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March 14, 2007


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AKB48という通過点

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秋元康さんに突然誘われ
(ショートメールで。カワいい!)
AKB48のコンサートに行った。

出張先で突然誘われ、戻ってきてすぐだったんで
なんの下調べもできないまま、厚生年金会館へと行った。

「会いにいけるアイドル」というコンセプトや
秋葉原のドンキホーテの上の劇場でやっていることくらいは知っていたんだけど
「AKB48の「48」ってなんだろ?」というくらいの状態だった。(失礼)
結論から言うと、なんか、それがよかったのかもしれない。

と言いつつ、いまも大した知識はないわけで
僕にとっての、AKB48というのは、あのコンサートの2時間だけだ。

振り付けがいいなあとか、中盤過ぎくらいにいい曲あったなあとか
ちょっと年上の子の一生懸命な感じにグっときたとか
所属チームが変わることで泣いちゃった子がいて驚いたとか
まあ、細かいことはいろいろあったんだけど
総合して楽しかった。
輝くエネルギーを感じた。


僕が驚いたのは、「通過点」という意識だ。

誰もが、ではないかもしれないが
AKB48に所属している女の子達は、AKB48という存在を
「通過点」として考えているようだ。
これには驚いた。
そういうユニットってあっただろうか?

AKB48をステップにして女優、とか
AKB48で得た経験でソロシンガー、とか
どうやら、そういう風に考えているようだ。これはすごい。

AKB48という「装置」をプロデューサーは生み出したわけだが
そこに所属している一人一人は、それを「通過点」として考えている。
だから、輝いているのではないだろうか。
だから、その輝きが、他では感じたことのない輝きなのではないだろうか。

「その先」があるから、の輝き。

例えば、複数の女の子によるユニットがあったとする。
普通はそこで頂点を目指す。そのユニットでの頂点。
シングル売り上げ1位。アルバム何週ランクイン。
歌番組に出て、レギュラー持って、紅白出場。
各賞の受賞。お母さん、やったよ!
そんな感じだと思う。

だけど、それら、或いは、そのうちの幾つかを
手にしたとき、「次への輝き」がなくなってしまう。
それどころか、1歩進めば、1歩ぶん、輝きはなくなってしまう。
デビューのその日から、ある種の輝きは少しずつ薄れていく。

しかし、通過点という意識によって
輝きは薄れない。もしくは、薄れ方がスローだ。
なぜなら、「まだまだ先」があるから。
「その先」が用意されたものではなく、自分が抱いているものだから。


ライブが終わって、秋元さんに感想告げた後
会場出口に並んで、お客さんとハイタッチをするメンバーを見た。

こんな疑い深い僕にも、その笑顔は、本当に心から輝く笑顔に思えた。


Posted by eno at March 14, 2007 11:54 PM


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