いや〜好感持てるアルバムだわ。
ものすごく楽しめた。
というのは、YMOのカヴァーアルバムで
Senor Coconut(セニョール・ココナッツ)による
「Senor Coconut:『プレイズYMO』」です。
(↑試聴もありますよ)
Senor Coconutというのは、アトムハートの別名義で
前にKRAFTWERKの名カヴァーアルバムを出しとりました。
(Senor Coconut版の「ツールドフランス」はほんと素晴らしかった!)
そのKRAFTWERKのときもそうだったが
彼のカヴァー手法は、「ラテンでカヴァー」なのだ。
名曲を、ラテンなラウンジ・ミュージックで仕上げる達人なのだ。
で、このアルバムは、YMOをある程度以上、深く聴いている人を
対象にしていると思いますし、YMOの知識・経験はナシという人が聴いたとき
どないな価値があるか検討がつかないので
YMOが好きでよく聴いていた、という人に向けて書きます。
さて、皆様におかれましては、「YMOのカヴァー」というだけで
もう「ふぅーん」くらいしか感じなくなっているのだと思います。
今日この頃。
だって、いっぱい出ましたものねー。
で、いっちゃん初期の頃の試みは別として
「今でも聴いてまっせ」なんていうトラックは数曲もないですものね。
はい、みんなそうだと思います。僕もそうです。
楽しみに買ったのに、「なんやこれ」ということ多かったですよね。
はい、僕も何度もカクっときました。
だから、カヴァーなんて、もう期待しなくなってきましたよね。
はい、僕も同感です。
しかし、これは楽しめた。
このアルバムによって、気付いたのだが
今までのYMOのカヴァーって
1)「YMOを知らない人」にYMO紹介
2)「YMOのマニア」をニヤリと楽しませる
の両方やっていたんですよね、どれも。
マーケットが絞り切れてなかった。
「YMOが好きな人には、アレンジで楽しんでいただいて
YMOを知らない人にも、いい入り口になりますよ…」みたいな。
だけど、それが問題だった。
どっちつかずだもんね。
という中で、Senor Coconut。
もう、めちゃくちゃノリノリのラテンアレンジなんだけど
「ここでっせ!」というポイントは外さない。
大事なとこは、YMOの編曲を尊重している。
その採択の仕方が素晴らしい。
ここは活かし、ここはラテンに、という選択。
「この曲のここの場所は、実はこの後ろになっている
このパートのリフがキイなんだよなー」というのが、よくわかっとる!
そこは、オリジナルのまま。
それがツボだから。
音の処理も気持ちいいですね、素晴らしい。
さすが、アンビエントからテクノ、ハウス、エレクトロニカと
ずっとクラブミュージックを手がけてきた師匠。
こちら、ぜひ爆音で楽しんでいただきたい。
いつもそんなこと言ってますが。
低音が気持ちいいのよー。
そんな彼が、突然ラテンに転向した気持ちも理由もよくわかるわ。
YMOファンは、あと1回。
あと1回騙されたと思って、このカヴァーアルバムをどうぞ。
マニアであれば、マニアであるほど、納得のはず。
ま、あと1回だからさ。
今まで何度も付き合ってきたじゃない。
祖父母のお墓を、東京に移転するために山形へ。
いろいろと理由あっての移転なのだが
生きた人間の移動ではないので、霊的なお引っ越しだ。
本当は育った土地から、あまり動きたくないのかもしれないが
会いに行く機会が増えるので許してほしい。
前に何度か、桜について書いたが
山形は、まだ桜の季節ではなかった。
というか、前の日は雪が降ったと聞かされた。
遠くの山を見ると、「あーなるほど」と雪が積もっている。
入学式も、新卒の入社も終わってから、雪が降るってのは、ちょっとない感覚だ。
空が青い。
周囲が広い。
川の流れが速い。
いつもと違う景色は、いつもと違う感情を思い起こさせ
古く忘れかけていた記憶を思い出させる。
山形は父が生まれ育った場所だ。
小さい頃、父の育った家の近くの川に入って魚を捕り
川岸で焼いて食べたことを思い出した。
まだ、父は若かった。
あの川も、その頃は今より澄んでいた。
自分の育った川で遊ぶ息子を見て
父はなにを思ったのだろう?
父はなにを感じたのだろう?
父の両親はとっくに他界している。
父も、もうこの世にはいなくなってしまった。
父は若くして、山形を出て東京で暮らしたので
実家とは、微妙な関係だった。
僕くらいの歳になってから、父母とゆっくりと会話したことも多くないだろう。
祖父母も、父から遅れること半世紀。
山形から東京へ。
これで、ゆっくりと話ができるね。
仲良くやってくれ。
親子なんだから。
いやー、まだまだあるもんですな。
読んでなかった、面白いマンガ。
『プライド』、これは面白い。よくできてます。
話がうまいや。ドラマの作り方が独特。
パターン的なテクニックではまったくないので
展開が読めない。
展開の内容というより、そのタイミングが読めないので
突然の出来事に、読者のこっちがハラハラするのがリアル感あるんだよね。
人生なんて、事故の連続じゃないですか、ある意味。
そんな事故の感じが、うまく出ている。
さすが、一条ゆかり先生。
失礼ながら、こんなに面白いとは思わなかった。
少女マンガというか、女性用マンガなんですが
たぶん、これなら誰でもイケると思いますので、ぜひ。
前に『ハチクロ』のことを書いたけど、実際、あの後、ちょっと読んで限界きました。
あまりにも、住んでいる世界が違うんで。
ですが、『プライド』はOK。
話が面白いから、というのもあるからだと思いますが。
ま、全然内容は違いますが、『のだめ』がOKなら、大丈夫ではないかと。
マンガって、内容より、まず画風で敬遠することありますからね。
というご貴兄こそ、ぜひ。
試しに2巻くらいだけでもどうぞ。
1巻の最初のいきなりの展開が面白いので
あえて、内容は全く書かないでおきました。
早く新巻でないかなあ。
息子がルイガノの自転車を買った。
「買った」というのは、自分の金で買ったからだ。
自分の金での、初めての買い物。
「はじめてのおつかい」は、受動的な感じだが
「はじめてのかいもの」は、めちゃ能動的である。
残念ながら、僕は自分の金で最初になにを買ったか覚えていないが
息子は一生、忘れないだろう。
お年玉とか、いろいろ貯金しておいてよかったな。
自分の金が、生活を新しくする武器となる。
自分の金が、遠くの景色を見るツールとなる。
自分の金が、家族の楽しい時間を生む。
そんな中でも、最も息子が欲しかったのは
家族3人で、楽しくあちこちへと出かける時間と笑顔だった。
お金の使い方はいろいろとあるけれど
自分一人で遊ぶもの、とか、自己満足的なものではなく
家族ではあるが「他人」との共有に、結果的ではあるが、向いたことが嬉しい。
やがて白い自転車は、少しずつ汚れていき
雑巾で拭くことを続けるうちに、ものに対する愛着を覚えるだろう。
ぶつけたり、誰かに傷つけられたりして、ものを大切にする心を覚えるだろう。
家族で楽しい時間を何度も過ごすことによって、自分のお金の使い方を納得し
それを未来へと繋げていくだろう。
ゲームキューブを買った。(前のは行方不明で2台目)
「えぇっ、今頃!?」という声が四方から聞こえてきそうだけど
無性に、『ちびロボ!』(これこそ今頃でごめん)と、『大玉』(こちらは出たばかり)
が、遊んでみたくなったので、ビックカメラでソフトと購入。
少ししかまだ遊べていないけど、『ちびロボ!』はよくできているなあ。
システムがいい。世界観がいい。初プレイ者への配慮が素晴らしい。
うまいこと雰囲気作ってますね。雰囲気が楽しいから、プレイすることが楽しい。
ゴミ拾いだけでもこんなに楽しいなんて、素晴らしいゲームだ。
工夫のゲームデザインが、工夫というゲームプレイを生んでいるんだね。
読んでいるだけで、楽しくなってくる台詞はさすが。
ウキウキなストーリーが、どうドラマとして展開するのか楽しみになってきた。
ニシケン(西健一:作家)、やるなあ。
なるほど! の企画だったのが『大玉』。
ルールと世界観の混ぜ方が、いつもながら見事ですな。
完全に、斎藤由多加(作家)ワールドができている。
世界観という、「ふりかけ」が本当にうまい作家だと思う。
いままでと違って、中心にあるのが、もろゲームのピンボールだから
どう仕上がるか楽しみにしていたけど、やり込んでいくと面白くなりそう。
1時間くらいしかやってないから、まだまだスキル足らず。
パッドに加えて、マイクまで必要だったのかが、まだ見えないところ。
あんまり複雑なのは、苦手になったのかもしれない。
戦国という舞台の面白さが、スキルアップと共にどう活かされていくかが楽しみだ。
とりあえずの時間しか、どちらもプレイしていないんで
書けるのはこれくらいだけど、楽しく遊ばせていただきました。
しかし…、どっちも作家の個性が、思いっ切り強く出ている作品だなあ。
「らしい」んだよね、どっちも。早く最後までプレイしようっと。
ちょいとした用事でExciteさんへ。
我がオフィスもExciteさんも、同じ恵比寿にある。
5分くらいで着いてしまう距離だ。
iPodでJamiroquaiを聞きながら行ったら、2曲目で着いた。
Exciteさんに行くたびに思うのだが
防犯上の理由なのか、玄関まで行ったら内線かけて廊下で待つことになる仕組み。
ガラス戸の向こうには、待ち合わせスペースが見える。が、入れず。
すぐそこに、椅子も置いてあるのが見える。
が、玄関は開かない。
待つのは廊下。
「ポータルに来て、ポータルに入れず…」と、いつも感じて玄関前で待つ。
ドア・トゥ・ドアで5分くらいなんだけど、そのドアが開かない。
…あ、しつこい感じなんで、やめます。
同じ恵比寿とはいえ、異なるのは、恵比寿の街を見る視点。
こちらは、1Fから横顔を見るように恵比寿を見る。
あちらは、上から見守るような感じで恵比寿を見る。
上の写真は、会議室から撮った恵比寿の風景だが
(遠くに東京タワーも見えますね)
恵比寿って、こんなにキレイな街だったのかと知る。
同じ恵比寿といっても、横顔を見て過ごすのと
上から見て過ごすのでは、恵比寿という街の印象も異なるだろう。
こちらは、昼間に撮った、オフィス近くのちょっといい風景。
住宅街のフェンスの向こうから、赤いチューリップが顔を出していていい感じ。
後ろの物干し竿が緑色だったことと、洗濯ばさみがピンク色だったとこがステキ。
ま、横顔はこんな感じです。
1コ前のblogに書いた満開の花が、たった数日で
今度は、思いっきり散っていた。
桜並木の道路は、一面、桜の絨毯になっている。
足下に延々と広がる、桜の小さな花々が
キレイな貝殻のようにも、紙吹雪のようにも見え
あまりにも現実的ではない光景に、少しクラっとする。
花はいろいろ好きだけど
桜は何か特別なものがありますね。
散ってからもまた、別の美しさがあり
道行く人を驚かせ、立ち止まらせる存在。
咲いている時間も、散りばめられた時間も、かなり短い季節限定。
桜っていいなあ。
本当に美しかった。
また来年。
仕事で名古屋のある都市に行ったら
電車から降りると、いきなり桜が満開で驚いた。
東京は、とっくに満開の時期は過ぎ
ほとんど桜の花は散ってしまっている状態だったから
なんだか、季節のオマケみたいな、得した気分になった。
ウェブをいくつか見てみると
花見のイベントや、桜祭りのカレンダーがあった。
兵庫や岡山では、まだまだ桜は咲き始めだという。
北海道では、5月になって桜祭りがある。
日本は縦に長いから、緯度の差が大きくあるけど
気候の差もあるし、桜の木の種類の違いもある。
桜のことなど、とっくに忘れた頃、北海道に出張に行って
「どうですか? 今日一緒に花見で酒でも?」
なんて言われたら、面白いね。
友人に依頼され、結婚披露宴でピアノを弾いた。
過去に何度か披露宴で、お祝いの形でピアノを弾いたことはあったが
新郎新婦の入場曲で、ピアノを弾いたのは初めてだ。
メンデルスゾーンの、ウェディングマーチ。
ゼクシィのCMでも有名な、「ぱぱぱぱーん」から始まって
続く主題が素晴らしく美しい。(リブルラブルでも使われていたよね)
よく知っている曲だったが、ピアノで演奏することになって
初めてちゃんと聴いた。譜面も書いた。
Am6→B7→Em→Dm/Fの主題が素晴らしい。
偉大なる作曲家に失礼だが、よくこんなもん思いつくなあと唸る。
緊張感と、優雅さ。重厚感と華やかさ。
新郎新婦の入場の曲、といえば、ワーグナーのほうが多いと思うが
メンデルスゾーンのほうにしてよかった。
頼まれピアノのついでに、ものすごく勉強になった。
披露宴は200人くらい来てたのかしら。
新郎新婦の交友の広さと、皆の友情ですな。
本当におめでとう!
鈴木さん、ユリア
いつまでも幸せに。
創立30周年に、なにがあるのかと思っていたが
まさか、macで、Windowsが動くようになるとは。
というか、公式にそれをするとは。
「Boot Camp」という名前がステキ。
これはすごいことですよ。
ロッテリアでマックシェークが飲める、とか(小さい)
ドコモなのに、LOVE定額とか(ありえない)
福島なのにハワイ気分、とか(それはある)
そんな感じでしょ。
ホテルのメシ屋に行ったら
寿司フロアと、鉄板焼きフロアの両方あって
悩んだ挙げ句、多数決で仕方なく鉄板焼きフロアに行ったら
きさくな店員が「あ、寿司もオーダーできますよ」みたいな。
つい先日、任天堂の新ハード『revolution』で
メガドライブや、PCエンジンのゲームが遊べるという
発表があったときもちょっと驚いたが、macで、Windowsとはなあ。
(mac OSで、Windows用のソフトができるわけではないので並べるのは変だけど)
プラットフォームにおける「あれもこれも戦略」は、これからの流れなのかしら。
それとも、なにかの行き詰まり傾向なのかしら。
だけど、ワンセグが始まって
「ワンセグ対応のケータイに変えようかなあ、でも高いよなあ」という状況で
「DSで、ワンセグみれるようになりますよー」は強いよなあ、やっぱ。
ケータイするのは、なるべく一つがいいわけで
テレビにも、入力端子に数の限りがあるわけで
デスクトップも、1つのパソコンが嬉しいので
まあ、万能ナイフみたいなもんですかね。
ていうか、DSって、iTunesの曲が落とせて、電話ができるようになれば
ポケットとか鞄が、かなりすっきりしますな。
(出だしとまとめが、微妙に合ってません)
季里さんとこのスタジオへ。(昨日だけど)
季里さんは、ビジュアルプロデューサーであり
あれこれハッピーな映像や、面白かわいらしいキャラクターを生み出している。
写真は季里さんと、季里さんとこのスタジオのクリエイター。
クリエイターのお二人も、尊敬できる素晴らしい方たちで
「よいものを作ろう」という意志に溢れている。
いいスタジオだ。
仕事場というものは、その「人」が出るというが
まさに本人のキャラクターが展開されたような、いい空気の暖かなスタジオ。
春を感じさせる、暖かな色遣いの和菓子をご用意して待っていてくれた。
その心遣いがとても暖かで、暖か満載のいい時間を過ごした。
昨晩、ソファで本を読んでいると
息子(こんど2年生)が話しかけてきた。
「すみだタワーってなんのために建てるの?」
我が家の方針の1つは、「子どもの質問には100%答える」ということだ。
子どもの好奇心、知識欲というのは、すごいものがある。
小さい子ほど、あれこれ聞いてくるもんね。
だけど、子どもの質問に対して、親がテキトーに返すことを繰り返していると
だんだんと、子どもから質問がなくなっていくわけだ。
そうなってほしくないから、真面目に向き合って、答えるようにしている。
もっと小さい頃は、「白金のパン屋は、どうして10時に閉まるのか」とか
「今乗ってるタクシーの運転手は、どうして頭に毛がまるでないのか」とか
なかなか、質問自体も、答えるほうも、面白い質問が多かったが
最近は、だんだんと具体的になってきた。
サッカーの日本代表戦を見ていたときも、反則とは思えないプレイで
試合が止まったことに疑問を覚え、オフサイドのルールを教えたが
あまり納得している感じではなかった。
「ルール」というのは、「本当にそれが必要か?」というのもあるから厄介だ。
サッカーの試合中だったので、ちょっと「それどころじゃない」感が
出てしまった気もするんだけど、基本的には、その場で答えるようにしている。
が、あまりにも突然に、すぐに答えるのが難しい質問をされると、ちょっと困る。
昨日も、家に帰る途中で、「天皇はなぜいるのか?」を訪ねられ
「それを答えるのはちょっと時間がかかるから後でもいい?」と返したが
微妙に「逃げた」感じになってしまったので反省したとこだった。
また、答えがわからない場合は、しっかりと「わからない」と言うようにしている。
親が子に、正直に「わからない」・「知らない」と正直に言うことが大切だと思っている。
知ったかぶりは子どもに伝わる。その子も知ったかぶりの人間になってしまう。
「わからない」と言った場合は、その後、親の宿題として調べてきて
後日、しっかりと答えることによって
「わからないことは、自分で調べて、知識を身につける」という習慣が、教えられる。
「すみだタワー…か。あれはテレビの放送を流すんだよ」
「東京タワーみたいに?」
「そうそう。あそこからテレビの放送を流してるって前に言ったろ。
だけどさ、デジタルっていう放送が始まるんだよ。…いや、始まってるのか。
その、デジタルっていうテレビの放送を流すために、新しいタワーが必要なんだよ」
「どうして?」
「どうして…か。えーと、今の東京タワーって333mだろ。
それだとさ、高さが足りないんだよ。デジタルのテレビがちゃんと見えるためには。
だから、すみだタワーは600mの高さがあるんだ」
「でも、もう始まってるんでしょ。もう見れるんでしょ」
「(よく聞いてるな…)う、うん…始まってるんだけど、ちゃんと遠くの人でも
デジタルのテレビが見えるように…(いや、そういうことだけじゃ…あれ、なんだっけ?)
あ、そうだ。あとさ、パパのお友達で、テレビが見られるケータイ買ったって言ったろ。
ケータイとか車でも、デジタルでテレビが見られるようになっていくんだけど
そういう人たちが、ちゃんと見えるようにするためには、高いタワーが必要なんだ」
「どうして高くないとだめなの?」
「あのさ、東京にはビルがいっぱいあるじゃん(絵を書きながら)。高いところからじゃないと
こうやってビビビビビって放送を流しても、高いビルに邪魔されちゃうんだよ」
「へぇー。でも、今もデジタルは見れるんだよね」
「見れる。(鋭いな…)東京タワーが、今の…アナログ…っていうんだけど、今の放送と
デジタルの放送の両方を流しているんだ。だけど、ちゃんとデジタルをやろうっていうことで
それで、すみだタワーを建てているんだよ…じゃない、これから建てるんだよ」
「じゃあ、すみだタワーができたら、東京タワーはテレビの放送をやめちゃうの?」
「やめちゃう(…そこ気付いたか)」
「じゃ、すみだタワーができたら、東京タワーはなんのためにあることになるの?」
「え…ぐっ…、あれ、えーと…(あれ…なんのためだ…)」
「水族館とか? エレベータで高いところから見たり?」
「いやっ…、それもあると思うけど…(あれ、なんだっけ? なんの必要性があるんだっけ?)
…えーと、あ、そうだ。ラジオだよ。ラジオの放送は東京タワーを使い続けるんだ…
…たぶん。(「たぶん」ってな…)…ちょっとこれは調べてくる」
「デジタルって、今、このテレビで見れるの?」
「見れない」
「じゃ、東京タワーが放送をやめちゃったらどうなるの? 見れなくなったら困るじゃん」
「2010年にすみだタワーが建って、2011年には東京タワーの放送をやめちゃうのね。
だから、それまでにデジタルが見られるテレビを買わないといけないんだよ」
「えぇーっ!」
「いや、オレも『えぇーっ!』って思ったよ。ていうか、今も思うんだけどさ…」
みたいな会話を30分くらい。
話題はそこから「放送局はなぜ増えないのか」という鋭い質問へ行き
「NHKはなんでCMがないのか」に向かい
「実はテレビのお金はCMやってる会社が出してる」へ流れ
最後のほうには「新聞にチラシが入っている理由」と、テレビに全く関係なくなってきて
10時半を過ぎたので、そろそろ寝なきゃ、という時間切れで終了した。
寝室へ一緒に行ってやり、電気を暗くセットしながら
「わかんないことがあったら、また聞けよ。
なるべくわかるように答えるし、わかんかったら調べてくるからさ」と言うと
「天皇のこと、明日、教えてね。(覚えとるやん)
あと、サッカーのオフサイドのルール」
今晩、お答え致します。