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July 12, 2005
死神の精度

accuracyofdeath.jpg

こりゃ獲りますね。
直木賞

『死神の精度』作:伊坂幸太郎

候補、候補、候補…と続きましたが
本作の受賞は間違いないでしょう。


主人公は「死神」。
人間の姿を借りて、人間界へ。
死期が一週間に迫った者と会い、一週間のコミュニケーションを通して
その対象の死が「可」か「見送り」かを、決定、報告するのが彼の仕事。

といっても、殆どが「可」=「死でOK」とするのが、死神の仕事なのだが
対象となる人物との関わりを通して、「見送り」=「生」という判断もでてくる。

殆どの人間に於いて「なぜ生まれたのか?」もしくは「なぜ生きているのか?」
という「生」と並んで…場合によってはそれ以上の関心事である「死」。
それが本人知らずに、主人公である死神に委ねられているから面白い。
死神が死をジャッジする、という事自体が面白いのではなく
リアルな世界に、魅力的なキャラクターを降らせれば世界は面白くなるのだ
という当たり前の事を、かなりの高品質で提供してくれている。

全部で6つの短編なのだが、全ては繋がっており、6つの章といえる。
6つの物語、それぞれの世界と、そこにいる登場人物は
多少は特別な状況であったり、大変な状態であったりもするのだが
それだけで、物語として十分に成り立つようなものではない。
現代の日本に、どこにでもあるわけではないが、どこかにはある風景。
そこに「死神」という特殊な仕事を持ったキャラクターを登場させるだけで
事態が大きく動くことはないが、世界が面白可笑しく輝きだす。
それが妙な現代のリアリティを作り出している。

僕は伊坂さんの作品は、全て読んでいるが
本作が最も作品性とエンタメ性のバランスが良い作りになっている。
また素晴らしいのは、ハナっからマス向けではないのに
表現という結果的にマス向けが成功しているところだ。
ハナっからマス向けでは、小説が持つ特別な世界へ読者は旅することができない。
だけど、なるべく多くのお客さんを旅させたいと著者は願っていることを感じる。

ただ単に一週間を共にし、「可」か「見送り」かを決定するだけで
人間のやること、なすこと、そこに流れる物語なんて興味ない
…というのが主人公である死神の、人間界に対する視点だ。
だけど、実際はそうでもない。
例えば、死神の好物である「ミュージック」が絡んでくると
それを作り出す人間界に対して、別の視点が生まれる。
それが、本来割り切った関係に別の道を与える。

どこかにある風景に、死神という魅力的なキャラクターを降らせれば
世界が面白く描かれる、と上に書いたが
そうであっても「面白い」のベースは人間界だ。
死神は、その世界をより面白く、より輝かせる存在である。
「人間って…面白!!」とリュークは言ったが、まさにそれ。
その台詞が必要なのだ。


本作は文藝春秋から出版されている。
直木賞は、文藝春秋に設けられた文学賞だ。
最初に書いたように、伊坂幸太郎は直木賞の候補が続いている。
毎度のように「今回こそ受賞か!?」と騒がれ、流れていく。
『重力ピエロ』でも『チルドレン』でも『グラスホッパー』でも。
そのたびに、「可」か「見送り」かを判断されてきたわけだ。
死神のように。

作者は、気の利いた小技が得意なので
「そんなダブルミーニングも?」なんてニヤリと想像させられてしまう。

Posted by eno at July 12, 2005 05:54 AM | TrackBack