらいになるのかな。
それでは、楽しんでください。
この「eno talk」は、みんなに聞いてもらう、ことしか
モチベーションがございませんので
ぜひ、聞いて「面白かった」と思ってくださったら
blogでもmixiでもなんでもよいですので、広めてください。
宜しく頼みます。(-:
池谷裕二さんの新刊、『単純な脳、複雑な「私」』、読了。
今日からは、木下清一郎さんの『心の起源』を読む。
楽しみだ。
僕は、長いこと、「脳」と「宇宙」の分野が大好きで
時間があれば、いや、時間を作って、本を読んでいる。
だから、基本的に、毎日、寝不足だ。
ここ最近は、宇宙関係ばかりにいっていたんだけれども
偉そうに言うと、だんだん「えー?」とか「わー!」とか
いうことが少なくなってきた。
僕は専門家ではないので、「えー?」とか「わー!」とか
衝撃を受けたいという動機だけで、本を読んでいるわけだ。
宇宙の領域は、これ以上はきっと、もっと専門的に勉強しないと
さっぱり実感ができないのだと思う。
わかる、どころか、納得もできない。
きっと、もっと専門的な知識があったのならば
いまでも新しい論文なんか読んで、驚いたりするんだろうけれど
もう、僕の知識や入り込み具合じゃ、大して驚きがないように思えてきた。
といいつつ、新刊が出れば買って読んじゃうんだろうけど。
びっくりするような、根本的な大発見があるといいなあ、と思って。
というわけで、この1年くらいは、また、脳や心
言い換えれば、意識や自由意思について、読み漁っている。
単に僕の知識が薄かっただけかもしれないけれど
脳は、宇宙に比べて、驚くような発見が、最近も多いように思う。
実験がしやすいからかしら。
或いは、脳の働きを読み取る装置が、安くなってきたのかしら。
脳について、心について
「こういうものだ」と、自分なりに理解してきたことが
たったこの数年で、大きく書き換えられてきた。
いまも大きく書き換えられている。
読んでもらって、驚いてほしいので
ここではあえてなにも書かないけれど
もし、脳や心について、この数年、特に勉強されてない
というのでしたら、ぜひ、読んでいただきたいと思う。
まったく知らない人が読んだら
ひっくり返るような事実が、いっぱいある。
という入口にも、池谷裕二さんの新刊
『単純な脳、複雑な「私」』は、オススメ。
なぜなら、高校生向けに講義したものを、書籍化したものだから。
興味がなければツライけれど、興味があるなら
スラスラと読むことができて、ひっくり返る話も多い。
個人的には、同じ学生相手の講義、というコンセプトでは前作
『進化しすぎた脳』のほうが、なぜか好きなのですが
最新の、という意味で、『単純な脳、複雑な「私」』をどうぞ。
もちろん、両方読むと、よいと思いますが。
『脳はなにかと言い訳する』も面白いです。
「えーーーーっ!!???」
と、びっくりしてみてはどうでしょう。
あまり詳しくないなら、いまがチャンス。
たまには、ひっくり返るくらいの衝撃を受けることってよいですよ。
ていうか、中身をまったく書かずにオススメするのって難しいですね。
脳や心って、天動説・地動説レベルの
大きなパラダイムシフトの直前にまで来ているのではないだろうか。
心や意識、意思という、かつて哲学のテーマだったものが
脳科学によって、語られるようになってきた。
脳が脳を考える、心が心を捉える限界というものは
科学という客観視によって、新しいアングルが与えられている。