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April 20, 2010


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キンドルは飛んでいく「な」。

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境界がなくなっていく。

映画なのか、ゲームなのか。
ゲームなのか、書籍なのか。
書籍なのか、音楽なのか。
音楽なのか、映画なのか。

多くのものの境界が曖昧になってきた。


いや、もちろん、そういう混ざったものとか
曖昧なものではないものも、僕は好きなのだ。

好きだ、というか、大切にしたいと思っている。
「既存のフォーマットの良さ・強さ」というものもあるからだ。

変化もいいけれど、進化も大事だよ、とよく思う。


例えば「映画」はずっとこれからも、映画であってほしいと思う。

もっと言えば「映画館」という空間は、なくならないでほしいと願う。

あれは、「2時間、あの場所で固定」されるからよいのだ。
途中で、電話がかかってくることもないし、トイレも行けない。
やりたくても一時停止もできないし、ちょっと巻き戻しなんて不可能だ。

『AVATAR』を始めとして、3Dの映画が増えてきている。
「まるでそこにいる」ような「体験」が映画で加速するだろう。

あれは、変化でなく、進化だと僕は思っている。
『AVATAR』は間違いなく「映画」である。


「電子書籍」という言葉を多く聞くようになった。

「キンドル(KINDLE)」というデバイス、サービスのことを
いちどは耳にしたことがある、という人も多いと思う。

そして、「iPad」でも「iBooks」というサービスが始まった。


「キンドル」も「iPad」も「電子書籍」という上で
同時に語られることが多いが、この2つはさっぱり違うものだ。


「キンドル」は「書籍を電子で」。
「iPad」は「電子で書籍を」。


「書籍」を純粋に、紙じゃない媒体で読もうと思ったら
「キンドル」でよいだろう、と思う。
というか、それがキンドルの存在意義だ。

まず、デバイスの重さがぜんぜん異なる。
キンドル300グラムに対して、iPadはその倍以上。
本を読むように片手で、というわけにはiPadはいかない。
また、iPadはバックライトだから、外で読むのは厳しいだろう。
キンドルなら夏のプールサイドで読むこともできる。
そして、書籍の品揃えも(米国の話)、10倍くらい違う。


だから、「従来の書籍」を楽しもうというなら「キンドル」でよい。
小説など、いわゆる「書籍」を楽しむ端末だ。

というか、「キンドル」は、その方向で、どんどん進化してほしい。
近い未来には、ペラペラで軽い「厚紙だろこれ?」というようなものが
「キンドル」という名前で呼ばれていてほしいのだ。


では、一方「iPadは?」、というと
そもそも、iPadは、電子書籍の専用端末ではない。
メールも、ウェブも、ゲームもできる端末だ。
もちろん音楽も聴けるし、プレゼン書類を作ることだってできる。

であるから、いわゆる「書籍」に閉じてしまうと
「書籍を楽しむのに最高の端末」というわけではない。

iPadが電子書籍という分野で爆発するには
「従来の書籍」=「紙」では実現できない表現を持った
新しいエンターテインメントがどれだけ出てくるか?
がキイだと思っている。
(一応、お伝えしておくと「キンドル」も、従来の書籍と
 同じことしかできない、というわけではない)


最初に書いたような「境界が曖昧な」
従来の枠組みからは飛び出した「新しい書籍」の
キラーコンテンツがいくつか登場して、初めて
電子書籍としての「iPad」は、高く評価されるだろう。

僕は、それには、「大きな変化」は必要ないと思っている。
「書籍をもっと楽しむ」ための、ちょっとしたアイデア。
もしかしたら「雑誌」や「絵本」や「マンガ」のようなものが
枠組みとして変化しやすいし、ターゲットも合っているのかもしれない。
「小説」にしても、エンターテインメント性が高いもの
例えば、推理小説なんて、多くの遊びが取り入れられると思う。


新しいデバイスが登場すると
「境界が曖昧なもの」が生まれてくる。

任天堂のWiiも「WiiFit」という、体重計なのか
健康器具なのか、ゲームなのか、コミュニケーションツールなのか
なんだかわからない、「WiiFit」という新しい体験が生まれ、ヒットした。

だからといって、当たり前のことだけど
従来の体重計や、健康器具がなくなる、というわけではない。


そんなことから、実は、僕は「キンドルの未来」を楽しみにしている。
楽しみにしている、というか、心配もしている。

iPadが普及して、「新しいエンターテインメント電子書籍」が登場し
それらがヒットすることで、キンドルは「立ち位置」を見失わないだろうか。
「立ち位置」を間違わないだろうか。

キンドルは徹底的に、「従来の書籍の電子版」を目指してほしいのだ。


もっと手軽に、もっといつでも、もっとどこでも
もっと安く、もっと薄く、もっと軽く、もっと読みやすく。

それらが実現できて初めて、「+α」の要素を加えてほしい。
いや、それらが実現できても「従来の書籍を楽しむ」ことに
マイナスになるなら......例えば重くなっちゃうとかは、絶対にやめてほしい。


キンドルは立ち位置を見失わないだろうか。

iPadにつられて、間違った方向へいかないだろうか。


「キンドルは飛んでいくな」と、僕は願っている。


サイモンとガーファンクルの歌で
「コンドルは飛んでいく」というヒットソングがある。

こういう歌詞だ。


I'd rather be a sparrow than a snail.

Yes, I would.

If I only could,

I surely would.


「カタツムリになるより、スズメになりたい」と歌っている。

弾圧された社会、時代背景を映し出した歌詞だ。


しかし、キンドルよ、お前は「カタツムリ」でいい。

ゆっくりでいいから、立ち位置を見失わずに、進んでいってほしいのだ。


キンドルは飛んでいく「な」。


Posted by eno at April 20, 2010 02:54 AM


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