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August 27, 2007


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場所と時間と経験と会話。

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オーストラリア滞在中は、2人きりということもあり
普段に比べ、息子とずいぶん多く会話をした。

自然や環境のような話しも多くできたし
価値観とか人生論のような、こんな機会でもなければ
なかなかゆっくり話しすることのない会話も多くできた。

べつに、前もってこれを伝えようとか、そういうのはなく。
すごく自然な形で。距離や深さが、いいバランスで。


2人きりで、いつもと違う場所で、時間があるというのは
互いの思いをうまく繋げる、コミュニケーションを可能にする。

例えば、勉強であったり、仕事ということであったり
そういうことを親なりに、息子に伝えようとしたとする。

息子から質問があった場合は、これは非常に簡単で
相手が、聞こう、探ろう、考えよう、という状態になっているから
どんな言葉を投げても、わりと思いを伝えることができる。

もちろん、それでも、そんな1回の会話で伝わることなんて
ほんの10%もないんだと思うんだけど。
それの繰り返しが大切なわけで。

だけど、こちらから言葉を投げるときは、かなり難しい。
普段は、どうしても言葉が、息子の位置から遠いものになってしまう。
会話の出だしから、遠いものになってしまいがちだ。

「これを伝えたいなあ」と思うようなことは、相手の遠くにあるわけで。
そもそも、相手の遠くに位置することだから、それを伝えたい、と思うわけで。

伝えようということを、息子が理解できる位置まで近づけてあげて
息子が理解できる場所から、そんな言葉から、会話を始めればよいのだけど
なかなかそれが難しく、相手にとっては、遠い言葉から始まってしまう。

川向こうの小高い丘の上を指さして、「ほらあれが見えるか?」みたいな
そんなコミュニケーションになってしまう。

相手が、聞き取れる範囲、見える範囲、わかる範囲で
コミュニケーションを始めなければ、成立しなくなってしまうことなんて
わかりきっているんだけど、それがなかなか難しい。

それが、2人きりで、いつもと違う場所で、時間があるおかげで
この旅行では、なかなかよいコミュニケーションができたと思う。

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旅行先で……という2人の共通体験から、会話はスタートする。
片方が先に山に登って、そこからの経験を相手に伝えるわけではなく
一緒に、行動したり体験する中から、会話が生まれる。

それは、ほんのちょっとしたことからなんだけど。
昼ご飯はなんにしようか? とか 行くあてもなく列車に乗ってみようか? とか。
いろんな国の人が食事に来てるね、とか、そんなことから。

わりと難しい話しでも。すごく簡単な会話でも。
自然の中から、コミュニケーションが発生して
それが自然の形で展開していくことが、とても大切なことだと感じた。


ある日。
霧の朝、森の中へと歩いていくと、息子が立ち止まった。
どうしたのかと聞いてみると、木の枝についたたくさんの水滴が
キラキラと輝いて、とても綺麗だという。
それは、朝露というんだよ、と教えてあげながら
自分の息子が、そういう視点を持っていることが嬉しく思った。

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Posted by eno at August 27, 2007 01:46 PM


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