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October 08, 2010


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「3D」と「テレビ」と「魔法」について。

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CEATECに行ってきた。


CEATECというのは最先端の技術と
それら最先端の技術を使った機器や製品の展示会だ。

SONYやらSHARPやらPanasonicやらといった大企業から
初めて聞いたような小さな会社も出展する、大規模な展示会。

そう言ってしまうと、家電の展示会みたいに思えてしまうけど
もうちょっと、技術寄りの展示会である。
「このディスプレイ(と、うちの技術)すごいでしょう!」みたいな
最先端の技術と、それを使った製品が、多く出展されているのだ。


今年は、3Dがかなり多かった。

大企業から、中小企業まで、あちらこちらで3D。
あっちでも3D、こっちでも3D。その向こうでも3D。
会場となる幕張メッセは、3Dだらけだった。

まるで、夏休みの自由研究が、先生から出された課題で縛られてしまったように
みんながみんな、「うちの3Dは、こんなんでっせ〜!」と展示しまくっていた。
3D自慢大会である。

会場でも「3Dテレビ」が、様々なメーカーから、多く展示されていた。
そして、これからもどんどん登場してくるようだ。
今年は「3Dテレビ元年」なんて言われてるから、「ここから」なのだろう。


以前から「3Dテレビ」......、正確には「3D」と「テレビ」について
ずっと、「もやもやと感じて」いたことがあったのだが
今回の展示会で、自分なりに解決できたことがあった。

そんなこともあるから、わざわざ幕張まで足を伸ばす甲斐もあるというものだ。


問いは簡単。

「3Dテレビ」って、どうして「ピン」とこないんだろう?

ということだ。


その問いに関して、当初、即座に自分なりに用意したのは
「3Dテレビは、現在、出発点だから」であった。

それで誤魔化したまま、ずっともやもやしていた。


それについて、深く、CEATECに行って考えた。


自分なりの思考法なのだが、「現在を未来に伸ばしちゃう」というやり方があって
それによって、様々なことを、判断することが多い。

ちなみに、経験上、かなり有効な、思考法&判断基準だと思うので
「なるほど!」と思ったかたは、ぜひいろいろな場面で試していただきたい。

現在の状況を、未来にぐいーっと、伸ばして判断するというか
未来......というか、ある程度のゴールを持って来て、考える方法だ。


5年後でも、7年後でもいいんだけど、「未来の3Dテレビ」を考える。


例えば、いまから5年後。
いまよりもっとすごい3Dのテレビが出たとする。

価格も安いし、メガネなんて必要ない。
飛び出しの迫力はすごいし、画像も精細だ。

いや別に、5年後のモデルじゃなくて、7年後でもいんだけど
とにかく、いろんな面で「こりゃすごい」という3Dのテレビが出たとする。


果たして、それは大人気になるのだろうか?

人々を魅了するようなものなのだろうか?


いまの技術や価格に、問題があるとかどうではなく
そもそも、「3Dのテレビ」って、どうなんだろうと。

3Dのテレビの進化系があったとして、それは、どうなんだろう。


それに対する僕の答えは

「3Dって、テレビに向いてないんじゃないの?」

ということだ。


例えるなら、5年後とか7年後の未来に行ってきて
そこに置いてある3Dテレビを見て
「うーん、なんか相変わらずいまいちだなあ」というだけではなく
そもそも、3Dってテレビに向いてないんじゃないの?
と感じてしまった。


世の中に本当にインパクトを与えるものというのは
まるで「魔法!」と感じてしまうものが多い。


テレビが登場したときは、多くの人が、まるで「魔法」だと感じただろう。

ピンポンの相手をしてくれる、テレビゲームの登場は、まるで「魔法」だった。

インターネットの登場も、僕にとっては、まるで「魔法」だったし
理解してくれる人は、理解してくれると思うが、例えば、Twitterも
「まるで魔法だ!」と感じる、そのときに、Twitterの本当の価値があるように思う。


しかし、3Dテレビというものは、いくら進化しても
それが、所謂、「3Dテレビ」という状態のものである限りは
「テレビが立体になった!」というだけで、そこに「魔法」が感じられないのだ。


まるで、遠く離れた場所の風景を、切り取って
ハコの中に持って来ちゃった、と、そんなふうに感じるから
「テレビというものの登場」は、まるで魔法だった。

街頭テレビには人が群がり
力道山の試合を、目を見開いて熱中したのである。
さすがに、その時代には、僕は生まれていないけれど。(-:


「魔法のようなもの」に人は熱狂し、大爆発し、スタンダードになる。


だからこそ、「すごい技術」は「足し算」ではだめだと思うのだ。


「なにか」を「もっとよくする」ために、すごい技術はあるのではない。
「まるで魔法!」と感じるために、すごい技術はあるべきなのだ。

それが、人々の役に立つとか、ものすごい便利だとか
少なくとも、そういうものでない限り=エンターテインメントを目指すのであれば
「まるで魔法!」と感じさせることが必要だ。


であるから、3Dは、3Dを活かした「新しいもの」が必要なのだ。


3Dは「スパイス」にしてしまっては、本当の価値が出ない。

「テレビ」+「3D」とか、「デジタルサイネージ」+「3D」とか
そういう考え方のものでは、大した価値が出ない。

であるから、「ニンテンドー3DS」というものも
大ヒットするとしたら、所謂、「ゲーム」+「3D」というカタチのものではなく
新しいカテゴリのソフトウェアの発明があって、大普及すると思うし
任天堂という会社は、それができる会社であると僕は思う。
そして、「それも最終的にはゲームだ」、と言ってしまえるところが
任天堂のすごいところだと、僕は思っている。


話がちょっと逸れた。

3Dという技術は、ものすごい技術だと僕は思う。
魔法をそこに秘めている。
しかし、それは、テレビの「足し算」に使うものではない。
新しい魔法を生み出すために、「3D」はあるのだ。


近い将来、どこかの会社が3Dを使った「新しい魔法」を生み出すだろう。

それを発明できた会社が、業界をリードする会社になる
というレベルの威力が、3Dという技術にはあると、僕は思っている。


誰がそれを生み出すか?

それはいったい、どういうものなのだろうか?


答えは簡単。

消費者に聞けばよい。


「魔法が使えるとしたら、どんな魔法がほしいですか?」


テレビが飛び出す魔法は、誰もいらない。


Posted by eno at October 08, 2010 11:27 AM


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