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January 28, 2008
王手

oute.jpg

息子が、将棋をしようと言ってきた。
ほほう、それは嬉しい誘いだ、と、受けて立つ。

1年ぶりくらいだろうか?
どのくらい上手くなったのかと楽しみに始める。


しかし……。

あっという間に、終わり。
あっという間に、僕が勝ってしまう。


息子が再戦を申し出る。


そして、第二戦目。

しかし……。

また、あっという間に、終わりそうだ。
また、あっという間に、僕が勝ってしまいそう。

このまま、進めていけば、あと五手以内に勝つだろう。


あれ?
なんだこれ?

こいつは、この1年なにをやってきたのだ?
と思う。

ぜんぜん、なにも上達しとらんじゃないか。


そこで、初めて気付く。
そうか……。

……僕以外とは戦っていないということか。


いまどき、友達の家で将棋、なんてないだろうし
小学校3年生、というのもあるのかもしれない。


将棋に関しては、僕とこいつの遊びなんだと気付く。
息子にとって、将棋というのは、僕との遊びなんだと気付く。


ということは……。

息子は、勝とうと思って、僕に勝負を挑んできたわけではない。

負けるのを承知で、僕と将棋をしようと言ってきたのだ。

これから、何年もかけて、僕と将棋をしていこうということかもしれない。


……。


息子から取った、飛車を持った手が止まる。

将棋盤の向こうを見ると、息子が厳しい顔をしていた。

うーんと、天井を見上げて、考える。

詰めるつもりが、詰まってしまった。


僕は、息子に訊いた。


「なあ。訊きたいんだけどさ……。
 お前に合わせて、手を抜いて遊ぶのと
 全力で真剣に戦うのと、どっちが嬉しい?」


息子の答えを聞くと、僕は、勢いよく、飛車を将棋盤に落とす。


「王手!」


パチンという、木の音が、冬の乾いた部屋に響いた。

Posted by eno at 01:01 PM
January 26, 2008
直感と実感と納得

yakiimo2.jpg

前回の続き。

読んでいないかたは、前回のエントリーから先にどうぞ。



わかりやすく説明してみます。

最初にカードを選んだとき
そのカードがハートのA=当たりである確率は、1/3ですよね。
3枚のうち、どれかが当たりなわけですから。

てことは、選んでいない2枚のほう
これを仮に「選んでない2枚側」と呼びます。
その2枚のどちらか=「選んでない2枚側」に当たりがある確率は?
そう、2/3ですよね。

そして、僕は、カードの内容を知ってますので
「選んでない2枚側」の2枚から1枚、ハズレを表にしました。

1枚、ハズレが表になりましたが
「選んでない2枚側」の、当たり確率は2/3であることに変わりません。

同じく、「選んだほうのカード」の当たり確率も変化ありません。
1/3のままです。


cardsetsumei.jpg


てことは、「選んだほうのカード」のまま(1/3)にしておくよりも
カードを変えて、「選んでない2枚側」(2/3)にしたほうが
当たる確率は、かなりアップするわけです。


ということでした。

「選んでないグループ」から、1枚ハズレが表になって
裏の状態のカードが2枚になったからって
50%:50%じゃ、ないんですよね。


……で、実は、ここからが言いたかったこと。

上の説明で、理屈は「わかって」いただけたと思うのですが
「納得」がしずらいんですよね。

「まあ、確かにそうかも……でもなあ」という感じ。

或いは

「いや、うーん。そうは思えないなあ」とか。


で、どうやったら、納得できるか?
これが大切だなあと思ったのです。


理屈じゃないんですよね、やっぱり。


納得するほうほうは簡単。
実際に3枚のトランプ(じゃなくてもよいわけですが)で
やってみるといいですよ。

「変えたとき」と「変えないとき」の、両方をやる必要はありません。
「必ず変える」というルールでやってみればよいわけです。
そのとき、ハズレだったら、「変えない」ほうがよかったわけで
「当たり」か「ハズレ」かを、チェックしておけば、わかります。


で、カミさんにやってもらいました。
実際に、トランプ3枚ゲームを、20回ほど。

すると、ほんとに変えたほうが、当たりがかなり多いのです。

みなさんも、納得ができなかったら
トランプでもなんでも、そういうものがあれば、できますので。

実際に、20回くらいやってみると
変えたほうが、2/3という値にかなり近くなるのです。
ハズレは(=変えない場合と同じ)、1/3となります。


……と、やっていただければ、実感はできると思うのですが
それでもまだ、納得いかない、というかたのために。
こういうふうに考えたら、わかると思います。

トランプを3枚ではなく
ぜんぶ使ったとして、考えてみましょう。


トランプをA〜Kまで(13枚)
ハートもクローバーもダイアもスペードも(×4)使います。
さらに、その52枚に、ジョーカー2枚を加えて
54枚、ぜんぶ使います。
(ジョーカー1枚しかない場合もありますが、54枚として話を進めますね)

さあ、54枚あります。

この54枚から、どれか1枚を、まず選びます。
どれかを選ぶとして…………まぁ、当たらないでしょ。

確率がどう、とかいうのは、もう置いといていいです。
54枚から1枚、当たりを選ぶんだから、そりゃ当たらない。
3枚とは違って、当てるのは、かなり難しい。

逆にいうと、選んだカード以外の、53枚のカードのほうに
当たりがある可能性は、かなり高いですよね。
選んでない、残りのほうに当たりがありそうですよね?


では、あなたが選んだカード以外の53枚
=選んでいない53枚のカードを、1枚1枚、表にしていきます。

もう大サービスです。
また1枚、また1枚と、候補を消していきます。

また1枚、また1枚と……。どんどんなくなります。
そして、最後には、選んでない53枚のカードから、1枚だけを残して。

……って、考えたら、その1枚のほうが
「当たり」だっていう気がしませんか?


これで、たぶん、納得いただけたと思いますが
実際に、やってみるほうが、よいかと思います。

友達とやってみると、盛り上がるでしょう。
恋人や、配偶者、子どもがいるかたは、よいコミュニケーションになります。
あえて、自分が先に1人でテストしてしまわないで
一緒に「そうかなあ?」「あっ、ほんとだ!」というのは
なかなか楽しいものですよ。

ぜひ。

Posted by eno at 04:56 PM
January 24, 2008
理論と確率と直感

aceandjoker.jpg

なにかを突然判断しなければならないときがある。
仕事でもプライベートでもなんでもいいんだけど。
ゆっくり考えらるのなら、ゆっくり考えるんだけど
そうでもない場合は、直感的という名の経験や知識をもとに判断をする。

そのとき、ベースとして持っている判断基準が間違っていると
実際の生活で、エラーしてしまっていることがあるような気がする。

えーと、ここからだと駅まで歩いて……タクシーだと……えぇーと。
うん、タクシーのほうが早いだろう……ミスった!
みたいな。

上の例はわかりやすく出しただけだが
実際のところ、確率論が絡むものが、ジャッジミスが多いように思う。
少なくとも、僕の場合はそうだ。
わかってはいるけど、ちゃんと自分のものにできていないために
とっさの判断で、ミスってしまうことが多いように思う。


昨晩、カミさんに問題を出してみた。

トランプが3枚ある。
1枚には、ハートのAが。
残る2枚には、ジョーカーが。

あなたは、そのなかから、ハートのAを当てます。
ジョーカーはハズレですよ。

うまくできたら、好きなものをプレゼント!


では……、3枚のトランプを置きますね。
僕は、どのトランプがなにかを知っています。

さて。まず、1枚を選んでください。
好きなカードの上に指を置いてください。


はい、あなたは、このカードを選びましたね。
置いた指は、そのままにしておいてください。

いま、当たりの確率は1/3です。

では、僕は優しいんで、ハズレを1枚見せちゃいましょう。
じゃ、このカードを表にします。僕はこれがハズレだと知ってるんで。


残ったカードは裏になったままの2枚です。
1枚は、あなたの指が置かれている、このカード。
もう1枚は、このカード。

両方とも裏になったままですが
どちらかに、ハートのAがありますよね。

さあ、当たってますかね?
どうでしょう?

この選んだカードは、当たりですかね?
このカードのままでいいですか?
もう1つのほうのカードに変えてもいいですよ?
どうします?
変えたほうがいいんじゃないですか?


さて、問題です。
このとき、カードを変えるべきでしょうか。
そのままにしておくべきでしょうか。
それとも、どっちにしても同じなのでしょうか。

その判断と、理由を教えてください。
その答えが当たったら、プレゼントです。

「……えっ。ハートのAが当たったら、じゃないの!?」

「……いやいや、この問題の答えができたらプレゼント」


というような、やりとり。

答え、わかります?

ちょっと、行を空けて、回答を書きますので、考えてみてください。














では、回答。


答えは、絶対にカードを変えるべき、なんです。

カードを変えることによって、当たる確率が飛躍的にアップします。

もともとでいうと、3枚のうちから1枚があたりなので、確率は1/3。
だけど、カードを変えれば、確率は2/3にまでアップします。
ぜんぜん、当たる確率が違ってきます。

残っているカードが2枚の時点で
指を動かしてカードを変えようが、そのままにしようが
「確率は半々の50%で、どっちにしても同じでしょ」、じゃないんです。

わかります?

……というところで、本日、出張のため、ここまで(おい!)。

次回に説明を書くことにしますね。

Posted by eno at 10:21 AM
January 21, 2008
ずいぶん見えちゃうGoogle Maps

newgooglemap1.jpg

久しぶりに、Goole Mapsを見てみたら
解像度がえらく上がっていて、驚いた。

ちょっと前までは、拡大するとぼんやりしていたが
かなりクッキリとしたものになった。
道路に書いてある「止まれ」なんかも綺麗に読める。
どころか、公園で遊んでいる人までわかる。

東京23区、名古屋市、大阪市に限られるようだが
この解像度はすごい。鮮明だ。

ケータイの写真が、デジカメの写真になったようだ。

これ以上になってしまうと、プライバシーの問題もあるだろうし
実際、今回のアップでも、車が不自然な色で塗られているように見える。
車種というか車の特定ができてしまうからだろう。

「木」に注目して見ると、桜のある場所では
桜が咲いていたり、咲いていなかったりするから
いろんな時期に撮ったものを繋げているようだ。

恵比寿は、桜が咲いている。
このオフィスがある庭の桜も咲いていた。
なんか、ちょっとめでたい気分だ。

ちょっと広い庭を持っていたり
広い屋根がある建物を所有している人は
大きな文字を書いたら、次回の更新のときに楽しめるかもしれない。
Google Mapsで、プロポーズもできますね。
更新を待ってるうちに、相手が待ちきれなくなって、破局しちゃうと悲惨だけど。

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Posted by eno at 06:57 PM
January 18, 2008
クラシックの「ライブ」というドラマ

karajan88.jpg

昨晩、東京を離れた、打ち合わせの帰り
仕事先の方と、クラシックの話になった。

僕が「ライブはいいですよー」と。
その場の雰囲気や、オーケストラやソリストのキャラクター
そして、なにより、指揮者のまとめかた、持っていきかたで
演奏が変わっていく楽しみを説明した。

それが(それだけじゃないけど)
クラシックという、同じ曲を、なんども、なんども
違う指揮者+異なるオーケストラ+そのとき・その場所で
楽しむ醍醐味ですよ、と説明した。

うまく説明ができているか、届いているか、不安に思う。


そして、「カラヤンとキーシンが演奏した、ライブがあるんですよ……」
と、「良い例」を思いついた。思い出した。

それが、カラヤン指揮+キーシン(ピアノ)+ベルリンフィルによる
「ニューイヤー・イブ・コンサート1988」である。
そのDVDを貸して、見て頂こうと提案した。


クラシックは、レコードやCDではなく
DVDという映像で見る・聞く価値がここまであるのかと
僕が心から感じた作品、「ニューイヤー・イブ・コンサート1988」。

このとき、指揮のカラヤン80歳。
ピアノのキーシンは、神童17歳。
その差は、なんと63歳!


ご存じ、ザルツブルグ生まれのカラヤンは、偉大なる指揮者。
4歳でピアノを始め、8歳で音楽院に入り指揮を学ぶ。
60年代〜70年代に最盛期を迎え、帝王を呼ばれるようになり
その後も数々の名演を残し、伝説を残し、あらゆる賞賛を受けて
このとき……しつこいようだが、もう80歳。

対する、モスクワ生まれのキーシンは、2歳でピアノを始め
10歳でデビュー、11歳で初リサイタルという天才少年。
12歳でショパンのピアノ協奏曲を発売。まさに神童。
そして、15歳、ベルリン芸術週間でヨーロッパにセンセーションを起こす。
その神童が、カラヤンに招かれ、ベルリンフィンと演奏。
このとき……しつこいようだが、まだ17歳。

「親子」どころではない、「おじいちゃんと孫」だ。


観客の大きな拍手の中、後に歴史となる、ライブが幕を開ける。

まず、現れるのは、アフロヘアの、キーシン。
緊張のあまり、ステージに向かってロボット歩き。
手を振らない、膝を曲げない。というか、振れない、曲げられない。
客席に向かって礼、オーケストラに向かって礼。
もじゃもじゃ頭で、ぎこちなくお辞儀する男の子を、世界最高のオーケストラが見つめる。
するとキーシンは、突然ステージ横へ。
ステージに上がろうとする、高齢のカラヤンに手を差し出し、招き入れた。

キーシンが、カラヤンに振れた瞬間から、伝説が始まる。


演奏するのは、チャイコフスキーのピアノ協奏曲、第1番。

ピアノ協奏曲の代表とも言える、この曲。
過去に、あらゆるピアニストが弾いて、弾いて、弾き重ねてきた曲である。
1世紀もの間。
名演と呼ばれる演奏が、いくつも、いくつもあるこの曲を
メジャーデビューとも言える舞台で、演奏するのは、リスキーと言える。


このときの、この2人の、それぞれの状態、気持ち、心を想像してほしい。

何度も書くが、カラヤンは80歳。
巨匠と呼ばれ、帝王と呼ばれ、あらゆる賞賛と名声を、手にして円熟。
そんな彼が、ニューイヤー・イブ・コンサートという大舞台に招き
白羽の矢を立てたピアニストが、まだ音楽学校にも入学していない
17歳のキーシンである。

カラヤンは若い音楽家との交流も有名だが
実際にベルリンフィルのような舞台で、17歳という若いソリストと
共演するなんてことは、あまりにも、まれなこと。

しかし、どんな理由であれ、背景であれ、招かれたキーシンにとっては
ベルリンフィルとのニューイヤー・イブ・コンサートが、挑戦の大舞台となる。
この舞台で、成功して賞賛を浴びるか、失敗して罵声を浴びるか
未来が大きく分岐している、分かれ道の、その最初のところに立っている。

白羽の矢が立った、17歳の男の運命。
白羽の矢の語源のように、神への生け贄となってしまうか、否か。


カラヤンという、偉大な指揮者の前で
ベルリンフィンという、世界一のオーケストラの前で
ニューイヤー・イブ・コンサートという、大きな舞台で
自分は、どうパフォーマンスをするべきか。

無難に「上手い」演奏なんて、誰の記憶にも留まらない。
上手いのが当たり前の舞台なのだから。
上手いピアニストなど、いくらでもいるし、カラヤンがわざわざ
若いキーシンを招いた、その理由は「上手い」などというところにはない。
キーシンは、この舞台で、「キーシンの演奏」というもの
「キーシンの音」というものを聞かせなければいけない。


カラヤンが指揮棒を振り、有名なホルンのフレーズが鳴り響く。
そして、オーケストラ全体が厚く美しく重なる。
キーシンのピアノが始まる。

キーシンが、どう演奏するか
カラヤンが、それをどうまとめ、どう指揮するか
それに対し、キーシンがどう反応していくか
これは、ぜひ、DVDの映像を見て、音を聴いてほしい。

上の説明のような、「その後ろにあるもの」、「人間の気持ち・心」
というものにフォーカスしながら、見て聴くことで
単なる楽曲ではない、クラシックのライブ、という楽しみが掴めるはずである。


ちょっとだけ言うが、まるでロックミュージシャンのように身体を動かしながら
口をパクパクさせてピアノを弾く(しかもアフロヘアー)
キーシンの若い演奏は、ほんとうに素晴らしい。
あまりにも、いきがよく、元気で、軽やかだ。

第一楽章の途中、乗ってきたキーシンが、若く強いピアノを奏でるシーンがある。

オーケストラとの演奏が流れる中、カラヤンは指揮棒を止め
キーシンのほうを向いて、胸に両手を合わせるジェスチャーをする。
言葉は発していないが、「もっと優しく」とカラヤンは伝えようとする。
円熟の帝王が、若きピアニストに、「気持ち」を伝える。
すると、その気持ちに即座にキーシンは反応し、音色が突然、優しく変化する。
すると、カラヤンは、「そうだ」と言わんばかりに大きく頷き
また、オーケストラのほうを向いて、指揮棒を降り始める。
そのときのカラヤン、うっすらとだが微笑んでいる。

もう、僕にとっては、名場面である。


この素晴らしいセッションを、2人の心を感じながら、ぜひ見て、聴いてほしい。


「のだめカンタービレ」で、クラシックのリスナーが増えたという。
それは、とてもよいことだと思う。(僕も漫画は読んでる。大好き!)
しかし、この2人のライブ、ベルリンフィルとの演奏は、リアルだ。
リアルだから感じられる、リアルだから感動できるものがある。


このライブが終わった後
カラヤンは、キーシンと、キーシンの母親に向かって、こういったそうだ。
「天才だ」と。

その言葉を、母親の横で聞いた、キーシンは、どんな気持ちだったのだろう。
どれだけ、自分のいままでの時間、存在、これからの未来が輝いたのだろう。

カラヤンに対して、どんな感情を抱いたのだろう。


しかし……、この僅か半年後に、カラヤンはこの世を去ってしまう。

そう、これはカラヤンの、最後の映像作品でもあるのだ。

あまりにも、ドラマティックではないか。

karajan_kisin.jpg

Posted by eno at 01:46 AM
January 17, 2008
ひかりで。

hikaride.jpg

1人での出張だったので
あえて、「のぞみ」ではなく、「ひかり」に乗った。

もちろん、「のぞみ」のほうが速いし、早い。
例えば新大阪まで、「ひかり」のほうが20〜25分くらい早く着く。


チケットが売り切れていない限り
普通は「のぞみ」を使うため、「ひかり」のほうはすいている。
隣の席が空いていることが多い。
隣どころか1列に自分だけだったりして、前後もいなかったりして
「ひかり」は、ずいぶんと、ゆったりしている。

ガラガラというわけではないが
基本満席に近い、「のぞみ」とはずいぶん違う環境が手に入る。


わざわざ、時間がかかるほうに乗っているという気分もあって
ゆったり気分で、列車での時間を過ごした。
ゆったり気分で食事しながら、薄い本を1冊読み終えた。


といっても、家を出る時間を、わずかに早めるだけである。
それで保たれる、ゆったりとした時間。

なるべく早く。なるべく短く。10分でも、5分でも早く。
なんていう、流れと違うところにいたかった。


「こうするのがあたりまえ」、というものから
ちょっと自分をずらして、あえて流れからずれてみて
味わえるものがある。見えてくるものがある。
「自分」という、存在やリズムが、くっきりとしてくる。


「時間の無駄」「お金の無駄」「考えるだけ無駄」
「無駄」ってなんだろうと思う。
「無駄」ってなんだ?


子どもの頃。
決まった道を使って、学校から帰るのがいやで
ぶらぶらと寄り道をしながら、家に帰った。

いつから、効率的に、効率的にと
同じルートを繰り返してばかりの
面白味のないリズムの中で、生きるようになってしまったのだろう。


本を閉じて、座席のテーブルに置いて
窓の外に目をやると
大きな、富士山が、美しく、そこにあった。

Posted by eno at 03:20 AM
January 12, 2008
eno "live" blog

enoliveblog.jpg

終わりました。
参加していただいた、みなさん、ありがとう!

いま、チェックをしてみたら
ユニークユーザーで、265人もいらっしゃったようです。

これって、すごいことだなあと思う。
265人の人が、同時に参加して、見るだけの人もいるわけですが
それにしても、同じ時間を共有できた、というのが
ものすごく面白い。


今回は、30分前に告知しました。
もっと早く告知したほうが、もちろんよいと思うのですが
あまり参加者が多すぎると、書き込みして、コメント承諾してというのが
追いつかなくなるので、そうさせていただきました。
後で気付いて、「参加したかった…」という方、ごめんなさい。

このへんが難しいところですね。
事前にメールをいただいて、先着順でメンバー登録するとか
そういうシステムができれば、もっとうまくいくと思うのですが。

なんにせよ、主催者側のウェブの管理ページが
固まるといいますか、書き込めなくなったり、承諾ボタンが受け付けなくなったり……。
そのへんが、もっと改善されれば、もっとアクティブにできるのになあ。


ライブ感って面白いなあ。
考えたり、参考になること、ほんと多い。

10年前もあった感動だけど、いまも同じだなあ。

Posted by eno at 05:13 PM
January 10, 2008
liveblog test

firstliveblog.jpg

LIVE BLOGをやってみた。
簡単に言えば、CHATのようなものなんだけど。

記録を残しておいてもいいんだけど
もともとテストの予定だったので、画像に置き換えます。
参加してくださった、みなさん、ありがとう。


上にも書いたように、もともとは単なるテストだった。
LIVE BLOGを実現させてくれている
COVER IT LIVEのサイトに初めていって、サインインして
「自分のblogに貼り付けるだけなのね、簡単ね」
なんて実際に貼り付けて、テスト書き込みをしていたら
「こんばんわ!」「こんばんはー」と、みんなが書いてくれて
急遽、テスト状態のまま、LIVE BLOGとなった。


テストだったわけで、なんの告知もないわけで
偶然にもLIVE BLOGに参加してくださった人は
「たまたま、このblogを見にきていた」という人なわけだ。

「たまたま見にきてたら、なにかやってたから、参加した」
という人たちなわけだ。すごい偶然の出会いだ。


というくらいの計画性なしの偶然で
これだけの参加者がいたというのは、とても面白い。

だって、「見てますかー?」って声をかけたら
「いまちょうど見にきたところですよー!」という人が
何十人もいたわけだから。

見ているだけの人を入れれば、100人くらい。
それって、すごい面白いなあと思う。

なにか、このblogにみんなが留まるサービスみたいなのが
あったりすれば、話は別なんだけど、単なるたまたま。
記事の更新もないわけだから(すいません)
見にきて、更新が無ければ帰っちゃう中で、偶然出会えた。
面白いなあ。


いまはもう外しちゃったんで、わからないんだけど
以前、ある期間、チェックを入れていたときは
このblogを見にきている重複しない人の数
だいたい1日のユニークユーザーが2000〜3000人くらいだった。

と考えると、乱暴に平均しちゃうと
1時間に100人くらい見にきてくれているわけで
そう思えば、たしかに、そういうことになるんだけど
実際に、たまたま「こんにちはー!」と声をかけて
「こんにちはー!」と答えてくれる人が、いっぱいいると
ちょっと驚く。
実際、驚いた。


とはいえ、大変だった。

こちらは、書き込むこと、みんなの発言にレスをすることに加えて
みんなの発言を「承諾」する必要があるからだ。

たぶん、いたずら書き込みなどを、ふせぐために
主催者側が、発言を「承諾」する、という仕組みになっているわけだが
これが、かなり大変。

サッカーのフィールドプレイヤーでありながら
審判も同時にこなすようなものだった。

結果的に、発言で「承諾」をしなかったのは、1つもない。
100%承諾したわけだ。
例えば、事前に登録したユーザーに関しては
「承諾」の必要がなくてよいとか、なにか方法があるだろう。
そのへんが、改善されないと、参加者が多くなると
「許諾を押すアシスタント」みたいな人がいないと、成り立たない。
ていうか、そんなことまでして、やりたくない。

ま、そういう使い方とか規模を考えてないのかもしれないけど
LIVE BLOGをサービスしている会社の社長に
これらを改善してほしいとメールをしておいた。


加えてもう1つ。
これは、参加してくれたみなさんに謝りたいことなんだけど
オフィス内のLANの調子が悪くなってしまって
途中で、うまくインターネットにアクセスができなくなって
いろいろと、試したりしてみたんだけど
中途半端なカタチで終わることになってしまった。

復帰をずっと待ってくれた人も多くいると思う。
ほんとうに申し訳ない。


もともと、まだシステムが不安定なのか
主催者側のツールウインドウが、固まったり
落ちたり、ということを繰り返す中
最後には、そのLANの問題も出てしまい
初LIVE BLOGは、うまくできなかったように思う。

そんなことも含めて、インターネットのおもしろさだなあ。
とか、思ってくれたりすると、幸いだけど
……いや、ほんと、ごめんなさい。


次回は、もうちょっと、ちゃんとできるといいなあ。
また、お会いしましょう!

Posted by eno at 11:37 PM
January 08, 2008
おめでたい。

osechi08.jpg

あけまして、おめでとう。
いまごろだけど。

この年末年始は、久しぶりに東京にいた。
ずっと家族で過ごした。
まいにち、まいにち、1つだけ行動。
「今日は七福神めぐりだ」とか「今日は明治神宮ね」とか
1日1コのペースで、小さいイベントを実行するだけ。
薄味ながらも、とても濃い時間を過ごした。


オフィスに届いた年賀状を読む。
メールで届いた年賀メールを読む。

どれもこれも、「あけましておめでとう!」と書いてある。

こんなに多くの人から
「おめでとう!」と言われることは少ない。
ずっと読んでいるうちに、めでたい気分になってきた。

そのおめでたい理由は、年が明けたということ。
それだけのことなのに、多くの人が「おめでとう!」と言ってくれる。

これはめでたいことだ。

何度も書いたが、僕は年末のワクワク感が好きだ。
年末に迫っていく感じ。そして年末の日。大晦日。
カウントダウンして、年が終わっていく。
そして、年が明ける。
おめでとー!


思ったのだが、こんな素晴らしいこと
毎月、やってみたらどうだろうか。

例えば、今月末。
みんなでどこかに集まって、カウントダウン。
1月31日の23時くらいから、みんなで盛り上がる。
そして、24時に近くなっていき
5…4…3…2…1……!

「ア・ハッピー・ニュー・マンス!」
「ニュー・マンス!」
「おめでとー!」
「わーい! わーい!」

みたいな、そんなの。

「これはよかった」とみんなが実感できたら、来月も続ける。

飽きてきたら、やめる。


年末年始よりも、かなり無理矢理だし
無意味な感じが加速してるんで、もっと楽しめる気がする。

もうただ、「生きていてよかった!」くらいしか理由がない。
そこが、美しいし、素晴らしいと思う。

新しい月がやってきた。
そして、いまも自分たちは生きている!
幸せー!
くらいの。


「楽しいな」「幸せだな」というのは
突然、訪れることがなによりだけど
そうやって、自ら作っていくことも
いいんじゃないかなあと思った、新年初blog。

Posted by eno at 04:37 PM