昨日で、YMOのファーストアルバム発売から30年経った。
といっても、僕が買ったのは少し後のこと。
最初に買ったのは、ファーストアルバムだったんだけど
そのときがいつかは、はっきり覚えていない。
半年後か、1年後か。
きっかけは、テレビゲームだった。
スペースインベーダーの音が好きで好きでたまらなかった。
ブロック崩しとか、シーソーゲームの音なども好きだった。
ピコピコ! ピキューン!
あの電子音がたまらなかった。
もちろん、テレビゲームというものも、初めての出会いだったので
ものすごく刺激的だった。めちゃくちゃハマった。
そして、ゲームだけではなく、その音にもやられた。
なにか、すごいものに出会った、という感じがした。
しかし、ゲームの電子音が好きになっても、手に入れようがない。
アーケードのゲーム機が、家にあるわけでもないし
まだ、当時は、家庭用ゲーム機というのがない時代である。
という中、レコード屋で、YMOのアルバムを見つける。
レコードの帯に、「コンピューターゲーム”サーカスのテーマ”」と書いてあった。
「これで、あの音が手に入る!」
……と興奮したのが、YMOとの出会いである。
そう思うと、すごく偶然というか、ギリギリな出会いである。
偶然と、衝撃と、勘違いが、重なって出会った。
もうちょっとで、出会わなかったところだ。
出会わなかったら、電子音ではなく、電子「音楽」にハマらなかっただろうし
いま、ここにいないだろうと思う。
YMOは、その後、Rydeenでブームになる。
Rydeenが入っているセカンドアルバムがバカ売れ。
覚えているのは、友達の家に、そのアルバムを聞きに行ったこと。
だから、セカンドも、すぐは買ってない、ということか。
次の「増殖」はすぐ買ったし、「BGM」は予約したのを覚えている。
セカンドアルバムは、ずいぶん衝撃的だった。
だんだん、自分でも、シーケンスの速いフレーズをどうしても演奏したくなった。
いまだったら、PCのフリーウェアでも簡単にできるわけだし
ケータイの着メロを自分で作ることでも解決できるんだけど
当時は、まったく方法がなかった。
シンセサイザーはどれも高価で、高価すぎて諦めていた。
だって、50万とか100万とかだもん。
それに加えてシーケンサー。……無理。
その思いがずっとあって、家にあるオルガンで練習した。
16分音符の速いシーケンスを、手で弾いた。
おかげで、ピアノ教室に通っているクラスの女の子よりも
速いフレーズを弾くことができた。
だけど、それにも限界があったのと、オルガンの音は、オルガンの音だった。
別に速いフレーズにハマったわけじゃなくて、僕は、電子音にハマったのだ。
家にあるYAMAHAのオルガンの音は、電子音とはまったく違う
暖かくて、柔らかい音色しか出なかった。
でも、ほかに方法がなかったから、ずっと弾いてた。
それから、暫くして、NECからPC-6001という
三重和音が可能なPSGを積んだパソコンが登場した。
これでほんとにYMOができる、と興奮して、親父に頼んで買ってもらった。
親父もパソコンに興味があったらしく、すぐに購入した。
オルガンの上にパソコンを置いて、一緒に演奏した。
生まれて初めての自動音楽だった。
何度か書いていると思うが、ちなみに
そのおかげで、プログラムを覚えるようになり
さらにそのおかげで、自分でゲームを作るようにもなり
さらにそのおかでげ、プログラムコンテストに応募し、受賞し
そこから6年くらい経って、そのおかげで、ゲームの仕事を始めることができた。
そんなわけで、僕にとって、YMOは
単に好きな音楽とか、好きなバンド、というだけではない存在である。
僕以外にも、似たような思いを持っている人がいっぱいいて
せっかくだから、30周年を祝おうよ! ということになって
明後日の夜、イベントをやることになった。
YMOを祝いたい。
YMOを一緒に祝ってくれる人は、ぜひ来てほしい。
YMOバカだらけ、というのは、ずいぶんピースフルである。
21時スタートです。
みんなで、一緒に祝って、乾杯しましょう。
金曜の夜ですし。みなさん、いらしてください。
久しぶりの更新なのに、告知で申しわけありませんが
あと、1週間と1日で、YMO30周年イベント『YMO 78/08』です。
来週の金曜日の21時スタートで、場所は渋谷のSECO LOUNGE。
以前にもいちど告知をしたが、出演アーティストも決まりました。
敬称略で、松武秀樹(LOGIC SYSTEM)、桑原茂一(CLUBKING)、しりあがり寿
snoweffect(「茶寮YMO」セッション)、安田寿之、サワサキヨシヒロ!
齋藤久師 from 8bit Project、トベタ・バジュン、Riow Arai、O-SETSU-Y、MC神風YMO
というラインナップ。各々、トーク、ライブ、DJでYMO30周年を祝います。
わー、豪華。たっぷりすぎ。
あ、僕もトーク&プレイします。
O-SETSU-Yの、YMOライブだけでも、お腹いっぱいになりそうなのに
これだけのアーティストですので、朝までたっぷりと楽しめますね。
YMO好きな方は、せっかくの30周年を一緒に祝いましょう!
YMOが、少し好き、という方もぜひ。
この機会に、YMOにもっと触れよう、という方もぜひ。
もう30年かあ。早いなあ。
僕が、ファーストを買ったのは、出てから数ヶ月後だと思うが
いずれにせよ、そんな昔に好きになったバンドが、いまも活動していて
いまだにファンである、というのは凄いことだ。
直前にもういちど、お伝えするとは思いますが
来週の金曜日の夜から、時間を空けておいてくださいまし。
詳細は下記。
<<ここをクリックすると、YMO 78/08のページにジャンプします>>
告知ついでに。こちらもそろそろです。
お楽しみに。
クリスマスが近づいてきた。
……と、そう自然に思ったわけではない。
クリスマスが近づいてきたことが
街のイルミネーションや、雑誌の表紙、広告などで、伝わってきたからだ。
特に、イルミネーション。
まだ、早くないか?
まだ、11月中旬だぜ。
せめて、12月に入っているとか
少なくとも、1ヶ月近くになってからとか。
ガーデンプレイスの近くにいるからかもしれないけれど。
というか、ガーデンプレイスに言わせれば
「別にクリスマス、ということじゃないもんね〜」ということかもしれない。
こちら側が一方的に、敏感に感じているだけのことかも。
いや、そんなことはない。
思わせぶりだ。
あれは、どう考えても、クリスマスを意識している。
すなわち、人々のクリスマス意識を意識している。
さて、クリスマスであるが。
もっと、ワクワクしたい。
いや、ワクワクするんだけど
で、最後、「なんだっけ?」って言うと
クリスチャンでもなんでもない、僕は
家族で、一緒に、クリスマスケーキ切って、ローソクに火、付けたりして
お前それ、バースデイケーキの間違いじゃないか?
って、せっかくの夜を、つまんなくさせてみたり。
そんなものなのである。
そんなもので、ありがたいわけですが。
もっと、ワクワクしたい。
比べちゃおかしいのかも、しれないけれど
スペインのトマト祭りみたいなものが、年末に控えていたら
どれだけ楽しみで、毎日、指折り数えてしまうだろうか。
トマト祭り。
あるいは、あの牛の祭りでもいいよね。
えーと……、思い出した。
サン・フェルミン祭。
これも、スペインかあ! 牛追い祭りね。
うわあ。めちゃくちゃ楽しそう。
祭り、いいなあ。
レイブやフェスは増えたけど
「新しい祭り」の提案って、できないだろうか。
そのカルチャーの中に、音楽があってもよいわけで。
祭り、いいなあ。
わくわくする。
バカになれる、ということに憧れるんだろうなあ。
あと、スリル。
YouTubeのビデオを2つ使って
「YouTube漫才」というのは、どうだろう。
1つのムービーが、ボケ側。
もう片方のムービーが、ツッコミ側。
YouTubeのビデオを横に2つ並べて。
見る人には、同時に再生していただく。
……という、新しいフォーマットの提案。
2つのムービーを同時に再生すると
2つの映像であるにもかかわらず
ちょうどのタイミングで、ボケてみたり、ツッコミが入ったり。
面白いのは、そのような正当な使い方ではなく
ちょっとタイミングずらして再生してやると
ずれたタイミングで、合ってないツッコミが入ったり
ボケても、ぜんぜんそのままスルーだったり……というのが面白そう。
正当な使い方の、同時再生といっても、多少はずれるだろうから
その微妙な、いちどしかない「間」が面白そうだ。
リミックスというか、マッシュアップというか
ユーザー参加も簡単にできる。
ツッコミ側を自分で録画して、自分で横に並べれば
新しいツッコミのパターンで構成された漫才が再現できる。
さらに、それに対して、新たなボケを作る人がいれば
どんどん、新しい方向に漫才が進化していく。
という、すべて基準となる、最初の2パターン、作成したいなあ。
誰か、お笑いのかたで、このblogを見ているかた
いらっしゃいましたらぜひ。
同じような手法で、別々のトラックのテクノ
というのも、面白いかもしれないね。
むかし、むかし。
ある山奥に、お爺さんとお婆さんが住んでいた。
とても、とても、仲良く暮らしていた。
お爺さんは、お婆さんに訊く。
「お前は幸せか?」と。
お婆さんは、「ええ幸せですよ」と応えた。
しかし、お爺さんは言う。
「わしゃ、幸せじゃないぞ!」と。
「わしが、幸せじゃないのに、どうして幸せと言える?」
お婆さんは、狼狽え
「それは、知りませんでした。、それでは、私も幸せではありません」と応えた。
すると、お爺さんがさらに訊く。
「それじゃ、お前は幸せか?」と。
お婆さんは、「幸せじゃございません。なぜなら……」と、言いかけたが
「どうして幸せじゃないんだ。ワシがおるというのに!」という
お爺さんの怒鳴り声が遮った。
大きなその怒鳴り声は、大きな黒い鷲となって、大空へ舞いあがった。
黒い鷲は、空を飛ぶ。
やがて、夕立が止むと、突然、世界が、銀色になった。
銀色の世界で、あらゆる感情は閉じこめられ
人々は恐れ、過ちは繰り返され、突如として、妻のデボラが消えた……。
妻のデボラは、いい加減な女だった。
雨上がりの深夜の街に、ハイヒールの音が響く。
1つ、2つ、幾つものヒールの音が、音を重ねて、跳ね回っている。
アスファルトに弾かれた、生まれたばかりの雨粒が
コグマのウォルターの、鼻の先を映した。
2082年、人類の殆どが、昼夜を問わず
野外に出ることのなくなった、ある重大な事件の数年後の話だ。
「待て!」と、言語学者のドミニクが叫んだ。
しかし、青の宮殿のありとあらゆる部分は
「シルクの思い出」を持った
それぞれの新しい世代の子どもたちの、指先へ移っていた。
遠い夜明けが、まるで、寒さを感じる機能を失ったロボットのような
キミ、石川ミライと、僕、柳原セカイが、1つの公園で、1つ街灯の下
失われた、信頼と勇気という名の、古いリズムに乗せた
いまなお新しい鼓動となって、静かに、いつまでも僕らは抱き合った。
ヴォルクフォンの教会が、物音を立てずに、震えた、ように見えた。
「観念せんかい!」と、泉谷は、唾を飛ばす。
泉谷の振り下ろした拳は、古い日記帳のような
開店当時からそのままだという、黒いカバーのディナーメニューを
力強く叩いて、テーブルの下へと飛ばしてしまった。
二宮は、いまも連絡を待っている……。
重ね合わせた両手の指を、たまに動かすことくらいで
二宮は、もう2時間も黙ったままだった。動かない。
電話が……鳴った……。
母親は刑事の顔をいちど見ると、息を整え、受話器を取った。
「娘は……娘はどこにいるんですか?」
犯人の荒い息遣いが聞こえ、やがて、それは言葉へと変わった。
「いまから言うものを、24時間以内に用意しろ。
いいか。
まず、恐れない勇気。
そして、仲間との友情。
最後に、もういちど、勇気だ!
いくぜぇ! お前ら!
……と、水平線の向こうへ向かって、船長が叫ぶと
銀座三丁目の町並みは、大きく変わってしまったかもしれないけれど
変わらないものも、そこに存在すると、三代前から和菓子屋を継ぐ
三橋ルルさんは、笑ってインタビューに応えた。
暑い夏の昼……。
僕の、恋をするスピードが、まだたった、時速7キロメートルくらいの頃。
事件は、いつも放課後に起こっていた。
いや、放課後が、いつも事件に満ちていたのだ。
その日もいつもと同じように、学校を終えた僕は
ピクシーズ・ゲートを抜けて、魔法のもう1つの世界へと遊びに行った。
青い森の向こうの世界……。
そう、若杉百合が、400mハードルを辞退したのには、理由があったのだ。
そんな言葉を残して、バッタのチャーリーは、一生の幕を閉じた。
悲しい、「友を送る歌」の合唱が、城の周りから聞こえてくる。
後の、この世の救世主となる、戦士、ラルフェンが生まれる前の話だ。
なんだか、今年は、イベントが多い気がしますが……。
YMOファンの皆様!
今年は、YMOのファーストアルバムから、30周年でございます。
というか、ファーストアルバムがリリースされたのは、1978年の11月25日!
そう、もうちょい。
もう、今月のちょいちょいで、ファーストから、30周年なんです。
……と、YMO30周年を記念致しまして
YMOデビュー30周年記念イベントを開催することになりました。
今月の28日に渋谷の、SECO LOUNGEで
『YMO 78/08』という、イベントを開催します。
昨年、京都で、LIVE EARTHにYMOが出演した際
そのアフターイベントということで、After Service Kyotoというのを
開いたところ、かなり盛況な結果となったのですが
「東京でもやっとくれ」という声も、かなり多くいただき
その声にもお応えする形でも、開催したいと思います。
YMO周辺にいらした方や、YMOが好きな方、YMOに影響を受けた方など
様々な、「YMO的」な方々をゲストに迎えまして
トーク、ライブ、DJで楽しみたいと思います。
レアなトラックとか、マニアックな話、などなどは
もうずいぶん、オンラインな世の中になりましたので、そちらでということで
当日は、「リアルな場」という価値を、最大限に活かした……
……なんて、ただ単に、YMO好きが集まったら楽しいぞ、ということであります。
横を向いても、後ろを振り向いても、転んでも、石を投げても
YMO好きな人ばかりだなんて、ステキじゃありませんか。
しかも、「YMO30周年!」という、祝う対象まであるんですから。
YMOの話や、音楽で、ずっと朝まで盛り上がれるなら幸せじゃないですか。
まず、トークやライブ、DJのゲスト第一弾発表ということで(敬称略)
松武秀樹(LOGIC SYSTEM)、しりあがり寿、snoweffect、8 bit Project
トベタ・バジュン、MC神風YMO、というラインナップでございます。
近日、第二弾、出演者発表です。
協力、commmonsです。ありがたい話や。
花火大会するのに、町内の会長のOKが出たようなもんや。
ちょっと違うか。
というわけで、YMO好きな人は、11月28日の夜は空けておいてください。
21時〜オールナイトで、場所は渋谷のSECO LOUNGEです。
YMO好きが周りにいる方は、ぜひ、教えてあげください。
もう2週間ちょい、しか、ありませんので。
ということで、ほら、今年の後半、楽しみが1つ増えた。
詳細は、下からジャンプしてください。
<<ここをクリックすると、YMO78/08のページにジャンプします>>
楽しみましょう!
小室さんは、いちどもお話ししたことないなあ、そういえば、と思った。
小室さんの近くにいた人を、何人か知っており
当時、いろいろ話も聞いていたので、勝手に距離が縮まっていた。
以前、僕のオフィスがあったビルの違うフロアに、小室さん関係のオフィスもあったので
エレベーターや廊下で、なんどかすれ違ったことはある。
いつも、すごく颯爽としていた。
「颯爽」という言葉が、よく似合う歩き方の人という印象。
告訴人の訴え原文というものを読んだ。
「Departureからarrivalへ」とある。なんだそれ。
告訴人の、刑事告訴へ踏み切る理由を書いた文章。
その最後に、「※小室氏へ」と注釈があり、メッセージがあった。
「小室氏の作品にDeparturesという曲がありますが
arrivalという曲は未だありません」とある。
誰が、そんなうまいことを言えと……いう気もするが
なんでこんな、言い回しで締めくくる必要があるんだろう。
うーさぶぅ。寒くなった。
ちょっと、自分に酔いたかったのかしら。
「daydreamは永遠には続かないのです。
いつしかしかるべき所にarrival(到着・新生)するしかないのです」
あくびが出る、新郎友人の挨拶みたいだが
arrivalに「新生」なんて、そんな意味、あるんだっけ?
「arrival」の語源は「岸(ripa)」である。
ちゃんと「向こう岸」へ、行かせられたではないか。
どうせなら
「※TOO SHY SHY BOY! へ。
チープなスリルに身を任せても、明日に怯えてましたね。
ドリームラッシュも、SELF CONTROLできなければ、方舟に曳かれて
seven days warですよ。悲しいね。
今頃、alone in my roomかもしれないけど、Can you celebrate?
寒い夜だから、Don't wanna cry.」
というくらい、ほしかった。
「Departureからarrivalへ」……。
うぅむ。
僕も、この彼に、自由にならない権利を売って
「騙された!」ということになれば、同じように言われるのだろうか。
「『Dの食卓』という作品はありますが
『Dの贖罪』という作品は未だありません」
うわー、うぜえ!
『きになること。2』が、終了した。
終わってみると、少し、ポカンとした感じになる。
のはいつものことであるが、いつも以上にポカンとした感じになった。
来ていただいた方もそうかしら?
ありがいことに、盛況であった。
チケットは事前に完売したし、お客さんの笑顔も多かった。
みんなが、笑顔で、楽しい時間を過ごしていた。
ステージ上の僕たちも。
それが、この会の目的であるわけだから、大成功だ。
ほんと、ありがたい。
スタート前は楽屋にいて、お喋りしていたり、打ち合わせしたりして
たまに、ちょろっと会場を覗いて、お客さんの入りを見たりするのだが
前回と大きく違うのは、お客さんの来る時間の早さ。
開演まで30分くらいある時点で、多くの席が埋まっていた。
ロフトプラスワンのこのイベントは、整理入場でもあるのだが
席自体は、入ってからは自由に選べるようになっているので
少しでも良い席を、と思うと、チケットを早めに買って、早い整理番号を入手したり
早めに会場に来る必要があるわけで、とてもありがたいことなのだが
開演が迫った時間に来ていただいたお客さんが、席を探している姿も見え
ちょいと申しわけないなあという気持ちになってしまった。
また、兵庫からとか、青森からとか、岐阜からとか、かなり遠方から
このイベントのために、わざわざ、来ていただいたお客様も多く
もちろん、都内や関東であっても、待っていただいている時間も含めて
かなりの時間をかけて来ていただいているわけで
そのぶん、ちゃんとお返しできたかなあと、いまでも心配になってしまう。
あまりにも「良い人演出」みたいな、文章になってしまっているが
今回は、終わってから、そんなことをずっと考えてしまった。
考えて、少しずつ言葉になっているのだが、まだまだ残っているように思う。
イベントなんて、過去にも山ほどやっているのに、どうしてだろう。
繰り返すが、イベントそのものは、大盛況だったと思う。
会場の空気がよかったのが、なにより。
前回のみ来ていただいた方には申しわけない言葉だが
ものすごい、良い雰囲気だった。
そして、ボリュームもたっぷり。
スタートして、イベントそのもの自体だけで、終わったのは3時間以上後。
あんなに早く3時間が過ぎるのは、映画で言えば、傑作の大作といえる。
あ、ちょっと言い過ぎた。
次回が、いつになるか、まだわからないけれど
次回があるとしたら、もっと良いイベントにして
皆さんに、もっと満足していただきたいと心から思う。
こういうイベントごとは、ポーズであっても、やる側というのは気楽に装って
なんかテキトーにやっちゃったんですがバカウケしちゃいました、みたいなのが
取るべき態度というか、関わりの姿としては正解なんだろうけど
このイベントは、もっとアツく直球で本気度100%だけどバカ、みたいな方向に
向かっていくことが、正しい道であるように、イベント終盤に感じた。
それをわかってくださる方々と、一緒に作り上げていきたいと思った。
これからも。
イベントというのは、そういうものではないだろうか。
そこにしかない空気、このイベントにしかない空気、というのを大切にしたいし
これからも、作り上げていきたい。
来ていただいた方は、ほんとうにありがとう。
イベントは、あの時間、あの場所にいた人にしか共有できないものがある。
そんなのが1つ生まれたということだけでも、僕は、すごく幸せだ。
来ていただいた方で、お手数でなければ、右上のアドレスに
なにか感想などを送っていただければ、次回開催の励みにも参考にもなりますので
ぜひ、言葉をください。
少なめでも、ボリューム満点でも。
ステージの上側が、笑い疲れるイベントなんて、滅多にないなあ。
楽しかった。
ありがとう!
次回、『ヨシナガと飯野賢治の気になること。3』、お楽しみに。
昨日のタクシーで。
運転手さんに、「今日はハロウィンで」みたいなことを言われた。
運転手さんは、60過ぎくらいの人だろうか。
乗って、ドアが閉まって、発車していきなりだったこともあり
ずいぶんハイカラな入口だなあ、とは思ったが、「そうですね」と答える。
長くなるので省略するが、こんな感じで話題が推移していった。
「今日はハロウィンだ」
「去年のハロウィンは外人が騒いで大変だった」
「ハロウィンは何故カボチャなんでしょうね」
「最近のカボチャは栗より甘い」
「カボチャが甘くなったのかな」
「いや栗が甘くなくなった」
「岐阜と熊本にそれぞれ娘がいる」
「岐阜の娘からは毎年カボチャが送られてくる」
「熊本に嫁いだ娘からは毎年メロンが送られてくる」
「熊本の娘は優しい娘だ」
「熊本に嫁いだ娘の旦那もいいやつだ」
「送られてくるカボチャもメロンもとても美味しい」
「娘がいる岐阜はこれから寒くなって大変」
といった感じで、話が移っていった。
会話のように見えるかもしれないが、ほとんど運転手さんが1人で喋っている。
ここまでで5分は経っているように思えるが、まだ2分くらいである。
この人にそのまま喋らせたら、1時間くらいで
新書が1冊、出版できそうだ。
正直、ちょっと疲れていた。
運転手さんと会話するのは好きだが、時間あたりの情報量が多すぎる。
そのワリには、得るものが少ない。
少なくとも、運転手さんの娘さんの嫁いだ先の旦那さんの情報は
僕のこの先の人生で、役に立つことはないように思う。
とはいえ、目的地は近く、短距離の移動だったので
このまま、「ふんふん」と、聞いていようと思った。
僕と会話して、なにかが晴れるなら、それでよしだ。
ぜんぜん、会話になってないけど。
もう半分くらいで目的地、というところで
「娘がいる岐阜はこれから寒くなって大変」
から
「私の田舎、山形はもっと大変だけど」
と話が移り、初めて僕がまともに、返事を入れた。
「うちの親父も山形なんですよ」と言うと
「うちは米沢なんですけどね」と返された。
たまたま、数年前に米沢で仕事をしたことがあったので
それを伝えると、その場所のことを運転手さんは、知っていた。
残り1/3くらいで、会話がやっと成り立った。
運転手さんが生まれ育ち、僕が仕事した、米沢という街のことで話が盛り上がる。
信号で停まる。
この信号を曲がって、ちょっとしたら目的地である。
せっかく、米沢のことで会話ができてきたのに……
と思っていたら、突然、運転手さんは、なにかファイルのようなものを取り出した。
赤信号中だからよいが、なにがどうしたというのだ。
青いファイルが開かれると、中に新聞の切り抜きのようなものが入っていた。
「これ、私なんですよ……」と運転手さんは言う。
え? なになに? と思ったところで、信号が青に変わり、ファイルは閉じられた。
が、会話は続けられた。
「私ね、日本記録持ってまして、数年前に日本大会で記録を取って
実は、一昨年も、パラリンピックに出場して、銀メダルで
前に入賞したときも、最年長の記録で……昔のオリンピックが……」
「う、運転手さん。残念なんですが、もう、そこで降りるんですよ……」
タクシーは停車し、代金を払い、タクシーを降りる。
人の少ない夜の街に、寒い風が吹く。
ヘビィメタルのCDが、突然止まったような、残された感があった。
最後の15秒くらいは、畳みかけるような、情報の洪水だった。
前半に比べて、時間あたりの情報量も多かったが
前半に比べて、興味ある情報が噴出した。
が、しかし。
あまりにも短時間で、情報を詰め込みすぎているため
いま現在も、あの運転手さんが、なんの競技で、記録を持っているのかわからない。
数年前ということは、いまが65歳として、60歳前後だ。
いったい、なんの競技なのだろう。
オリンピックがどう、とかいう言葉も、後半聞こえた気がするが、なにもわからない。
そして、パラリンピックというのは、身体障害者を対象にした競技大会であると思うが
タクシーの運転手さんをやっているわけで、どういうことなんだろう?
とも思うが、内蔵系の疾患とか、そういうことなんだろうか? とか
とにかく、いろいろなことがわからないまま、終わった。
タクシーは、とっくに、見えないくらい遠くへ走り去っていた……。
結論。
情報を相手に伝えるには、時間あたりの情報量に注意しなければならない。
そうしないと、相手は混乱するだけで、なにも残らない。
熊本に嫁いだ娘さんの旦那さんは、いいやつなんだ、ということは残っている。
だからどうした。