第四十五回【愛】心の罠にも!ご用心の巻【優しさ】

体脱   :

あ、そうだ、はるんちゃん! だから七福さんたちが登場したんじゃないか? 僕たちに「見えない世界の大切さ」を伝えるために。

はるん  :

えぇ? あっ、そっかー、そういえば体脱さんもあれだけの経験をして、私たちに分からないこの世界の成り立ちみたいなものを知ることができたんだし。そもそもこのカフェだって地上からは見えないとこで、前から立派に存在しているんですよね。ってことは・・・

ミッシェル:

そうだね、「ひょっとしたら地上世界がどのように変わろうと、見えない世界が無くなることはないし、七福さんたちガイドがどこかに行ってしまうこともないんじゃないか?」と、はるんは考えないのかい?

はるん  :

やったー! そうなんですよね、これで一安心。♪~♪ d(⌒o⌒)b♪~♪
やっぱり「愛」とか「優しさ」とか、「もの」じゃない気持ちを大切にするってことでいいんですよねー? 
でも、地上でも私たち女性を中心に、見えないものの大切さを信じて生きているひとって、少なくなっているかもしれないけど、たくさんいると思いますぅ〜

ミッシェル:

そうか、しかし、そのような理解を持った人たちが地上世界でもつながって、しっかりと結ばれてくれているといいんだが・・・

体脱   :

と、いうと?

ルリー  :

皆さんのお話はやはりとても興味深いですね。いまミッシェルさんが心配していることはわたくしにもよくわかりますから、ご説明しましょう。
はるんちゃんが言っていた、地上世界から失われつつあるかもしれない「愛」と「優しさ」についてです。

もちろん、その両方ともそうですが、まず最初に、それ以外の見えない世界、つまり物質で捉えることのできないより微妙な世界のすべてが大切なのは、言うまでもありません。
それらのうちの一部が、みなさんに分かりやすく言うと感情や意思がつかさどる領域です。そこに「愛」の形態や「優しさ」の形態があります。

しかし、みなさんの暮らしている地上世界においては、自分がこの「愛」を持って接しているつもりでも、相手を自分の支配下に置こうと行動してしまっていたり、人に「優しく」接しているつもりでも、自分の気持ちに嘘をついてる場合が多いのです。
それらは全部同じこと。つまり、「愛」や「優しさ」を地上世界で間違って表現してしまっていることにつながっています。

はるん  :

えぇ? でも、どこがどう間違っているのかなんて、どうやったらわかるんですか? 女性にはそもそもあるものだから、それが間違っていることなんて考えられないし、想像することもできない〜

ミッシェル:

ルリーさんが言っているのは「愛」や「優しさ」そのもののもとではなくて、地上世界での表われ方、その形態のことなんだと思いますね。

表向きはそれら精神的な事柄が重要だということはみんなが理解しているのですが、その表し方によっては、中には、自分が気が付かないうちにその種のエネルギーを本人の都合の良いように利用しているだけ、という場合が多いと言っているんではないでしょうか?

ルリー  :

すこし難しいかもしれません。しかし聞いてくださいね。
愛があるのであれば、対象となるその人の状態、現状を全て「受け容れて」から、行動を開始することになるのです。その時、愛を伝える人は、相手の様子を受け容れ、その理解の元に、お互いの進む道を共に見つけ、たどっていくことを行うようになるでしょう。

同じように、人に優しくしても、自分に我慢を強いていたら、それは河の流れのなかにあって、河岸の果実ばかりに見とれているのと同じになります。
ただし、これは欲に駆られている姿だとしても、欲に駆られたひとが、憧れのものが手に入らなくて我慢するのは問題ないのです。

しかし、それは中々抑えられるものではありません。欲というものは自分のコントロールできない感情の一部としての特徴があるのはご存知でしょう。その感情はときには、自分の理解や理性の届かぬところで自分の心を欺くことがあるのです。そのため多くの人々は我慢をしながらもその果実を手に入れようとする時、その衝動に対しての正当性を心のなかに無意識に求めてしまう。すると心はそれに対応して、そこに理由を見つけ出すのです。それがこの場合「人に優しく」しているという、自分の姿なのです。

「人に優しく」という自身の姿が、ここでは実は、自分の欲を達成するための方便にすぎなくなってしまっています。
そのためにどこかで感情を押し殺し我慢している、という状態が自分に生まれているのですが、それが生まれたことを自分は理性として知ることはできません。
「人に優しく」しているという理解(言い訳)があるために、自身の欲が「心」をも欺いてしまうのです。
自分が自分を欺くわけですから、当然そのことに気づかぬひとは多いものなのです。

体脱   :

そうですか、それが地上での多くの表れ方なんですか・・・、でも何かを達成したい時って、ひとって我慢するものですよね。「人に優しく」というのも、「思いやり」として自分を殺して周囲に奉仕するという、ある種の美徳としてあるんじゃないでしょうか?

ミッシェル:

そこに期待するなにものかがあるから、自分を殺してまで「人に優しく」するという行動に出る、というように考えることはできないでしょうか?
でも、ここにも実は「心」が介在していて、その期待しているなにものかが、本人には気が付かないように、巧妙に「心」に、隠されていることもあるのかもしれない、とね。

体脱   :

うぅ〜ん、そこまでは考えてみたことはないです。

はるん  :

自分の「心」が自分自身を欺いている? もしそうなんだとしたら、地上社会で生きていくって、そこまでややこしいことなんですかー ε=(゚ε゚;)ゝ

体脱   :

ましてや僕みたいに病気にもなるし、自分たちを生んでくれた親や家族や家系の影響を受けながら、社会との関係性を保ちつつ、自分の心とも正面から対峙しないと本当のことにも気付いていかない、なんてね。思えば大変なことだらけかも。

ルリー  :

だからこそ「愛」や「優しさ」が大切なのですよ。そして、「自分自身を大切にすること」が、それにもましてどれだけ重要なことなのか、ここで気付いて欲しいのです。

<8月1日(月)に続く>

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