第四十七回【あなたと】ルリーの伝言 ♪ の巻【貴方】
- ミッシェル:
いわゆる世間でいうところの「愛」と「優しさ」について、それこそ、見えない世界のガイドである七福さん達の目に映っても素直に納得していただけるような態度で、人生で活用していきたいものですね。
- 体脱 :
ルリーさんのお話を聞いていて思うんですが、愛と憎しみ、とか、優しさと冷たさ、というような、僕たちがよく使う対立的な比喩でこの概念を単純に捉えてしまうと、なにか本質的なものが見えなくなってしまうような気がするんです。でも、なんか普通にそれらの言葉って出てくるんですよね。それで、そのイメージの中から愛というと、自然と憎しみと対比して考えてしまうというか。これって、分かりやすいからですかね。
- ルリー :
そうです、それは良い所に気がつきましたね。
例えば愛というのは、相手がそこに存在しているありのままを無条件で受け容れている状態、とでも言うものなのですが。
その状態であるなら、愛を持ってひとを変えさせる、というような行動をとるという発想になるのは、おかしなものだと思いませんか?
その心に「愛を持ってしてこの対象を変えさせる」という欲望があるからこそ、それが叶わない時、ひとはひとを憎むのです。
愛と憎しみという対立する概念での表現では、愛そのものについて、実は本来の姿として捉えていないということに気が付きませんか?
また、「優しさを持ってしてこの対象を変えさせる」という場合も同じく、それを叶えることができない場合、ひとはひとに対して冷たく扱うのです。
そのように、世に伝わる対立概念というイメージの中に、「大きな誤解の種が仕込まれているということもある」ということを、覚えておいてください。- はるん :
はぁ、そうなんですか。なんか普通にひとつの熟語みたいに覚えてしまって、なにげなく使っている私たちの言葉の中に、よく考えるとそんな矛盾ってあるもんなんですか〜 r(━_━;)ゝ
- ミッシェル:
言葉には神様が宿っているって、東洋の思想ではよく伝えられていることだよね。それは日本においては「言霊(ことだま)」として伝えられているのは聞いたことがあるんじゃないかな? 言葉とは何気なくみんなが使っているものですが、とても大切なものなんですよ。
- 体脱 :
言霊とは、日本の場合は八百万の神々とともによく知られている概念ですよね。海外ではアニミズムといって原始宗教の一部、多神教として区分けされている自然についての概念ですが、これも万物あらゆるものが霊によって成り立っているという考え方のもとに、宗教あるいは信仰として伝わっています。
- ミッシェル:
そうだね、この東洋の国日本では、太古から森羅万象は八百万の神によって成り立つということを基本にして、「この世界は言葉によって成り立っている」という言霊文化というものが形成されたと言われている。
海外においてはこれはアニミズムとして知られ、そのなかでもこの言葉についての考え方は、日本同様海外においても、大切にされてきた考えなのです。
古の昔からそれらの文化の中では、「言葉」というものは、見に見えないものでありながら現実に作用する力を持っていると、信じられてきました。
そしてまた、魔術や呪いとして悪しざまに伝えられてきたことが多く、その本質において誤解を生じ偏見を持つ人々が現代では多くなってしまっています。
つまり、言葉には呪力があるというような風説ですね。ですが、それはそもそも人びとの言い伝えの中で、言葉が現実に作用する悪しき面だけが取り沙汰されていった結果なのだ、と、認識する必要があります。- はるん :
なんか怖い〜〜〜、でもそれは分かったんですけど、それと「愛と憎しみ」や「優しさと冷たさ」みたいな事柄についての理解が、どう結びつくんですか? ミッシェルさん。
- 体脱 :
あ、僕がちょっと話を脱線させたかもしれないね、つまり、対立概念で伝わることは一見わかりやすいけど、実ははるんちゃんがいま感じているように、それって、とんでもなく怖いことかもしれないじゃないか。
- はるん :
??? そこまでは怖くないですすけどっ!
- 体脱 :
え、だって、「愛」だけ覚えればいいのに、「愛と憎しみ」って覚えるとしたら?
例えばひとびとが「愛」を言葉にする時、自然に「憎しみ」も同時にイメージするとしたら?
本当に言葉に力があるんだったら、愛と憎しみが形になるよね。
言葉に力があって、もしも言葉が現実を作るとしたら、対立概念として捉えてしまったら、「愛」だけではなく「憎しみ」もまた、そこに現実化してしまうよね?
本来「愛と優しさ」だけが存在すればいいのに、「憎しみ」や「冷たさ」といったその反対の概念の世界も意図しないイメージの中で自動的に存在してしまうとしたら?
なんて考えたりしないの、はるんちゃん?- はるん :
体脱さんはね、「悪い夢の見すぎ」ですっ! (`ε´#) ノ彡☆
- ミッシェル:
はるん、体脱さんも言いすぎかもしれないが、少しは聞いてあげたほうがいいね。
ルリーさんが言っているのは、それがどういう意味を持つかということではなくて、別のことなんだよ。
現実世界にはいろいろな考え方の人たちがいて、それが世界に多様性を持たせ、あらゆる価値が存在する3次元世界の意味を作り出している。
勿論その中には善意だけでなく、それを誤解してしまったものや、そんなことを考えもしない想念や、あるいは悪意によって成り立っている価値というものもある。
つまりこの現実で起こることは、それがどうであろうと、事実として認識すれば良いだけなんだよ。その中で本当のこととは何かと、正面から理解する努力をすればいいんだ。
問題はそれらの渦巻くカオスのような現実の中で、それをどのように判断をしていくのかということなんだ。ひとびとそれぞれが、どのように「愛」を考え実践し、どのように「優しさ」を伝えていくのか。そのことがもっとも重要なんだよ。- ルリー :
そうですね。まさにミッシェルさんの言う通りです。目の前に起こることにただ集中し、イマジネーションを働かせること。これがヒントになっているのですよ。
さあ、そろそろ私と圭さんのやり取りをお伝えする内容もなくなってきました。みなさんがいま言われたことの延長線上にある、最後の言葉をお伝えする時間です。- はるん :
えぇ、もうお帰りになるのですかっ! ルリーさん。
- 体脱 :
はい、ルリーさん、その言葉はどのようなものでしょう。なんだか少し悲しくなりますが、しっかりとお聞きしたいです。
- ルリー :
みなさんに必要なことは、自分が持っている感覚を信じて、全てに対して自分の意見を持ち、正直に行動するということです。
人の意見や好みに合わせたり、それに依存したりして自分の判断をやめていくことが、時としてひとには必要になることはあるものですが、その場合、それ以前にそれを意識的にコントロール出来る自己が確立されている、ということが重要なのです。その言葉を大切に扱い、そのような振る舞いであればよいのです。
そのような感覚が身に入り、こなれた時、みなさん個々の乗っている船は順調に進みだし、ひとびと全てに大切な「愛」と「優しさ」という果実を積んで、みなさんそれぞれが目指す「豊かさの大海」におのずと導いてくれることでしょう。
<8月8日(月)に続く>