第四十四回【ピンチ】失われていく世界の巻【再来】

ミッシェル:

「豊かさ」ですね。私たちが求めている「幸せ」の方向にある道標とでも言うべきもの。

体脱   :

豊かさかぁ。豊かであるってことはまずは自分が望むものを手に入れると
ころから始まる。それは決して具体的なもの、お金や地位や名誉やではなく、自らを慈しむ精神の向上からもたらされるもの、ということは聞いたことがあるんですが。

はるん  :

それは、それは、社会が男性原理に基づいて作られて行き過ぎてしまった幻想の部分に、誰かが気がついたということですよ〜。女性が求めているひととしてのあり方や生き方って、もっと違うものなんですっ!
だって、「優しさ」や「愛」が無くてはゼッタイに生きていくことなんてできませんから〜 (ノ ̄ー ̄) ☆*+*+:*+:*…━━━♡♡♡

ミッシェル:

世界の二つのもう片一方、女性ならではの世界の捉え方。
はるんたち女性の感性は、男性の理解する感性とはまったく違うものだよね。それでいいと思うよ。
ともすれば世界はどうしても男性の創造性をもとに形作られていくもの。
この社会の中で創造性をつかさどるとは、そこから物質的価値を生み出して、それに付加価値を与え対価を獲得していく、というサイクルのなかで評価されていくという仕組みになっているからね。

体脱   :

そうですね。音楽で考えてみると例えば、音楽自体は人が生み出した旋律。
これはリズムやハーモニーとメロディーから成り立つ、人々の衝動や感情が作る形のないものなんですが、思えばその衝動とは、やはり男性的なものなんでしょうね。そこから弾けるように出ていきます。
そしてそこには同時に人びとの感情や情念がまとわっていて、それらが交響して、音楽の三つの要素が生み出されているんです。この感情や情念はしいていえば、女性的なものかなぁ。

はるん  :

さすがは体脱さん! 音楽を分かりやすく説明できるんですね〜、んもぅ、そういうこと早く言ってくださいよ−。もうちょっと優しくしてあげられたのにー

体脱   :

そっかー、いまからでもべつに遅くはないけどネ、はるんちゃん。

はるん  :

σ( ̄∇ ̄;)?

ミッシェル:

ハハハ、そうですね、音楽を例にとるとわかりやすいのかもしれません。音楽がそもそも人びとによって表現され、奏でられてきたのは、ある種の儀式をシンボルとして、「見えない世界」に向かっての働きかけを人びとが必要としたからなんでしょう。その時に象徴的に使われていったのですね。
その内容といえば、地上世界に住む人びとの、あらゆる喜怒哀楽が表現されているのです。

それを見えない世界、感じることのできない世界に伝える、ということが重要で、音を楽しむとは、目に見えぬその繊細なる世界を信じ、没入して、人びとが共有している姿なのだと思いますよ。
ちょっと考えて見れば分かりますが、そのために「音楽は形がない」のですから。

はるん  :

形がないからみんなが共有できる? えぇ? じゃあ、いま流行りの音楽も同じことなんですかぁ? 見えない世界とつながれる? そういえばそう思えるけど、でもそうじゃないような気がするといえば、そうも思える〜〜〜

体脱   :

見えない世界に伝えるために音楽には形がないかぁ。それは面白い理解ですねミッシェルさん。やっぱり、見えない世界の住人ならでは! さすがだぁ。

ミッシェル:

いや、私も体脱さん同様、地上世界にも同時に存在しているからよく分かるのですよ。ですからはるんがいま言ったこともよく分かります。

音楽はそもそもがそのような性質を持つものなのですが、男性原理によって作られた社会の構造の中で、物質的な側面ばかりが取り上げられてしまうと、そこに生まれる付加価値というものが、物質的な評価だけで取り沙汰されてしまうのですね。
つまり、その音楽がどのように人びとに伝わったのか、ものでだけ換算されるようなシステムが科学技術を伴って、発明され広まっていったのです。それは録音技術の発達によって成立していきました。

体脱   :

エジソンのフォノグラフの活用ですね。日本では蓄音機といいましたが、ちょっと前のCDプレーヤー、古くはレコードプレイヤーの原型で、ロウソク管に波形の溝として刻み込まれた音響を再生したのが始まりです。
そこからロウソク管やレコード、CDといったものが、音楽の複製物として「もの」として広がりながら付加価値を高め、それが人びとの手に渡り、人びとはその付加価値に対して対価、つまりお金を払ったというわけですね。

ミッシェル:

そう、創造性が付加価値を生み、「もの」として対価を獲得していくこと。これがシステムとして育まれていったのです。対価とは貨幣ですよね。多くの人々がお金を払うことによって、そこには「市場経済」というものが生まれていった。
この発展過程をみると、このシステムの成り立ちはとても男性的なものといえるでしょうね。

はるん  :

えぇ?、でも、そもそも「見えない世界のために生まれた旋律」が人に伝わって対価が払われるのなら、それって、ある種の「お祈り」や「賛美歌」みたいなものでしょ? それに対価って、なんか神社にお賽銭上げてるみたいなものじゃないですか? それでよくないかなぁ。でもきっと、システムのせいなのかどうかよくわからないけど、それと今の音楽の聞こえ方って、ぜんっぜん違いますよね〜? なにかが違ってきたんですかぁ?

体脱   :

それが音楽が「もの」として扱われてしまった宿命のようなものなんだよ。つまり、「もの」だから、「もの」としてどれだけ対価、つまりお金稼げるかどうか?そこにだけ評価が集まるというサイクルが奇しくも生まれてしまったんだ。音楽を奏でる人びともそのための「芸人」にすぎない、という風潮とともに、それは広まっていった、ということなんだよね。そして、音楽そのものもそのための技術の集大成であるというように誤解されて、その本来の価値を見失っているだと思う。

はるん  :

それって、もしかしたら、音楽から「見えない世界」が無くなっていっているってことにつながらないですか? ミッシェルさん。

ミッシェル:

そのとおりだよはるん。音楽を奏でることによって人びとが捧げ伝えてきた、「見えない世界」が無くなっていってしまっている。音楽そのものの中に、そのような世界に伝える「想い」というものが失われていってしまっているように見えるんだ。

はるん  :

えぇ? そんなー!それじゃまた私たちの出番がなくなっちゃうかもしれないじゃないですかー、私たちまたここでも大ピンチ ( (((p(>o<*)q))) )いやぁぁぁ!!!

<7月28日(木)に続く>

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