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November 29, 2006


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呼び名

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朝、息子とテレビを見ていたら
いじめ問題のニュースをやっていた。

教育再生会議が「加害者は出席停止」の提言をしたと思えば
「教育再生会議なんてアドバイザリーボード」と文科省。
まあ、そんなことをやっていた。

いじめ、という言葉で思い出したことがあって、息子に聞いてみた。
前から気になっていたことがある。

東京都だけなのか、関東はそうなのか、全国的にそうなのかわからないが
息子は、学校(小学校)で友達のことを、「苗字+さん」で呼ぶように指導されている。

だから、うちの息子は、友達のことを「○○さん」と呼ぶ。
幼稚園の頃は、「あきちゃん!」「ヒデ!」と呼んでいた友達のことも
小学校に入ってからは、「笹山さん」「前田さん」である。
世代によって、差はあると思うのだが、自分にとっては気持ちが悪い。

うっかり名前で呼ぶと、「『西本さん』…でしょ」と指導されるらしいのだ。

たぶん、理由は2つ考えられて
1つは、女性蔑視のこと。「ちゃん付け」はよろしくないと。
これもこれで、思うこと山ほどあるんだけど、ちょっとパス。
もう1つがメイン、いじめに関する対策なのだろう。

あだ名からいじめが発生するから、ということと
礼儀ある間柄ではいじめが起きづらい、という心理的な狙いなのだろう。

しかし、どうなんだろ、これ。

「のび太」も「ジャイアン」も「スネ夫」も「しずかちゃん」も
「野比さん」「剛田さん」「骨川さん」「源さん」となるわけだ。
いや、これ、現実なんですよ。

源さん :「野比さん、剛田さんが探してたわよ」
剛田さん:「おぉーい、野比さん!」
野比さん:「あ、剛田さんだ」
剛田さん:「一緒に野球やろうぜ。骨川さんも空き地で待ってるぜ」

こんな感じになれば、野比さんも、ちょっとは殴られたりしなくなるのだろうか。

同様に、「ちびまる子ちゃん」も、かなりの指導が必要になる。
「ドラえもん」や「ちびまる子ちゃん」は、小学校教師とか、教育委員会にとっては
いけないマンガなのだろうか?
いまの学校のルールとは異なる、「やってはいけないこと」が展開されているんだもんね。

例えば、教室に、あまり他の友達とコミュニケーションを取らない
「福原良美さん」という生徒がいて、その生徒がちょっと不潔だったりして
他にも理由もあって(いや、もちろんいじめはよくないし、加害者が悪いんだけど)
いじめが起きそうな状況があったとして
「ふくちゃん」とか「福原」とか「良美」とか「ヨッシー」とか呼ばれていたのが
「福原さん」と統一されることによって、なにかが改善されるのだろうか?

よけい、人間関係が、ドライになったり、陰険になったりしないのかなあ。
それは考えすぎかもしれないけど、「苗字+さん付け」は失うものが大きすぎると思う。
「さっちん」も「たっくん」も「ひろちゃん」も「ミナ」も、全部だめになる。

あだ名だったり、ちゃん付けというのは、そんなに悪いことなのだろうか。

最初は「苗字+さん付け」で呼んでいた間柄が
相手との距離が縮まったり、愛情がこもったりするうちに、自然と変化していくわけだ。
また、ちょっと成長すると、逆に、相手との距離を近いものにするために
「苗字+さん付け」をやめたりするものだ。
それを、統一ルールで指導するというのは、どうもわからない。

体育の時間とか、どう成り立ってるんだろう?
「小野寺さん、パス!」「ナイス、原田さん!」「宇佐見さん、守れ!」
ぜんぜん、違うと思う。

もちろん、相手のことを「島クソ」とか「村田菌」とか「ヘド」とか呼んでいたなら
その状況によっては、先生が口を出したほうがいいと思うんだけど。
なんか、そういう細かいことを、ぜんぶ放棄しちゃっただけのルールに思えてならない。

「まるちゃん」も「たまちゃん」も「ハマジ」だって
仲が良いから生まれた、素晴らしい呼び名、なのに。

ああいう呼び名って、素晴らしい子ども文化の一つだと思うんだけどなあ。
それを簡単に、世の中から消しちゃっても、いいんだろうか?

こういう人たちに、教育を任せておいて、大丈夫なのかなあと心配に思う。
思うだけじゃだめなので、どこかで行動もしようと思う。

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Posted by eno at November 29, 2006 04:11 PM


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