iTunesの人とランチした。
ちょっと行かない間に、ウェスティン東京1Fの
THE TERRACEの内装が変わっていた。
入口が広がっていい感じになったはずなのに
どうしてか、前のほうが印象が良かったように思える。
ランチしながら、目的もなく会話。
思うのは、ダウンロード販売とか、オンラインの流通とか
あたりまえだけど、あたりまえのように会話している事実。
たった6年半くらいなんだよね、iTunesがデビューしてから。
その後、iPodが発売され、iTunes Music Store(現iTunes Store)が
オープンしたわけで、一般に広がったのは、もっと最近のこと。
みんなが買ったカラーのiPodや、iPodミニ、iPodナノは
2004年とか2005年のデビューだからね。
この数年で、ここまでシーンと産業が変わったのは
音楽が最も顕著じゃないかしら。
Amazonも便利だけど、やはり本屋で買う機会がかなり多い。
音楽は、僕の場合、CDをショップで買うことのほうが多いんだけど
iTunes Storeからダウンロードで買う割合がずいぶん増えてきた。
パッケージの価値。
ブツとして所有することや、ジャケットの魅力や
封入冊子とそのライナーノーツというのもあるんだけど
音楽は、「いま聴きたいなあ」という欲が強い。
本は、「いま読みたいなあ」という欲はそこまで大きくない。
『団地ともお』の新刊が出ていたら、すぐ欲しいけれど
Amazonで買ったところで、いま読めるわけでもなし。
オンラインより、本屋に行ったほうが早い。
昔は、レコードショップにも魅力があった。
品揃えが変わっていたり、音楽好きな店員さんが多かった。
実際、コミュニケーションがあって
薦められたレコードを買ったりもした。
もちろん、いまも良いショップもあるんだろうけど
一般的な大型ショップで比べたら、iTunes Storeのほうが
すべてとは言わないが、あらゆる点において魅力が勝ってしまう。
便利なことに加えて、魅力でも負けてしまったら
そりゃ、マーケットは変わってしまうよなあ。
僕は、便利な自動改札よりも
切符切りのおじさんがカチカチやっていた時代が好きだ。
完全に、連日の仕事詰め疲れからくる逃避だけど
こんなとき、いつも「島」のことを、ぼーっと考える。
「島」に憧れる。
もう15年くらい憧れているから、かなり本気だ。
「憧れ」という対象は、そこに近づいたり、自分のものにすると
飽きたり、魅力を失ってしまうものが多いけど
島の場合は、そこからが面白いから、それもないだろうと思う。
そう、島で暮らすこと。
島ライフだ。
別荘的に、島「も」所有して、とかではなく、人生を完全に島へ。
ずーっと島で暮らしたら、どんなんだろうなあと思う。
人生を振り返ったとき、ずーっと東京などで暮らした人生と
どこかで、島ライフに切り替えた人生では
どう考えても、後者のほうが満足度高いように思える。
ずーっと島で暮らす、というのは、半分、世捨てみたいなものだ。
島でもできる仕事をして……というわけではなく、もう仕事もしない。
ここでいう仕事というのは、一般市場というか、主世界というか
メジャー社会と関わる仕事、という意味で。
だから、「仕事はもういいや」と思える状態でなければならない。
お金の問題だけではなく、気持ちの問題のこと。
創作とか、頭や身体を使うという意味では
島の暮らしをより良くしたり、より楽しくしたりなど
島ライフ向上のための活動で、充分に満たされると思う。
問題となるのは、社会との接点だ。
世捨て人になるのだから、社会になにかを問いたいとか
社会に対してなにかを試してみたいとか、そういう欲に対して
「もういいや」と、完全に割り切れていれる状態でなければよろしくない。
社会との接点を持ちたくなってしまうからね。
「島だけ」で暮らしができるようにするには
自給自足で生きていける環境を作る必要があるけど
基本的に、電気と水道とだけなんとかすればよいでしょ。
緊急時のこと考えて、インターネットは必要か。
いや、そういう接点すら捨てるか。
食べるものは、野菜や果物と魚介類。
いざとなったら、VEGANになってもいいし。
野菜や果物、魚介類が豊かに捕れる島を選ぶ必要があるね。
さて、問題はなんだろう。
お金のことは、つまらないので、置いておく。
問題は、家族を持っている、ということだよなあ。
自分1人の人生じゃないもんなあ。
あたりまえだけど。
長男が小学校3年生、加えて、生まれたばかりの子もいる。
成人まで待つよなあ、ふつう。
それに加えて、カミさんの同意が必要。
1人じゃ寂しいもんね。
もちろん、複数家族でという選択もある。
あとは、責任感とか、国に対する恩などかしら。
この世界をもっと良くしようと思わないのか、とか。
自分が生まれ育った国に対してなど。
これは、そのときになってみなければ、わからないや。
という、孤立の島ライフ。
これって、「ひきこもり」なわけだけど。
こういうスタイルの、ひきこもりってのはどうでしょ。
社会の中で閉じこもるのではなく。
社会からエイッと飛び出してしまう。
自分のスペースから出ない、というのは一緒だね。
いま居る社会よりも、島ライフのほうが
「良い」から、そっちを選択するわけではなくて
限りある人生、そっちを選択したほうが面白いんじゃないかという考え。
旅行先で6日間、時間があるとき
最後の1日や2日くらい、なにもないかもしれないけど
隣町にでもいってみようか、みたいな、そんな感じ。
いろんな条件や問題があって、いまはできないわけだけど
実際に、条件揃って、問題クリアしたら、どうなんだろう。
完全に「捨て」と、判断できるのだろうか。
それとも、社会に未練が出てくるのかなあ。
そんなことも含めて、島ライフ。
そっちいってみたいなあ。
そのくらいして、はじめて
「自分はなにがしたいんだ?」というのがわかる気がする。
まだまだ夏だが、年末が好きだ。
年末の、あの「年が終わる」という
ちょっとした慌ただしさに加えて存在する
「新しい年がやってくる」という高揚感。
その両方が持つ、スピード感も好きだ。
もう、仕事も終えて、30日とか31日頃。
そのあたりは、かなりMAXの状態。
「おい、明日でもう今年終わりかよ」とか
「もう今日で、今年も終わりなんだなあ」とか。
そんなふうに、寂しい感じが加わりながらも
相変わらず存在する、新しい年への高揚感。
今日は8月の28日。
もうあと数日で、8月も終わり。
9月が始まる。今年も、あと残り4ヶ月だ。
早くこないかなあ、年末。
早く味わいたいなあ、年末感。
だけど、子どもが生まれたから
今年の年末は、どこにも行かないよなあ。
どこにも行かなかったら、紅白とか見てみようと思う。
もう何年も……どころか、二十年以上見ていないけど。
紅白見て、年を越そうと思う。
よしそう決めた。
紅白見ながら、みかんを食べよう。
あー寒い、寒いなんて、少しは寒さを感じながら。
だから、あんまり暖房はせずに。ちょっと窓を開けたり。
自発的に冬を感じながら。
横には、遅くまで起きている長男がいるだろう。
でも、ちょっと眠くなっていたりして。
時計を見ると、11時20分とか。
もう、あと40分だなあと、心で呟いて。
カミさんは、台所で、年越し蕎麦の用意をしていて
カンカンカンと青ネギを切る、包丁とまな板のリズムがあって。
そのときにはもう6ヶ月の次男が、突然、わぁーっと泣き出すのを聞いて
台所から慌てて飛び出してきたり。
あぁ、年末っていいなあ。
毎日が、年末だったらいいのに。
オーストラリア滞在中は、2人きりということもあり
普段に比べ、息子とずいぶん多く会話をした。
自然や環境のような話しも多くできたし
価値観とか人生論のような、こんな機会でもなければ
なかなかゆっくり話しすることのない会話も多くできた。
べつに、前もってこれを伝えようとか、そういうのはなく。
すごく自然な形で。距離や深さが、いいバランスで。
2人きりで、いつもと違う場所で、時間があるというのは
互いの思いをうまく繋げる、コミュニケーションを可能にする。
例えば、勉強であったり、仕事ということであったり
そういうことを親なりに、息子に伝えようとしたとする。
息子から質問があった場合は、これは非常に簡単で
相手が、聞こう、探ろう、考えよう、という状態になっているから
どんな言葉を投げても、わりと思いを伝えることができる。
もちろん、それでも、そんな1回の会話で伝わることなんて
ほんの10%もないんだと思うんだけど。
それの繰り返しが大切なわけで。
だけど、こちらから言葉を投げるときは、かなり難しい。
普段は、どうしても言葉が、息子の位置から遠いものになってしまう。
会話の出だしから、遠いものになってしまいがちだ。
「これを伝えたいなあ」と思うようなことは、相手の遠くにあるわけで。
そもそも、相手の遠くに位置することだから、それを伝えたい、と思うわけで。
伝えようということを、息子が理解できる位置まで近づけてあげて
息子が理解できる場所から、そんな言葉から、会話を始めればよいのだけど
なかなかそれが難しく、相手にとっては、遠い言葉から始まってしまう。
川向こうの小高い丘の上を指さして、「ほらあれが見えるか?」みたいな
そんなコミュニケーションになってしまう。
相手が、聞き取れる範囲、見える範囲、わかる範囲で
コミュニケーションを始めなければ、成立しなくなってしまうことなんて
わかりきっているんだけど、それがなかなか難しい。
それが、2人きりで、いつもと違う場所で、時間があるおかげで
この旅行では、なかなかよいコミュニケーションができたと思う。
旅行先で……という2人の共通体験から、会話はスタートする。
片方が先に山に登って、そこからの経験を相手に伝えるわけではなく
一緒に、行動したり体験する中から、会話が生まれる。
それは、ほんのちょっとしたことからなんだけど。
昼ご飯はなんにしようか? とか 行くあてもなく列車に乗ってみようか? とか。
いろんな国の人が食事に来てるね、とか、そんなことから。
わりと難しい話しでも。すごく簡単な会話でも。
自然の中から、コミュニケーションが発生して
それが自然の形で展開していくことが、とても大切なことだと感じた。
ある日。
霧の朝、森の中へと歩いていくと、息子が立ち止まった。
どうしたのかと聞いてみると、木の枝についたたくさんの水滴が
キラキラと輝いて、とても綺麗だという。
それは、朝露というんだよ、と教えてあげながら
自分の息子が、そういう視点を持っていることが嬉しく思った。
オーストラリアで、後半3日間泊まったのは
「Lilianfels Blue Mountains」というホテル。
あのオリエント・エクスプレスがやっている
リゾートということで、大変期待して行った。
(オリエント・エクスプレスのホテルは世界中にいくつもあります)
ホテルから、歩くと、もしくは谷をちょっと下るとすぐに
ものすごい景色(前のエントリであるあの山々)が
ドーンと広がるという、そのロケーションは素晴らしかった。
1000メートルの高台のほんとにキワにあるので、絶景。
ホテルから出て、ホテルの裏手からちょっと歩いたら
すぐに上の写真のような景色が広がっている。
ウォルシュ湾ぞいの「Sebel Pier One」では
毎日、海沿いを歩いたように、こちらでは、毎日、谷沿いを歩いた。
谷沿いというか、崖沿いというか。
部屋のインテリアは、好みあるだろうけど
ここまでやられちゃうと、なんだか納得いった。参ったというか。
50代のイギリスのおばさまとかが、いると画になるんだろうね。
ヨーロピアンがいきすぎて、ファンシーというか、なんというか。
一転して、夜、ライトを1つだけつけると、デヴィッド・リンチの世界になる。
いききっているから、そうなるんだろうね。
このホテルで、なにより素晴らしいと思ったのは「香り」の演出。
ロビーに入るとすぐに香り。
エレベーターを出てもそこに香り。
ホテル中にどこでも、いつもいい香りが漂っているんだけど
それが、なんとぜんぶ「花」によるもの。リアルな花。
ホテルのあちらこちらに、花があって
それが見た目にも美しいんだけど、香りを演出している。
フラワーホテルと呼んでもいいくらい。
これは、素晴らしいアイデアだと思った。
ただ、唯一、とはいえ大きく残念だったのは「人」。
なんか、冷たい印象を受けたんだよね。
すごくいい感じの人も1人だけいたんだけど。
その方以外は、みんなちょっと冷たい。
最初は、そういう方向性の思想なのかと思ったんだけど
クールでありながら、すごく丁寧に、こちらを扱ってくれるわけでもなく
フレンドリーに、楽しく接してくれるわけでもなく。
人の部分だけは、どこかのビジネスホテルみたいだった。残念。
そこが良ければ、他のオリエント・エクスプレスのホテルにも
泊まりたいなあと、リピーターになるのに。
うーん。ホスピタリティがなあ。
ただのその1点だけなんだけど、その1点はあまりにも大きい。残念。
前にも書いたがオーストラリアの最初の3泊は
「Sebel Pier One」という、ウォルシュ湾ぞいのホテルだった。
上の地図の、薄紫の部分がホテル。
歩いてすぐ、ハーバーブリッジがあって
その周囲には、公園の芝生があって
さらに歩くと、海際の飲食店街があって
その奥にはロックスの街があって
もうちょっと行くと、フェリー乗り場があって
サーキュラー・キーという電車とバスの駅がある。
その向こうには、オペラハウス。
そして、なによりも、常に海があるということだ。
ホテルのロビーを出ると、遊歩道があって
その横は、もうウォルシュ湾。
いつでも、海というか、水を見ることができる。
その、ロケーションが、すごく気に入った。
ただ、それだけなんだけど、それがすごく良かった。
毎日というか、一日に何度も、ホテルから
湾にそって、水際を散歩をした。
ぶらーっと歩いて、歩いてから、なにをするか決める。
フェリー乗り場まで歩いて、フェリーに乗ったり。バスに乗ったり。
歩くのを止めて、景色を眺めたり。
ベンチに座ったり、石に座ったり、芝生に座ったり。
海際の店で食事をしたり、ロックスの街で食事をしたり。
たまたま、大きな船が来たから、眺めるとか
たまたま、美味しそうだったから、食事をするとか
たまたま、鳥がいっぱいいるから、休憩とか。
なんだか、そんな感じがよかった。
よくロールプレイングゲームで
最初は、行ける場所やルートが制限されていることがあるが
まさに、そんな感じだった。
ホテルと、あの片道15分くらいのルートがあれば
もう、それでいいんじゃないかと思った。
そのくらい、楽しめた。
なんだろう。
オーストラリアという大きい国の
シドニーという大きな街の中で
「ここは自分のエリア」みたいな、感じがあったのかなあ。
そのくらい、あの小さな区域はよくできていた。
なんでもあった。そこから、どこにでも行けた。
居心地がよかった。
公園のハーバーブリッジをくぐったところ。
ここの芝生で、よっこらしょと、休んでいると
目の前に大小様々な船が行き来し、鳥たちがやってきて去っていって
ジョギングする人や散歩する人がいて、遠くに飛行機が飛んだりする。
そんな、小さな気持ちのよいパーフェクト。
※今回の写真はすべて、クリックすると大きなサイズの写真が開きます。
いつものケータイの写真と違ってGR-Digitalだから自然が美しいね。
最初に3泊したホテルは、目の前にすぐ湾が広がっていた。
ホテルの名前は「Sebel Pier One Sydney」。
シドニーの街と北岸を結ぶ、歴史的なハーバーブリッジ。
を下から見た。ホテルから2〜3分歩くとすぐに橋の下に。
ハーバーブリッジを夜に撮影。街と橋の灯りが美しい。
最初の日は、雲が1つもない、完璧な晴天だった。
有名なオペラハウスも、ホテルのすぐそばにある。
何度見ても、モビルスーツの肩の部分に見えた。
息子連れということもあって、水族館に行ってみた。
行ったら自分が見事にハマった。ずっと魚たちを見ていた。
フェリーの発着所。電車みたいにいっぱい出ている。
視点が海からとなっているのは、フェリーに乗っているから。
ホテルの遊歩道からの眺め。ウォルシュ湾に沈む夕陽。
雲が出たら出たで、また違った美しい眺めを見ることができる。
最初のホテルのロビー。開放感あるいいホテルだった。
ロビーのガラス床の下は水。まさに水上ホテル。
同じくホテルのロビー。ガラスのテーブルに外の景色が映る。
ぼうっとしていると、空に溶けていくような感じになった。
ボンダイビーチ。といっても、冬だから泳いでいる人はいない。
雨がパラついたおかげで、虹が出た。歓迎されているようだ。
シドニーの街中。ハイドパークを横切っているところ。
晴天だったり、曇天だったり、毎日、違う雰囲気が楽しめた。
なんの目的もなく、電車に乗ってみた。行き先も決めず。
なんとなく降りた駅の駅前。もう行くことないだろうから面白い。
その駅の周りをぶらぶらして、陸橋に立った。列車が行き来する。
日差しが強いから、コントラストがものすごい。空がいいね。
ここからは後半の3日間。Blue Mountainsに移動。車で2時間。
山の上のホテルに泊まる。ホテルからすぐ、こんな景色が広がる。
また虹が出た。すごく嬉しい。ほんとに天と地を繋ぐ橋のようだ。
左に見えるのは、有名なThree Sisters。ずっと向こうまで森が続く。
後半3泊したホテルの部屋。乙女が喜びそうな装飾にこちらはドキリ。
Orient-Expressがやっている「Lilianfels」というリゾートホテル。
朝早く起きて、山の中をあるいてみた。霧がすごくて幻想的。
霧であまり見えない中、周囲から鳥の声がいっぱい聞こえてくる。
森をどんどん進むと、いったいどこに来たのかと思う風景になる。
インディージョーンズみたいだ。罠も敵もないから安心だけど。
ホテルからすぐのView Pointからの眺め。毎日、何度も訪れたが
目の前に広がる雄大な景色を脳がすぐに理解できない。広すぎる。
最後の日は、朝早く起きて、野生のカンガルーを見に行った。
カンガルーの家族を見て、東京のカミさんと赤ちゃんを想った。
息子も想っていたに違いない。
オーストラリアから戻る。
オーストラリアは冬だったので
成田空港に着いたときは、温度差にちょっと驚いた。
わかってはいたんだけど、予想以上だった。
東京って、ここまで暑かったっけ?
というのも、だんだん慣れてきた。
しかし、暑いね、今日も……。
写真も多く撮ったし
思うこともあったので、また明日にでも書こうと思う。
まだバタバタしていてね。
今回は、息子との父子2人旅だったのだが、良かった。
互いに良かったと思う。
こういう「変則」って大事だね。
変則は、自らじゃないと、なかなか起きないし
変則によってこそ、日常、得られないものがある。
どこかで、1人旅、しようかなあ。
結婚したり、子どもが生まれたりしてから
ぜんぜん、行かなくなっちゃったもんなあ。
最初に泊まったシドニーの湾側のホテル。
朝も昼も夜も気持ちよかった。
本日夜から、オーストラリア。
夜に発って、朝にはシドニー。
夏に発って、向こうは冬。
今回の旅行は、長男との男2人旅。
機中入れて、7泊8日の父子旅。
この旅には理由があって
元々、息子が小学校3年生になったら
父と子だけで、年に1回旅行すると決めていた。
というのは、息子が大きくなっていくにつれ
互いに、話すべき話しがあると考えたからだ。
父と息子だからできる会話があると考えた。
だけど、例えば中学2年生になってから
「突然、2人で旅行出るぞ」というのも、不自然なので
3年生になったら、習慣というか行事にしていこうと決めていた。
互いに、なにがあっても、年に1度は2人旅行する、というルール。
最低1泊でも、どんなものでも。
という理由だけだったら、7泊でオーストラリアまで
行く必要もないんだけど(来年からはもっと地味だと思うけど)
次男の誕生が、もう1つの理由。
春までは、長男が、我が家で唯一の「子」だったため、生まれたときから
両親の愛も注目も文句も期待も、すべて注がれていたんだけれど
長男が誕生してからは、それが分散してしまう。
分散というか、カミさんはそっちメインとなる。当たり前だけど。
そんなこともあって、僕と長男は2人っきりで過ごそう、ということ。
カミさんは、赤ちゃんとともに、カミさんの実家で休んでもらう。
今晩発って、明日の朝に着いて
最初の3日間は、都市を中心に。
なにもまったく決めていないのが、楽しみ。
向こうに着いてから、長男と決める、という約束。
そして、その後の3日間は、2〜3時間移動して、山のホテルへ。
冬山で自然を満喫して、びっくりするような景色を見るのが狙い。
アクティビティが楽しみだ。
ノートPCは持って行かない。
iPodも、小説も、マンガも、今日を引きずるものは、ぜんぶ置いていく。
戻ってくるのは、来週の金曜日。
それまで、このblog、更新はございませんが
戻ってきましたら、写真などアップしますので、また!
本日配布開始の、フリーペーパー「dictionary」最新号
YMO特集号に、原稿を寄せています。どこかで入手して、読んでくださいね。
<<「dictionary」の配布店はこちらでチェック!>>
『電脳コイル』面白い。
面白いだけじゃなく、すごいなあと思うのは
これが、NHK教育で、土曜の18時半からやっているということ。
こんなサイバーなアニメ、いまの子は見てるのかあ。
すごい世の中だ。それがなにより驚く。
NHKで、これをOK出した人は素晴らしいね。
ユビキタス(もう懐かしい響きだ)が行き着いた未来。
この世の中には、普通の世界と、電脳世界の2つのレイアーが存在している。
電脳メガネをかけた子どもが見ることができる、電脳世界。
視覚化された、バグやワクチンウイルス。
地方都市の大黒市に引っ越してきた、主人公ヤサコと妹の京子。
そして、電脳ペットのデンスケ。
今日から、ちょっと不思議な毎日が始まる。
……というようなお話なんだけど
キャラクターがイキイキしていて、気持ちいい。
キャラクターの設定と、様々な描写が元気で美しいね。
背景となっているのは、それこそサイバーではあるけれど
子どもたちのキャラクターが、普遍のそれ、になっているおかげで
物語が世界がキラキラと輝いている。
子どもの頃に、冒険をしたり、探検をしたり
世界を1つ1つ確認しながら、自分のものにしていくように
この物語では、見る僕たちと一緒に、世界を掴んでいく。
子どもの頃の、そういう感覚を思い出す。
いまの子にとっては、不思議な現実感があるのだろう。
上にも書いたが、これをいまの子たちが
リアルタイムで見ているというのが、素晴らしい。
面白い世の中になったもんだ。
すぐに消されちゃうだろうけど、YouTubeで第1話。
発達した技術は、まさにマジックとなる。
目の前に広がっているのは、子どもたちには「不思議な世界」なんだよね。
ミス・ノゾミが変わった。
たぶん、7月のダイア改正から。
ミス・ノゾミ、というのは、勝手に付けた名前だが
新幹線のアナウンスの声。
日本語の後に流れる、英語のほうの人。
僕は、前の声が好きだった。
前の、ミス・ノゾミが好きだった。
声質とかではなく、その発音と流れ。
声優は同じ人なのかもしれないけど、性格が変わってしまった。
なんというか、SF映画とかアニメに出てくる機械の声のそれ。
ちょっとやりすぎだろ、というくらいのオーバーな発音。
少しだけ上目線の、ちょっとだけセクシーなその性格。
たまらなくいいキャラクターだった。
"Before arriving at Tokyo terminal"の発音が好きだった。
ビッフォーライビン、アッ、トウキョー、トァーミノー。
特に好きだったのは、"silent mode"。日本語で言うマナーモードの発音。
サイレント・モゥデュ。
モゥデュ。
フランス混じりにセクシーに止める。
お食事とお飲み物のワゴンサービスが、お席まで伺いますよという
"Wagon service for food and beverages will be available at your seat"
は、すごく気持ちが入っていた。
"will be available at your seat"の発音と流れが
「お客様の席に行きますよ〜」という気持ちがよくあらわれていた。
いい乗り物に乗っているんだ、と思ってしまう。
ちょっとオーバーすぎるけど。
常にやりすぎ発音、という気もするけれど。
だけど、SF映画やアニメの未来のサービスの声はそういうものではなかったか。
そのやりすぎ感が、オーバー演出が、特別感を感じさせてくれるのではないか。
やりすぎでよいのでではないか。
そのくらいのSF未来っぽいほうが、新幹線は面白いではないか。
ところが、変わった。
変わってしまった。
なぜ、変わったのだろう。
新しい700系の登場にあわせて、録り直したのだろうか。
それとも、お客さんから苦情が出たのだろうか。
セクシーすぎる、とか。
興奮させないでくれ、とか。
セクハラということか。
どうも違う。
さっぱりしすぎている。
特別感がない。
あの前のミス・ノゾミに戻してほしい。
「サイレン・モーデュ」は、もう聞けない。
今回、"available"の発音も、正しくないと思うんだよなあ。
ミス・ノゾミに会いたいなあ。
また、あの声、聞きたいなあ。
月に何度も乗っているから、そう思うんだろうなあ。
目黒に1年くらい前にオープンした
『づゅる麺 池田』が、美味しい。
目黒はラーメン激戦区とか言われたりするが
ここにしかないという個性的なラーメン屋や
これは美味しいと心から思えるラーメン屋は少なく
後からやってきて、ポンと上位に簡単に食い込んだ感じがある。
オープンしてすぐに行ったときは、正直まあまあだったのだが
その後、半年以上経ってから、あちこちで評判を聞き
いろいろ改善したのかなあと、やっと行ったのが先週。
素晴らしく美味しかった。
麺もスープも、個性的だ。
まず、麺が個性的。
店名に入っているくらいだからね。
「美味しく麺を食す」をコンセプトとしているのでしょう。
かなりコシがある、中太の平打ち麺。
茹で上がるまで、かなり待つ。
茹でた後は、水で勢いよくキリっと締めてある。
この麺の時点で、OKと言っちゃうくらい美味しい麺だ。
そして、スープ。
鶏がベースで、加えて魚介(エビも入ってる?)。
あと香味系の野菜の味(セロリっぽい味も)。
このスープが、個性的で美味しい。
鶏がトロトロの良い具合のスープになっているため
ベースが強いので、上でいろいろできるのだろう。
なんとも、面白いバランスの味わいだと思う。
という、麺とスープが、合わさって、ここの味。
つけ麺がメインというか、自信作っぽいので、つけ麺で食す。
夏は暑いしね。
しかし、気になることが2つ。
先週かなり美味しく味わえたので、昨日、再訪したのだが
正直、ずいぶんクオリティが違っていた。
前の週より、お腹がすいた状態で行ったし、体調も問題ないし
横に座っていたお客さんも「あれ?」みたいな感じだったので
思い違いでもないように思う。
スープがとにかく違った。
あと、トッピングのほうのチャーシュも。
全体的に「うまい」のだけど、「これ、うまっ!」という完成度がなかった。
「これ、うまっ!」と思えるか、どうかでぜんぜん違うよね。
「これ、うまっ!」と思えれば、リピーターになる。
「うまいね」くらいだと、気が向いたら行く店になる。
ラーメンって、同じ味を継続的に出すのって、難しいんだろうね。
それとも、この数日でなにかを変えたのかな。
断然、前々回のほうが美味しかった。
次に気になるのが、スープの温度。
これ、解決方法、なんか考えられないのかなあ。
麺が最後、冷水でキリっと締めてあるため
スープの温度が、もっと熱くないと
途中からぬる〜い、ぬるぬるラーメンを食べる感じになるんだよね。
どうして、もっと温度、なんとかならないんだろう。
具のキャベツや短冊チャーシューなどを最後入れるとき、冷めちゃうのかな。
という上に加えて、おいしい味玉と、トッピングチャーシューが
両方とも冷たいので、それを入れると、さらにぬるくなってしまう。
味玉と、トッピングチャーシューは、後半で入れるべきなのかしら。
前に、AFURIについても、「ヒンヤリ玉子問題」を書いたが
味玉と、チャーシューって、温かくしておけないのかしら。
味玉は保温すると、トロトロがなくなっちゃうのかな。
トロトロがなくならない程度に、というわけにはいかないのだろうか。
チャーシューは難しいかなあ。炙ってみてはどうなんだろ。
まあ、味が違っちゃうけど。
あれだけ大きなチャーシューを、トッピングメニューとして用意しているなら
そこは、なんらかの解決をしなければならないと思う。
まぁ、そんなにアツアツが好きなら、つけ麺じゃなく、通常のラーメンを頼めよ
という気もするんだけど、この店には解決を期待したいなあ。
なぜ、この『づゅる麺 池田』に対しては
このように、期待をしたり、改善、成長を楽しみにしたり
そういう思いがこちらに出てくるのか、よくわからない。
この店、店長やスタッフが、そういう思いでいるから
それが、こちらにも伝わるんだろうなあと思う。
ものすごく、これからに期待したい。
暑い中、開店前から30分以上並んで
身体が火照り、汗を流し、ぼうっとした頃に
店内に案内されて、お新香とうざくを食べながらビール。
焼き鳥、う巻き、白焼きを食べながら冷酒。
そして、待ってましたと鰻丼を食べる。
南千住、尾花の鰻は、ピシっとしている。
もちろん、触感はふんわりなんだけど
なんというか、佇まいと味がピシっとしている。
タレも辛みがあって美味しい。
東京の味だねえ。
蒸し方、焼き方も絶妙で
関東の蒸し行程が入る良さがある。
少し水分少なめのご飯も相性がいい。
食事が終わり、畳でうちわをあおぎ、少しまったりとする。
外で待っているお客さんがいっぱいいるので、少しだけ。
この味と暑さが一緒になって
あぁ、夏になったなぁと思う。
東京の夏もいいもんだ。
尾花のある荒川区は、僕が生まれたところ。
南千住ではないんだけど。
亡くなった親父は、あのあたりが大好きで
埼玉に引っ越した後も、よく行っていた。
上野。千住。王子の飛鳥山。
元々、山形生まれなので
初めての東京が上野駅だっただろうから
上野に対しての思いが強いんだろうなあ。
毎年、尾花には、この時期にいっているが
去年は、行けなかったので、前回は一昨年。
そのときは、まだ親父も生きていた。
尾花の鰻、一度くらい一緒に食べに行けばよかったなあ。
上の写真は、どこかに遊びに行ったわけではなく
新幹線の社内から撮ったもの。
あまりにも、いい空と雲だったので撮影した。
残念ながら、そこにいる、わけではなく
そこを通過している、最中。
こんな気持ちいい空がある景色を発見すると
途中下車して、その風景へ溶け込みたくなる。
新幹線だから、途中下車しようにも、次は目的地だったりするんだけど。
なんだか、仕事とか旅行とか
目的地や行く理由が決まっているわけではなく
なんにも考えないで、ぶらーっとどこかへ、したいなあ。
いつから、そういうこと、しなくなっちゃったんだろう。
もっと、自由であるべきだなあ。
理由や目的に追われて、それを解決することに
そこに満足していないかなあ。
それが充実とか思ったりしていないかなあ。
自分の行動を、もっと身体的に、感覚的に。
自分の内側から発するものに。
そこを意思だと、意識を向けないと。
自分の行動を、全て外側に起因させてしまっては
つまらないロボットのようになってしまう。
もっと自然に。
広がる青い空と、白い雲は
そんなあたりまえのことを、気付かせてくれた。
もう8月だもんね。