第一五回【西陽】悠久なるガンジスの巻【礼拝】
- 体脱 :
そういえば僕は昔、旅で訪れたインド、ヒンドゥー教の一大聖地ベナレスを訪れ、ガンジス川の河口で沐浴したことがあるんですが、河口に設けられた火葬場の灰が飛びちり河に流れ込む中、その周辺では、牛の水浴び、食器や洗濯物を洗う人たちに混じり、抹茶色に淀んだガンジスの川の水を口に含んだ老若男女がたちが、沈みゆく西陽に向かい天を仰ぎお祈りしてた光景を思い出します。
思えば女性性とはその大河の何もかもをも包み込む流れ。
男性性とは俗なる周囲の状況とともにただひたすら聖なるものへの傅く(かしずく)祈り。そのようなものなのかもしれません。- はるん :
体脱さん、宙に目を据えてなに泣いてんですかっ!ヾ(--;)
ここ泣くとこじゃないし。- ミッシェル:
体脱さんはでも、とても鋭い視点をお持ちですね。女性性と男性性という姫君の説明にはとても高次元から俯瞰された叡智が含まれるのですが、それをインドの街の河口の一つの風景として表現できるなんて、とても出来るものではありません。
大河がその中で起こるあらゆる出来事を許容するがままに、河口の世俗を受け入れる女性性。その流れに佇み西陽に向かい礼拝する老若男女の男性性。宇宙に生起する男性性とはこのように深遠なるものであり、そしてそれは足元を包み流れる女性性によって赦されていること。
これがひとつの映像の中に思い起こされたのですね。- 姫君 :
はい。これをさらにあなた方の現実に即したものとしてお話をしますと、現実の範疇では、社会を動かして変化させていくのは男性かもしれませんが、その男性が動く場所や動ける空間。動く意思を促進させるのが女性の役割ということになるのです。
男性は女性がいないと動きもできないことを自覚してないといけません。だから、女性はもっと自信を持ってもらうのがいいのです。
この両性のバランスがこれ以上崩れてしまったら、世界は動きませんし宇宙も停滞してしまいます。
男女を問わず皆さんが持っている葛藤は、宇宙を、社会を動かすために生まれているものでもあるのです。- はるん :
社会での女性の持つ葛藤というものは男性にはあまり取り上げられませんよね。やはり男性が作ってきた男性型社会のなかで、女性は割りを食っている所ありますよね〜 ε=( ̄。 ̄;)
- 姫君 :
男性・女性のその魂の役割をそれぞれが認識していないから、社会がうまく動かないと思えてくるのです。女性だから社長になれないのでも、課長になれないのでもなく。男性だから子育てしなくていいとか、家事洗濯しなくていいというものでもありません。
その性質を生かして行動していくと、女性性を大きく引き出したやり方、男性性をうまく動かしているやり方、などが見えてくるものです。
それを否定して物事を考えようとするから、摩擦が起こり自分に自信がなくなり、社会が活気を失うものです。- ミッシェル:
僕には現代社会がどんどん去勢化されていっているように思えますね。少し昔までは男性女性の差というものが逆に社会にダイナミズムを生み出していったということがありませんか?。でもいつの間にか女性の権利の概念が履き違えられて、平等社会の名のもとになにからなにまでが機会均等であることを強いられていく。それは本当に正しい方向なのでしょうか? その方向性に向かって失っているものを、改めてしっかりと見定めなければならないのではないか?
- はるん :
うわぁあ〜 ミッシェルさん、仰るとおりでぇぇす〜〜〜
♪~♪ d(⌒o⌒)b♪~♪- 体脱 :
男も女もあるべき同体の異なる面の現れ。ここに宇宙の本質の姿が現れている。そこを比較すること自体がナンセンス。
そっか〜、30年前のガンジスの夕焼けはその時空を超えていまここにそれを伝えてくれたのかぁ〜- はるん :
なにか今日はとても不思議な日ですね。
- ミッシェル:
男性性と女性性、まずは女性性がありきの男性性、ということは、姫君、ここであなたが語られた女性性には、どのような男性性が相応しいのでしょうか?
- はるん :
それはねっ、もうおなじみの方がまた次に控えておられますよ~ ♪
体脱さんもまだうるうるしてないで、夕陽のガンジスから帰って来なさいよぉ~~~! (* ̄o ̄)ゝ- 体脱 :
そぅ、夕陽が、ガンジスが・・・ うぉををを〜〜〜
<4月18日(月)に続く>